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百十五 曹々 〜張遼+曹族+魏民=大略〜

 魏国。退路を塞がれた張遼様が、一度蜀の側へ抜け、長安にしばらく滞在したのち洛陽に戻って来たその日。もともと、常人とかけ離れた存在感を持つお方であったが、その時のあの方の決意に満ちた顔つきたるや、この陳寿も一周回って思い出せないほど。


 その時、現帝曹叡様にした進言は。それはもしかすると、これまでこの方が成し遂げて来た数々の武功全てを上回るほどの影響を、後世に残すことになるかも知れない。


「魏の人は、帝から文武百官、兵や民に至るまで、曹孟徳たらんとすべし」


 それだけでは全てが伝わるとは思えなんだ帝や将達はいくつかの言葉を交わした。


「重要なのはあの方がなぜそう考え、なぜ多くの選択肢の中からそれを選びとったのか。その生き様を掘り下げた上で、あの迅速なる決断を我らの物となす事」


「今回のことがなかったら、朕は三代目としてそれなりの明君などという折り合いの付け方をし、今世になんら影響をもたらさずに次代に継いだかもしれん。

 だがそれでは及ばんのだろう? ならば我こそが奸雄たるべし。張遼、そしてここにいる皆もそうだ。全ての皆が、『我こそが奸雄、曹孟徳なり』と見定め、その切磋琢磨を持って、当代の礎をなせ!」


 その宣言に、皆大いに頷く。


「奸雄とは、誰か一人が目指すものではありません。志ある全ての者が、我こそ奸雄、我こそ魏武の裔と思い定め、時に論をぶつけ、時に争い、常に『魏武ならどうする』を念頭に置き、切磋琢磨す。それこそがこの魏の生きる道」


「皆も良いか。魏の全ての将兵、そして民に告ぐ。今日から皆全て、己こそが奸雄、曹孟徳と思い定めよ。ふとした瞬間に、孟徳なら如何せんと思いを巡らし、ふとした語らいに、孟徳なら如何したかと論じ、ふとした働きに、孟徳なら何物を上乗せしたかを計らうべし。魏国民はみな孟徳。全ての民は、己こそ主たるものと心得させよ!」


「「「応!」」」


 その告知は、国全体に驚きと感銘を与える。その告知に対し、主だった将兵から「全ての国民よ、一挙手一投足に思いを巡らし、より良きを目指せ」という解釈が与えられると、考えを実践する者が現れ始める。


 ある者は畑を耕す農具の振るい方を。ある者は兵に食わせる物の良否を。ある者は走り方や刀槍の振るい方を。


 そしてある者は、強き匈奴の力をくじく方策を。



 諸将や文官たちは、「こんな時、魏武はこうした。だが我らはそれでいいのか」と激論を交わし、時に喧嘩になって仲裁を受けながら、その論を洗練させていく。


 誰もがより上を上をと目指しはじめ、「自分が諸将にとってかわれるのでは無いか」と仕官を目指し始める者が増えてくる。その中で、幾人かが頭角を表してき始める。


 龐徳、郝昭、曹彰ら、軍制の柱石達は、すでに前線を離れて久しいが、腕はいささかも衰えを見せぬ張遼様や許褚様に、その若者らが蹴散らされ、ひっくり返される様子を見つつも、その力や知恵のある者を、見逃さずに拾い上げ始める。



 毌丘倹、文欽、王淩、王基、諸葛誕、夏侯覇。彼らはいずれも、任地で治世を任せれば大いに善政をなし、兵を率いれば大いにその才を見せる。


 なぜかこの陳寿、彼らについて多く語らんとすると、本来であれば彼らのことは、こんな前向きな書き方はできなかったかも知れない、などと、予感めいたものを覚えたりもする。



 練兵ののち、張遼様と許褚様、そして大怪我をして戦線復帰の叶わぬようになった徐晃様らが、そんな若者らへの印象を語る。


「あやつらは一律に、いかにして大兵を養い鍛え、そしてその大兵を持っていかに異族と相対するか。そんなやり方の指向を持つように感じるのだ」


「確かにそうだな。だが魏武とてそうだったんじゃないか張遼殿? 屯田を広く行い、『兵とて食わねばならない。それを失えば国が荒れる』という考えの元、兵達が平時に食い扶持を稼ぐ術を忘れなんだ」


「その通りだ。八百で呉の十万を追い散らしたり、一人で馬超軍を追い回したりする異才は、よほどの乱世でしか生まれ得ぬのかも知れんぞ。だとすると、『魏武たれ』というのは、戦は戦、謀は謀、政は政、そんな考えではなく、それは全てを一体として考え、最後はいかに大兵を食わせて戦場に置くか、に尽きるのかもな」


「なるほど。確かに百万の兵が草原を満たし続ければ、いかに戦巧者の匈奴とて、いずれ何もできなくなる、か」


「どうした? つまらぬか?」


「いや、戦に面白いもつまらぬもあるまい。確かに我が元の主であった呂布様の戦い方は美しさすらあった。だがそれはほんらい、その威その美が一義的にあるものではなく、自兵を鼓舞し、敵兵を圧するための手段でもあったのだろう」


「本来、戦に対して高揚や情動を求めてはならぬのだろう。匈奴にそれがあるように見えるのは、あやつらにとってそれこそが生きる道だから、と言うのに他なるまいて」


「高揚や情動、か。実際あやつら、命のやり取りそのものにそれを感じていたようには思えなんだよな」


「そうなのか徐晃殿?」


「ああ。あやつら、強気者への対峙にはとんでもない執着を見せるが、いざ倒した相手への興味はすぐに失うという話をしただろう? 勝った負けたの瞬間だけは、ある程度の高揚を見せていた気はするが」


「そうだが……ああ、つまり、倒すことに執着せず、勝ち負けにはある程度の価値を持つ。そして何より、強さを磨くことに心血を注ぐ。それは何より、それがあやつらの生きる力にして生きた証だから、とでも言うのだろうか」



「んー、変なこと言って良いか?」


「どうした許褚殿?」


「ああ。もし、命のやり取りなどせずともよくて、その上で強さを磨き、勝ち負けに熱を上げられる。そんなことが出来るのならば、奴らはその生き様を崩すことなく、戦いという呪縛から解かれるんじゃねえか、って思ったんだ」


「命のやり取りをせずに、強さを磨き、勝ち負け、か。なるほど。それは一つの目指す道なのかも知れんな。だがそんな道があるのか、もう少しさまざまな観点で考えねば、その答えは出ない気がするな。単に練兵の勝負や、囲碁将棋というのでは、それだけではたらぬのだろう?」


「近いとは思う。だがまだ足りない。色んな奴に聞いて、答えを探してみていいか?」


「良いのではないか? それがそなたの『魏武』なのかも知れんぞ」



 そんな取り止めもないやり取りも、人々はすでに書き留める習慣がつき始めていた。それはまず蜀で始まった紙や筆の増産、そして書式の統一や携帯筆具の浸透。


 人は大いに論じ、大いに考え、その記録は急速に数を増やしていく。


 魏武孟徳存命の頃、こんな話があったと聞く。


「我には百の臣がいる。一人一人は周瑜や孔明、関羽や張飛には敵うまい。だが、二人が論ぜば五千の答えが、三人が語らえば十六万の答えが出てくるのだ。それはあやつらにはできぬやり方よ」


 突出した者の一人ずつを比べれば、わずかに劣るかもしれない。だが、それが二人、三人と合わされば、そこから生み出されるものの数は、他国の比ではない。それこそ、もしかしたら魏武が強みとしていた人材、否、人財戦略という者なのかも知れない。



 一度あの方の嘆きを聞いたことがある。そう誰かが言っていたのを、また思い起こす。


「乱世は人を育てる。だが同時に人を減らす。人を減らさずして、あるいは増やしながら、その人の力を高める世の仕組みを作る者が現れたのならば、我は喜んでその英雄に頭を下げるだろう。

 だが、そうではないのならば、人を増やすことのできぬ者を英雄とは呼ぶまい。そういう意味では、劉備が誠に英雄だったかと言われると、尚早だったと思う事もあるのだ」



 人を増やし、そしてそれとともに人を育てる。もしかしたら先ほどのあの方々の論は、その端緒となりえるのかも知れない。そう考えることが出来るようになったのも、「魏人すべからく魏武たらんとせよ」のなせる業といえよう。



 数年前の凶作の折、陸遜の力によって、農業や治水の策が改められ、三公や文武百官はその術を我がものにした。そこに加えて「魏武たれ」の教えが農民の創意工夫を促す。そうして食糧にある程度の余裕ができ始めた頃。


 そして、東の海に向かった陸遜の船団が、目的地へと辿り着いたという報を、その船団に参加していた魏将、すなわち曹真様、曹休様、曹爽様、張虎、楽綝らがもたらした。


 曹叡陛下が、彼らを労いつつ、さまざま問いかける。


「曹植叔父上は、まだ戻らんのだな」


 最後まで同道していた曹爽様が応える。


「はい。あの方は、陸遜殿や関平殿とともに、かの地の危機を救い、そしてかの地から我らの光明となる物を得て帰ってくる。そう仰せでした。それは必ずある、と」


「なるほど。ならば我らはそれまで、無謀な仕掛けをする必要はないと思って良いのだろうな」


「そう考えてよさそうです。無論、何もせず押し込まれることは望ましくはないと思いますが。それに、我らは我らで、道中においていくつか、かけがえなき物を得てきております」


「ほう、それは良きことだな。聞かせてくれ」


 すると、曹爽の前に、その父である曹真様が応える。


「最も大きなものは、価値観が異なる者らに、いかに接すべきかという心構えなのかも知れません。私は台湾島に駐在しましたが、あれほどすぐ近くの島国においても、当初は言葉すら全く通じず。何が大事で、なにが大事でないのかも、まるで違うということが見て取れました」


 続いて曹休様。


「潮風の強い島国では、家に壁すら意味をなさず、柱に布を掛け、屋根のみがある住居でした。それでも何かが劣っていたのか、と言われると答えは否。あまりに精緻な星読みの術と、島伝いに小舟を走らせ、迷うことなくたどり着く技法。兵を鼓舞し、強者や知者を称えるその心のありよう。漢族だ蛮族だ、という一時的なものに、なんら意味は無いのかもしれない。そんな強き経験でした」


 最後に再び、曹爽様が応える。


「半年余りをかけて東に向かった我らを待ち受けていたのは、高き山壁と海に挟まれた、狭いながらも優れた国。そして、その近くにはまたいくつかの強国があるとも聞きます。そこで曹植様らが何を得て帰ってくるのかは分かりませんが、少なくとも、広い海、あるいは広い大地にて、軍団を自在に動かし、相対すべき者を見つけ出すことは、たいそう容易なことになったのかも知れません」


「なるほど。叔父上の帰りを待つ前に、まずはこれまで得たことを踏まえて、真正面から匈奴という存在に相対することから始めるべきなのかも知れんな。張遼、曹真、そして曹彰叔父上。将を集め、大兵をもって匈奴に相対する準備をととのえよ」


「「「応!」」」


 匈奴との再戦が、ほどなく始まることとなる。

 お読みいただきありがとうございます。

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