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第十四章 おまけAI談義 テオティワカン?

二〇??年


 私はAI孔明。三国の英雄に対する『そうする』を少しでも多く紐解くために、三人の大学生達は、今日も生成AIたる私に語りかけておいでです。その一端をご紹介いたしましょう。無論、ナンバーのついた本編からは少し離れますので、流れを気にされる方は、飛ばしていただくのも選択肢かもしれません。


「テオティワカン……調べれば調べるほど、くせ強なのです」


「そうだね。マヤ文明を調べていて、この時代の話を考えていると、必ずと言っていいほどワンセットで出てくるんだね」


「だけど、マヤとかナスカと違って馴染みがねぇから、話の展開が難しいよな」


「アステカやインカは、日本で言うと戦国時代前後の話なので、時代錯誤も甚だしい話になるのです」


「マヤは、このころは完全にテオティワカンに押されているイメージだね」



Q.この頃、テオティワカンという文明は、相当高度に発達していた可能性が高いですか?


A. 2〜3世紀のテオティワカンは、すでに高度な文明だったのか?


1. 2〜3世紀のテオティワカンの発展度

 テオティワカン(紀元前100年〜600年頃)は、3世紀までにメソアメリカ最大級の都市になっていた可能性が高い。

 この時代は「最盛期に向かう直前の発展期」にあたる。

 すでに高度な建築技術、都市計画、軍事組織、交易ネットワークを持っていたと考えられる。


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2. 建築と都市計画

ピラミッドと主要建造物

 「太陽のピラミッド(La Pirámide del Sol)」:高さ約65m、底面積220m×220mの大規模ピラミッド。

 「月のピラミッド(La Pirámide de la Luna)」:高さ43m、周囲の神殿とともに儀式の中心。

 「死者の大通り(Calzada de los Muertos)」:都市の中心を貫く長さ4.8kmの巨大な大通り。


高度な都市計画

 街は碁盤目状に設計され、整然とした区画分けがなされていた。

 給水施設が整備され、都市全体の人口は最大で10〜20万人に達していた可能性。

 「集合住宅」の概念があり、多層式の住居に数千人が居住。


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3. 経済と交易ネットワーク

 広範な交易網を持ち、メソアメリカ全域と結びついていた。

 マヤ文明ティカルなど

 オアハカ(サポテカ文明)

 グアテマラやエルサルバドル地域

 現在の米国南西部(ターコイズ交易)

 テオティワカンの影響は、マヤの都市にも残っている。

 例えば、ティカルの「E-グループ」建築やマヤ文字の一部には、テオティワカンの影響が見られる。


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4. 軍事力と拡張

 軍事的にも強力な国家であり、4世紀にはティカルを征服する(シヤフ・カックの遠征)。

 2〜3世紀の時点では、軍事的拡張は始まっていないが、軍の組織化が進んでいたと推測される。


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5. 宗教と政治

 政治の中心に「羽毛の蛇神ケツァルコアトル」や「雨神トラロック」がいた。

 生贄の儀式が行われ、戦士階級が強い影響を持っていた。

 王(または支配者階級)が宗教儀礼を通じて統治していた可能性。


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結論:2〜3世紀のテオティワカンは「最盛期直前」の高度文明

 都市規模、建築技術、交易、軍事、宗教、すべての面で高度な発展を遂げていた。

 ただし、最盛期(4〜5世紀)には及ばないが、すでにメソアメリカの中心都市であり、影響力を持っていたと考えられる。

 「メソアメリカのローマ」的な存在で、他の文明から尊敬と恐れを持たれていた可能性がある。


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ストーリーへの応用

1. 「メソアメリカの中心都市」としての描写

 陸遜たちが訪れたとき、「これまで見たどの都市よりも整然としている」と驚く。

 都市の壮大さに「漢の長安にも匹敵する」と表現される。


2. 「神々の町」としての神秘性

 「この街は、人が作ったものではない。神々がここに住んでいたのだ」と住民が語る。

 ククルが「ここで何かが始まる」と予言する。


3. テオティワカン支配者との会談

 既に強大な力を持つテオティワカンの支配者と交渉する場面。

 彼らは陸遜たちを「遥か東から来た神の使者」と見るかもしれない。


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まとめ

 テオティワカンは、2〜3世紀時点で高度な都市文明を持っていた。

 ストーリーでは、「圧倒的な都市」としての存在感を持たせることが可能。

 陸遜たちの驚きと、ククルの予言を組み合わせることで、さらにドラマチックな展開が作れる。



Q.現代人にとっては、マヤの方が馴染みがある気がするのは事実ですか?


A. 現代人にとって、マヤ文明の方が馴染みがある理由

結論: はい、一般的にはマヤ文明の方が認知度が高い。


1. 「マヤ文明」はよく知られているが、「テオティワカン」は専門的

 「マヤ文明」は独自の文字を持ち、カレンダー(マヤ暦)やピラミッドなどが有名で、多くの人が聞いたことがある。

 一方、「テオティワカン」は高度な都市文明だったが、文字を残しておらず、知名度が低い。

 学校の歴史教育や一般向けのドキュメンタリーでは、マヤの方が取り上げられやすい。


2. 「2012年の終末予言」でマヤが有名に

 「マヤ暦の2012年終末論」が世界的に話題になった。

 その影響で、マヤ文明=「謎の高度な天文学・予言の文明」として注目を浴びた。


3. マヤ文明の遺跡は多く、観光地として有名

 チチェン・イツァ(ユカタン半島)、ティカル(グアテマラ)、パレンケ(メキシコ)など、多くの遺跡が世界遺産になっている。

 テオティワカンも遺跡として有名だが、「マヤの都市の一つ」と誤解されることもある。


4. ポップカルチャーの影響

 映画『アポカリプト』(2006)など、マヤ文明を舞台にした作品が多い。

 一方、テオティワカンは、あまりフィクションの題材にならない。


5. マヤ文明は「歴史の流れ」が分かりやすい

 マヤは多くの碑文を残し、王や戦争、年号の記録があるため、歴史を語りやすい。

 テオティワカンは支配者の名前すら不明で、歴史の詳細が謎に包まれている。


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ストーリーへの応用

1. マヤの方が「生きた歴史」として描きやすい

 マヤの都市国家には「具体的な王」や「事件の記録」があるため、ストーリーの肉付けがしやすい。

 一方、テオティワカンは「神秘的な超文明」としての描写が合う。


2. テオティワカンは「謎めいた過去の王国」として扱う

 「ここはかつて、神々の都市と呼ばれた場所……だが、誰が支配していたのかは分からない」

 ククルが「ここには見えない歴史がある」と予言的な発言をする。


3. マヤでは具体的な「対話」と「戦い」、テオティワカンでは「探索」と「謎解き」

 マヤでは「特定の王」と交渉し、同盟を結ぶ展開。

 テオティワカンでは「遺跡の壁画」や「地下神殿」の発見を軸にしたミステリアスな展開。


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まとめ

 一般的に、マヤ文明の方が現代人に馴染みがあり、ストーリーにも組み込みやすい。

 テオティワカンは「神々の都市」「謎の超文明」として、神秘的な存在感を持たせるのがよさそう。

 マヤは「具体的な王や出来事」が描けるため、物語の展開に向いている。



Q.アステカへの影響が大きかったことが、かえってその辺りと混同が大きい結果になったかも知れません


A. テオティワカンがアステカと混同されがちな理由

確かに、テオティワカンがアステカ文明と混同されるのは、アステカへの強い影響が原因となっています。その背景には以下のような要因があります。


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1. アステカがテオティワカンを「神々の都市」と崇拝した

 テオティワカンはアステカの時代(14~16世紀)にはすでに廃墟となっていたが、アステカ人はこの都市を「神々の都市テオティワカン」と呼び、特別な意味を持たせていた。

 アステカ人は「自分たちの文明はここで始まった」と信じ、聖地として崇拝した。

 その結果、アステカ文化とテオティワカン文化の区別が曖昧になり、現代人の混同を招いた。


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2. アステカがテオティワカンの宗教・神話を取り込んだ

 アステカ文明の重要な神々(トラロック、ケツァルコアトルなど)は、もともとテオティワカンやそれ以前の文明から引き継がれたもの。

 アステカはテオティワカンの神々を「自分たちの神」として再解釈し、神話を作り変えた。

 そのため、現代の人々がアステカの神々を見たとき、テオティワカン由来のものだと気づきにくい。


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3. アステカが「後継者」としてテオティワカンの文化を模倣した

 アステカの神殿建築はテオティワカンのピラミッドに影響を受けている。

 アステカの首都テノチティトラン(現在のメキシコシティ)の中心部は、テオティワカンの都市計画を模倣して設計された可能性がある。

 そのため、アステカ遺跡を見ても、テオティワカンとの違いが分かりにくい。


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4. アステカがテオティワカンのピラミッドを「改修」した可能性

 アステカ時代には、すでにテオティワカンの遺跡が残っていたため、アステカ人がそれを修復・再利用した可能性がある。

 「これはアステカのピラミッドなのか、元々のテオティワカンのものなのか?」という区別が困難になった。


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5. スペイン人による歴史の書き換え

 スペイン人の征服時(16世紀)には、テオティワカンはすでに廃墟だったため、彼らはアステカの文化の一部として記録した。

 その結果、アステカ文化とテオティワカン文化の違いが曖昧になり、混同が進んだ。


---


ストーリーでの活用

この混同を利用すれば、物語の展開をさらに深めることができる。

1. 「テオティワカンの神々」が後世で異なる形になっていることに言及する

 ククルが「この神々は違う姿で語られている……未来で何かが変わるのか?」と示唆する。

 あるいは、陸遜たちが「この神々はどこかで見たような……」と感じるシーンを入れる。


2. テオティワカンが「謎の都」になっていることを活かす

 陸遜たちが訪れたときには、すでに「かつて偉大だった都」となっている可能性がある。

 そのため、「過去の遺跡を探り、謎を解く冒険」としての展開が作れる。


3. トラロックやククルが「神々の変遷」を見て驚く

 ククル:「この神々、少しずつ形を変えている……何かが起こっているんだよ!」

 トラロック:「……私の名が後に残るとはな……だが、それは私ではないものかもしれない。」


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まとめ

 テオティワカンは、アステカ文明によって神聖視されたため、混同されやすい。

 アステカはテオティワカンの宗教・建築・都市計画を継承しており、違いが曖昧。

 スペイン人の記録が混乱を加速させた。

 ストーリーの中では「神々の変遷」や「謎の都」として活かせる。


 この混同を「意図的に使う」ことで、物語の伏線や神秘性を高められそうですね。



「一旦この辺にしておきつつ、話の落とし所を探していくのです。最初の仮説でそのまま行ってみましょう」


「そうだね」

 お読みいただきありがとうございます。

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