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百十 前夜 〜少女×(女神+水神+夜神)=宣戦?〜

 妾はショチトル。この北の地に夫神トラロックと訪れ、泉の国の実りを支えてからは、花と豊穣の女神、ショチケツァルと呼ばれるようにもなったのじゃ。


 その力と知恵が、この山奥の国、夜の神王テスカトリポカに目をつけられ、この者が妾を差し出すよう、泉の国に申し渡した時、妾の人としての生は終わりを迎えたと言ってよかろう。


 夫トラロックはどうにかして、一度は避け切ったその生贄の運命をもう一度逃れようと考えたが、此度は明らかに多くの民の命がかかっていた故、どうすることもできなんだ。


 生贄ともなると、残虐な儀式のように聞こえるかもしれんが、まあ扱いは丁寧なものじゃ。どうやら妾の知識を残すため、この月のピラミッドと呼ばれる神殿を増築するらしい。


 そこに残す碑文や紋様を定めるため、妾はそのピラミッドに添えつけられた一室に住まわされ、限られた数の少女の巫女の世話を受けていた。



 そんな時、どうやらいつもとは違う巫女が、妾の元に姿を現した。


「あなたがショチトルさんだね。その服の字は……なるほど。それは『消えるかも知れない知識』と言ったところかな」


「何者じゃ? いつもの巫女ではないな」


「まあそうだね。私はククル。南からあなた達を追ってきたんだよ。それで、あなたがやろうとしているのは、このピラミッドの奥深くに上書きされそうな、希少な知識をどうにか書き残す。そんなところかな?」


「そうじゃな。生贄としては、服は剥がれ、皮も剥がれ、そして残った身が焼かれると聞いている。ならば、なんらかの形でそこに描かれたものを残すことは出来ようと思っていたのじゃが……到底足りぬな。時も、書くものも」


「なんとまあ、大変な思いをしているんだね。その『上書き』というのは、やはりしないといけないものなのかな?」


「おそらく、古すぎる知識は不要と断じてきていたのじゃろう。今の神王テスカトリポカが、そこをどう考えているのかは、少し分からんのじゃがな」


「もしかしたらあの王も、知識を残そうとしているかも知れない。そして、すでにあなたが、その服や身だけでなく、碑文の本文にも、自分の知識と、昔の知識を合わせ込んだような文面を書いているのを、知っているかも知れない。そんなところかな?」


「なんと、見てきたような物言いじゃな。まあその通りじゃよ。だが、前の碑文、コアトリクエという名の生贄じゃな。かの女神がこの地、この都市計画の礎を築いたと言っても良い。そしてその子、ウィツィロポチトリが神王になった時、その力は大いに増し、国の拡大を図るようになった」


「そして、その後を継いだ、テペヨロトルは、力と知、そしてその伝承法の狭間で葛藤を抱えながら、外から力と知を取り込む術を、可能な限り推し進めようとしているんだね」



「そうじゃな。そのやり方が真っ当かどうかはさておき、志そのものは間違ってはいないのじゃ」


「やり方、だね。そしたら、やっぱり見つかったよ。これは本当に、紛れもない偶然だ。運命のイタズラと言ってもいい。今この時に何故こんなことが起こったのか。そこに因果も何もない。だけど、『ない』が、『ある』になったんだよ」


「……何を言っているのじゃ? それと、その大荷物はなんじゃ? 妾の食べ物や服を、期間分丸ごと持ってきたのではあるまいに」


「へへっ。気づいたね。これだよ」


「これは……布の束? それと、筆、じゃな」


「紙っていうんだ。ここに書いてみなよ」


「むっ、この碑文を書いてみるか……これは描きやすいの。この碑文など、一日もあればすぐじゃ」


「それと、これは文字の表だよ。この国の絵文字は、少し描くのに時間がかかり過ぎるし、少し大きく書かないといけない。だから、うまくその要素だけを取り出して、描きやすいようにしてみたから、それで書いてみな」


「うむむ……なるほど。これは確かに。こんなものがあったら、ここに残る碑文や絵文字など、そう時間もかけずにまとめ上げられようぞ。よもやそなた、その荷物、全てこの束が入っているのか?」


「そうだよ。描き終わったら書物、だね。とりあえず痛い思いをして自分の体に描く必要は無くなると思うから、落ち着いて書き進めてみてよ。時間はたっぷりあるからさ」


「……ああっ。これなら。だが、これが書き終わるころには、妾の生は終わる。それに変わりはないのじゃろうな。否。そこはもう決めたことぞ。まずはこれを書き上げることじゃ」


「それもどうにかなると思うから、まずは書いて待っていてよ」


「それも? うむ、そこは分からぬから、まずは書いておくのじゃ。それだけでも、ククルよ、そなたには感謝しかないのじゃ。これで多くの民が救われようぞ」


「うーん、まあいいか。じゃあまた来るよ」



 そんなことを言い置き、ククルという神々しき少女は去っていった。それにしてもなんと描きやすい、紙? と筆なのじゃ。これなら書き写している合間にも、また妾が考えたり、思うたりしたことも書けよう。それはまた別の冊子にしておこうかの。



 

 我が名はトラロック。水と嵐の神と呼ばれる、この泉の国の指導者。


 だが今や、その地位は過去のものといえるかもしれん。陸遜らに言われ、この地の勇士達五百人を集めたところで、まずそれを、二百が二つと、二十が五つに分ける。そしてその二百の一つを我が、二十の一つを丁奉が選び、この平原で演習を始めたところから、我らの長い夜が始まった。


 何故勝てぬ。十倍の兵で囲もうとしたら、その一箇所を破られて各個撃破され、正面から圧し潰そうとしたら、さっと二つになって避けられ、側面の両側から倒される。


「ちっ、前がつかえて、攻撃できねえ」


「倒された奴が邪魔で、横を突くことも出来ねえ」


「これ本当に、事前に指示を出されているだけなんだよな?」


 組を変えて、多い方を我や勇士の長が率い、少ない方を丁奉や曹植が率いる。


 流石に五回ほど繰り返すと、どうにか勝てるようにはなってきた。そうか。向こうのやることをつぶさに観察すれば、予想はできるようになってきているな。


「トラロック殿、ある程度『戦術』と言うものの力はわかるようになってきましたかな?」


「はあ、はあ……ああ、痛いほどな。だが中身はまだまだってところだ」


「それは座学と演習を繰り返せば、数日である程度は身になりましょう。そうしているうちに、ククル達が戻ってくるでしょうから、そうしたら本格的に行動を開始します」


「それで、あのチビの星読み、管輅、と言ったか。あいつと、巨人の兀突骨はどこへいったんだ?」


「彼らは、別のことをしてもらっています。紙、そして文字と言うものの力。それを皆に伝えているところです。西の国に伝わる様々な伝承を読み聞かせたり、島国の民の持つ、星読みと操船の知識を語ったり、子供らに文字を教えたり、ですね」


「ああ、兀突骨に、子供らがよじ登っているな。あいつの心優しさは、子供にはすぐわかるのだな」


「そうですね。さて、そしたら本日の仕上げです。私がお相手しましょう。三十でいいです。そちらは全員で」


「はあっ!? 十五倍以上じゃねえか」


「言ったでしょう。兵を率いるのなら、私が最も強いと。一度天井を知っていただきます」


 こいつら、本当にどこまで……


 そうして、三十の集団は時に三つほどに分かれ、時に一箇所に集結。隙があると思ってそちらに迎えば、深々と入りすぎてその側面を両側から突かれる。堅牢な陣を両側側面から突けば、かわされてこちらの両軍がぶつかってしまう。


 そして気づいた頃にはこちらの全員が、「脱落」状態となっていた。


「なんなんだこれは……」


「私も未熟にて、本土には私が三倍で相手しても勝てぬ方もおいでなのです」


「それは人なのか?」


「さあ、確かに彼らも、軍神、あるいは智神と呼ばれることもあったかも知れません」



 そして我らは月が一回りするほど訓練をした後、陸遜らの提案に応じ、ムトゥルから、半島の西岸まで移動した。おそらくククルの読みで、合流は十分に叶うだろうという算段だった。


 そうして半島から少し進んだ沿岸の集落に滞在していると、関平と張嶷だけが帰ってきた。


「あれ? ククルは?」


「置いて来ました。ショチトルと話をしながら、少しずつ国の中を変えていくような動きをしていますね。まあ彼女なら捕まったりはしません」


「つまり、必要な情報は全部持って来て、行動計画に起こせる。そう言うことだな」


「そうですね。具体的な戦術、そしてそれを勝利に結びつける、戦略をお見せしましょう。あなたも何冊か読み切ったので、ご理解はいただけるかと思います」


「戦略……」




 我が名はテスカトリポカ。夜の神王と名を受けし、この神の都の現王。


 どうやら、小鳥が一羽、我らが女神の元に紛れ込んでいるようだ。あまり悪いことをしているようには見えなんだから放っておいたが、なんとそやつ、向こうからやってきおった。


「あなたが夜の神王テスカトリポカだね」


「ちょこまか何をしているかと思えば、自らこちらに来るとは。なんと言う大胆不敵か。いかにもテスカトリポカだが、何の用だ?」


「あたしはククル。南のモチェから、神と女神の元へついて来た。そしてカンという国からやって来た知者達とともに、生贄という、この地をダメにする風習を、根絶するためにやって来た」


「ククル、そしてカン。生贄の風習は、簡単には消えんぞ。力の優劣を示し、知恵を伝承し、そして神へと至った過去の英霊と対話する。それは単なる儀式ではない。我らにとっては国を治めるのに必要な『まつりごと』に他ならん」


「知恵の伝承、それは本当に生贄の儀まで必要なのかな? 知者が碑文に書き残す行為。そこでもうその役は終わっているんじゃない? それになにより、一度その大業を成した神、つまり過去を読み、己が知を書き上げ、まとめ上げた人こそ、また誰よりも新しい知を生み出す可能性が高いんじゃないかな?」


「新たな知、だと……過去の英霊との対話を、また人の世に戻す? そんなことを、過去の神は許すのか?」


「許すか許さないかはわからないよ。でも、『それをしたから神罰が降った』例は、一度としてない」


「むむ」


「つまり、過去の碑文を皆で参考にして、また新しい知識を生み出すと言うこと自体が行われてこなかったこと。それが、儀式の合間にそれを見る神王や、その近しいものだけに出来ていたから、その知識の伝承が『神による伝承』と思われ続けている。そんな可能性はないかな?」


「くくっ、貴様はそこに気づいたか。確かにその通りなのかも知れんな。我や先代、ウィツィロポチトリはそこに気づいた。だからこそ、その伝承を伝承のまま続け、知識をその王家に集める手としても、この儀を使っていると言っても良い」


「知っていたんだね。そんな気がしたんだよ。だから隠れるのをやめて、あたしはあなたの前に姿を見せた


「そうか。だがそれを知って、貴様らはどうするんだ? やめてくれ、知識を皆に見せてくれ、と懇願するか? そんなことをしたら、世の秩序は乱れ、争いが広がるかもしれんぞ? だからこそ最初に行った、力の優劣の定め、があるのだよ」


「アハハ! そうだね。そうしないと、あなた達はそれを保てないからね。だけどね。それは今日までだよ。そんなことをして保った力なんてね、より大きな力には簡単に蹴散らされる。つまり、あなたたちは、井戸の中に生まれたカエルでしかない」


「何だと? 我らを狭い世界の王気取りだというか?」


「そうだよ。それを見せてあげるよ。このククルとカンの力、羽の生えた蛇の力。紙と書物、知識を広げる力によって、あなた達を、井戸の中から大きな世界に引っ張り出してあげるんだよ!」


「何を……やってみるがいい。こんなところまで来るのに、大した数もおらんのだろう? ここで貴様を捕らえるなどと、野暮なことはせん。あの巨人とやらの元に戻り、せいぜい足掻いて見せよ。さほど時は残っていないぞ。ショチケツァルも、おおよそ碑文を写し終わっているようだからな」


「やはり知っていたんだね。まあいいや。あれが『力』の源さ。その『力』の結実を、あなた達は思い知ることになるよ。じゃあまた会おうね! 『夜明け前の神王』さん」


 夜明け前、だと……最後まで無礼な小娘であった。

 いいだろう、ククルカン。羽の生えた蛇の神よ。我らが誠にカエルか、それともジャガーの牙を持つ神王か、見せてやろうではないか。

 お読みいただきありがとうございます。

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