百四 海橋 〜(陸遜+少女)×首長=赤子?〜
後に「海の橋」と呼ばれることを望み始めた、二つの大陸をわずかに結び、二つの海をわずかに隔てる地。私陸遜は、関平殿と何度も、その北岸のクナと南岸のパナマ、二つの集落を行き来するようになりました。
その間、他国の言葉を習熟するのに長けた丁奉と、多くの民族との融和を為してきた兀突骨が、主に北岸のクナで現地人と対話を図ります。曹植殿は南北の歌舞を眺めながら、少しずつ増えて行く紙に対して、これまでの道中をまとめる壮大な叙事詩を書きつづっているようです。
「ここまでの道中も相当に濃厚な旅路です。しかし、これから先の北の国での出来事は、それを全て合わせても足りないような、そんな予感もして来ています。ですから、これまでのことは、陸遜殿や丁奉殿がそれぞれ書き連ねる日誌と共に、ここを出る前におおよそ完成させたくはあるのです」
なお、曹植殿の叙事詩はあまりに壮大すぎるので、無論私や丁奉らはそれぞれ簡明な形での航海日誌を書き溜めています。
そして船団の技術を統括してきた張嶷は、現地のカヌーを遠距離航海に耐えうる補強をしつつ、紙作りを現地に根付かせます。凌統殿が南の山麓の国モチェから何名か連れてきて、紙作りをともに教え、二つの地で紙を作れるようにし始めます。
管輅やククルは、彼らがもつキープという記録術を紙の上で活用する方法を考案し始めました。紐の色、結び目の位置、形状を使って数値や状況を表す手法で、それを応用すれば、少ない紙面で多くの情報を伝えることができそうです。
「紙、キープ、現地の文字、そして漢字と仮名を混ぜた表記。うまく全部組み合わせれば、たくさんの知識を皆んなで分かち合って、みんなで残せるはずだよね」
「そのはずです。キープだけでは、数や算術の情報は残せますが、会話や伝承を残すのは難しい。文字はそれに長けていますが、碑文や皮ではそれが限られるのと、技術や数値記録の伝達には課題が残ります」
「ねえねえ、漢にはどれくらいの本があるのかな?」
「数えたことはありませんが、思想の源流になる諸子百家の残した主要な書物があります。治世の術や法、道徳や哲学、兵学や言論術、詩文や天文易学、さまざまな技法や処世術。それらの原典が時に詳しく解説され、時に新たな視点が加わり、千年近くをかけて膨れ上がりました。
さらに、史記や漢書といった司書や、各地の物語や伝承。その全てを読み切るのは、一人の人生では到底間に合わないくらいには、多くの書物であふれかえっているかと思います」
「そっか。そんなにあるんだね」
「一気に増えることになったのは、百年ほど前に、今の形の紙が成立してからなのかもしれません。それまでは、希少な紙や、重い木簡竹簡に対して、限られた原典が保存される形だったかと」
「それでも、長い時間をかけて、できるだけ保存するように、昔から心がけているんだ」
「遠くのローマの地では、アレクサンドリア図書館という巨大な書庫があり、十万冊とも五十万冊とも呼ばれる所蔵があったとか。ですがそれも、記録する媒体が限られており、新しい知識や論述が次々に増えるにつれ、その所蔵を省みる文化が廃れつつあるとも伝え聞いています」
「ええっ!? せっかくそんなに沢山集めたのに? 昔のことだって、しっかり見直して、また考えを整理しなおせば、新しい考え方の価値もちゃんと分かりそうなのに」
「温故知新、という考え方が、漢にはあります。国で大きく採用された儒の教えの一つなので、皆しかと心に刻んでおります。古い考えを見返すからこそ、新しいものが生まれる。西の国では、それがどう考えられるのか、そしてそれが未来にどうなるのか。それを占うのは少し怖い気も致します」
「そうだね。ちょっと怖いね。あたしたちの国の行末は、いつも見定めたいと思っているんだけど、他所の国を占って、いちいち気にするのも良くないからね。とは言え、いつかどこかでそれが交わることを考えると、頭の片隅には入れとないといけないのかな」
若き二人が、やたらと老成した対話を続けています。三月もそのようなことを続けていると、互いの星読みの力や、文化や歴史への理解は深まり、より高度な話へと昇華されて行くのでしょう。
そんな高度化が進んでいく会話の中で、少しずつ始まってきたのが、「北の国で、何をどうするべきか」という話題です。今日は南岸のパナマで一息つく私と関平殿、曹植殿、ククル、管輅が集まり、そんな話題に興じ始めます。
「ククル、あなたには、どこまで見えているのでしょうか?」
「うん、管輅君とも相談しながら、パナマやクナの人とも話をしながら、少しずつ分かってきたこともあるんだよ」
「星読みだけではない、あなたの情報収集の力、ということですね」
「そうだね。北の国では最近、嵐の影響で実りが悪い年が続いていたんだ。南から来たトラロックはその時、嵐が来るから種まきはもう少し待てと提案した。半信半疑でそれを受け入れた人は、数日後の嵐を逃れ、無視した人は、種が流されちゃったんだよ」
「トラロックは星読みなのですか?」
「完全にそうとは言えないんだけど、暦に関する知識があって、特に天気とか水、農業に対してすごく考える人なんだと思うよ。それに、その話はそれだけじゃ終わらないんだよね。
「終わらない……信じた者が助かって、信じなかったものが困った。そういう話ではないということですか?」
「うん、そうなんだよ。その国は、実は大きな河が近くになくて、地下水や泉がたくさんあるっていう、不思議な場所なんだ。そんな土地だからできたことなんだけど、嵐の後で、流されちゃった種がたくさん集まるところを、ショチトルが見つけ出したんだよ。ダメになっちゃった種もあるけど、何とかなったのもあって、その結果、全体としてだいぶ実りがよくなったんだ」
「なんと……」
「それに、花の咲き方なんかを見ながら新しい地下泉を見つけたり、嵐が来ても安心できるような丈夫な石組みを作ったりと、だんだん二人の存在が、その国にとって欠かせないものになっていったんだ」
「それなら、嵐と水の神、そして花と実りの神といわれるのもわかる気がします」
男女二人が、流れ着いた異国を救うために力を尽くす。そんな二人がいたら、その地の民は神として扱うのもおかしくはないのでしょう。
「そうかもしれないね。だけどそんな中で、一つ大きな問題が起こりそうなんだ。さらに奥の国。そこは強い力をもった国。彼らは、その二人の噂を聞きつけたのかな。二人の力を欲しがっているみたいなんだ」
「連れ去ろうとしているんですか?」
「それならまだましかもしれないよ。もしかしたら、ショチトル、いや、もうショチケツァルといった方がいいかな。彼女を生贄にしようとしているのかもしれないんだよ」
「生贄に? 力が欲しいのだとしたら、そんなことをしても意味はないはずですが」
「多分、そういう考えなんだよ。優れた力を持つ人が他国にいたら、その人をとらえて生贄にする。そうすれば、自分たちの地の神が、その力を、自分たちの国に授けてくれる。そんなことを考えているみたいなんだよね」
「なんと……それは、せっかく助けてくれた地の民からすると、相容れないのではありませんか?」
「そうだね。でも、力に屈してしまうかもしれない。差し出す形かもしれないし、抵抗しきれない形かもしれない。そんなことが、迫ってきていそうなんだよね」
それが、あと数月で、どうなるかわからない状況にある、ということですか……だとすると、急いで準備を固めて、北に向かう必要があるのかもしれません。
「差し迫った状況だということは、わかってきました。だとしたら、どのようにして、二人を救い出すか、だけではなくて、その国そのものを助けられるかを考えなければなりませんね」
すると、ほとんど私とククルが話すのにまかせっきりだった関平殿が、口をはさみます。
「ある程度現状が分かってきたのであれば、あれが使えそうだな。陸遜殿も、ご存じではないか?」
「ん? あれ、ですか……ああ、確かにあの手法なら、今の状況を打破するのに最適かもしれません」
「わが同僚の周倉が、小雛殿の薫陶を受けて仕上げた、『周倉式』目標管理術。今ならそれが最も整理しやすいだろうな」
「そうですね。わかりました。やってみることにいたしましょうか。どのように書き出すか、ですが……」
そこで曹植殿が、なにやら重たそうに、何かを持ってきました。
「これが使えるかもしれません」
「何でしょうか? 大きな黒っぽい石板と、白い石、ですか?」
「この石灰石でしょうか。これと石板を合わせると、石板に白い字が残ります。そして字は、布でこするとすぐに消えます」
「おお! これなら、書いてすぐ消して、書き直せるんだね! 石と石なのに、こんな便利な使い方があるんだね!」
「以前は、木枠で囲った砂の盤上でやっていたんだが、確かにこれなら、より細かく書いて直して、ができるぞ。曹植殿、どこで見つけたんですか?」
「ああ、これは、クナの方で子供たちが絵をかいて遊んでいるのを見かけたのです。それぞれの石は、川をへだてた両岸にあるようで、うまいこと使うことができそうですね」
「それは良いものを見つけましたね。もしかしたら、もう少し大ぶりなものを見つけたり、加工したりすれば、手習いや、様々な話し合い、設計などにも使うことができそうです」
「小さなものは、それこそ読み書き手習いなどに使えそうですね」
ありがたい筆記具が見つかったところで、改めて目標設定を進めようとします。ですがそんなところで、部屋に入ってきた者がいました。
「その話、少し待ってもらえますか?」
パナマの長、そしてクナの長です。そして、クナの長が抱きかかえているのは、二歳に満たない赤子、でしょうか。
「む、長のお二方。お話を聞いておいででしたか。その子は?」
「この子の話をしたい、です。この子、は、水の神と花の神の子。名を、マヤウェルといいます」
「マヤウェル。酒の原料となる花の名、です。豊穣をもたらし、生命を表す名、でもあります」
「その子がここにいるということは……」
「はい。二人は、一度クナの地へ戻ってきたことがある、です。その時に赤子であったこの子を、私たちに託し、また戻っていきました。理由はおそらく、奥の国の手からこの子を逃がすため、です」
「二人には、ある程度未来への覚悟があるかもしれないです」
「そっか……未来に対して、ちょっと割り切った形の覚悟、なんだね。だとしたら、この子の未来も、救いたいことになってくるね!」
ククルがそう宣言すると、同調するように、それでいて、ある意味星読みらしい提言をします。
「この子を託し、ある一つの未来を見定めた、トラロックとショチケツァル。それは明らかに、『幸せではない未来』でしょう。そして、ククルの予測を借りた言い方をするならば、その破綻は二人の破綻だけにとどまる話ではありません。それが未来にわたって生贄文化を残し、この地の南北にいくつもある国同士の、長き断絶のはじまりとなる。だとすると、『この子を託した』未来を打破することができれば、『二人の神が見定めた』未来をも、書き換えることができる。そんな可能性はありませんか?」
「誰かが見定めた未来を打破することで、その根本となる未来を書き換える。そういうことなのかな管輅君?」
「そうですね。因果というのはどのようにつながっているのか、終わってみないとわからないこともあります。であれば、二つの因の片方を打破する。つまり、この子を安全な形で親元に返せること。それこそが、二人の未来、そしてこの国々の未来。ひいては我々を含めた世界の未来を、大きく変えていくことになるのかもしれません」
「因果の連鎖……一羽の蝶の羽ばたきが嵐をおこす。そんな伝承もあったかもしれないよ。管輅君、あなたの言う通りかもしれないね」
「だとしたら、目標設定に関しても、このマヤウェルを親元に返す。それを大きな道筋にしてみましょう」
そう、この地においても、『周倉流』目標術が、幕を開けることになりました。
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