百三 海橋 〜(陸遜+少女)×首長=架橋〜
この陸遜が提督として東の海に舳先をむけてから半年余り。五カ所に拠点を築いております。台湾、呂宋、グアム、サモア、そして南の国。そこに、もう一つ加わることが、おおよそ確定したと申し上げてよいでしょう。
このパナマという地は、この世界全体を見ても、あまりに特異な地。山の背骨を持つ二つの大陸をわずかにつなぐ地の峡にして、川や湖を介して容易に南北の海を行き来できる地。現地の民と語らい、彼らを尊重する形で、この地を、南北の国を、そして東西の海をつなぐ大海の橋として、安寧と発展をもたらすことが肝要とみてよさそうです。
「南の国は、あの神と巫女は、『モチェ』と呼んでいました。彼らの言葉で、『祖先』を示す語です」
「なるほど。それなら彼らにとっても受け入れやすい名でしょう。便宜的にそう呼んでおきましょう。北の国はなんと?」
「北の国も、なんと呼んでいるかはわかりません。ムタル、あるいはカーンと名乗ることが多いですが、おそらくそれは、彼らの国の中の、町の一つに過ぎないです」
「もしや、彼らにとって、自らのいる地こそが世界。そういう考えなのかもしれませんね」
「そう、かもしれません。ですが、少しずつ外の世界が見えてきつつある。このパナマとクナだったり、北の国のさらに奥にも、国があることを最近知ったといっていました」
「彼らは、星読みによって世界の大きさを知りながら、自分たちのいる地の外に出ることがあまりというこなんですね」
「国としてはあまりないのでしょう。カヌーはあるので、まったくないわけではないかもしれません。例えば生贄から逃れようとしたり、戦いに敗れて逃げたり。ですがそういう人は戻っては来ません」
やはり、この話題になると、ククルはかなり敏感になります。
「北の国でも、その文化はあるんだよね。そしてそれは南と同じで、世界の大きさや、自分たちの住むところの大きさが、関係しているかもしれないんだね」
「南の国モチェは、高い山と海に囲まれた狭い地。川があるとはいえ、棚田を作らねばならないほどに狭い土地です。北の国はどうなのでしょう?」
「大きな川がないと聞きました。代わりに、湖がたくさんある、と言っていました」
「川がないとすると、水が不足するのかもしれませんね」
「人をたくさん養えるだけの土地や食料、水が足りないとすると、人を増やして育てようという気がなくなっちゃうのかもしれないよ」
「人が増えても、これ以上自分たちの国が発展しても、すぐに頭打ちになってしまう、ということですね。それに、外を知らず、外に敵がいないから、人を増やして国力を高めるという、西の大陸の常識が通用しないのかもしれません」
ククルや、パナマの長はともに、生贄という文化に対する何らかの忌避感を持っているようです。それをどうにかするために、この地の発展、そして国同士の往来が重要かもしれない。そう思い至ったことで、この地をどうするかという問いの答えは出つつあるようです。
「このパナマとクナの地が、南北の海、東西の大海の架け橋になれば、状況が大きく変わるかもしれないのですね」
「ククルも、長も、それを望みますか? 私たちも、新たな地、新たな国同士の交流を望みます。なので、もしあなたたちがそれを望むのなら、私たちはこの地を『海の架け橋』として発展させる支援をしたいと考えます」
「はい。それは、とても面白いです。ここの民は、海や魚と向き合うだけの一生を、あまりよいものだとは思っていないかもしれません」
「うん、この地が、北と南、東と西をつなぐのなら、それはこの世界にとって、大きな光になるんだよ」
二人とも、その意思は強いようです。ならば、一度南の国、モチェに戻る者と、ここに滞在する者に分かれましょう。そして、対岸の地、クナにも向かうこととしたいと思います。
「クナへ行くのなら、私が案内します。クナの長とは、何度かあったことがあります。少しだけ話が通じるので、少し助けにはなるかもしれません」
「丁奉、曹爽は一度南へ戻り、凌統殿らに伝えられますか? くれぐれも嵐にはお気をつけて」
「しばらく嵐はないと思うから、今のうちだね」
「承知しました。一度戻り、仔細を伝えたら、こちらに戻って、張嶷殿とともに拠点づくりをいたします。この地の言葉も、モチェに近いので、私でも遠からず操れるようになりそうです」
「さすがですね。あなたは『言葉から成り立った人工知能』の小雀殿ほどとはいきませんが、ずば抜けて異国の言葉を覚えるのが速いですからね。そして張嶷殿、紙づくりも、滞りなく進められるとよさそうです。おそらく紙は、北と南の国をつなぐ、もう一つの橋になると、確信しています。よろしくお願いします」
「任せろ。ここの漁民の作る網や釣具を見ると、どうやら結構繊細な手先をしていそうだ。これならそれほど時を掛けずに、慣れてくれるかもしれないぞ。それと、この地のカヌーは、遠洋での航海には向いていなさそうだ。折をみて、そちらの改良も進めてみるよ」
「それは大変助かります。ですが無理はなさらぬよう」
「あいわかった」
こうして少し人数を絞った私達は、この地の民が持つカヌーで、川を下ります。そのたいそう穏やかな道中は、『海の橋』の可能性をより確かなものにするようでした。
「いつの日か、この小山の間を切り開く力を私たちが持てば、まことの『海の橋』を作ることもできるかもしれません」
「そうかもしれませんね。いつの日か、人々は、より大きな船で、北と南、あるいは東と西を行き来し、より大きな人と荷を運びたいと思うようになるのかもしれません」
「その時まで、その道をふさがないように、その道をきれいな道にしておくのがいいのでしょうね」
「それがいつになるかは、どんな星読みをしてもわからないよ。でも、いつかそんな日が来ることだけは、星読みをしなくてもわかる気がするね」
そんな語らいをしつつ、夜が明けると、そこには、明るい翡翠色の海が広がっていました。そして、その東岸には、あまり大きくはない集落が目に入ります。
「パナマ、の、長、か。久しい、な。前は、トラロック、が、通った。この人たち、は、誰だ?」
遠からず小雀殿が、言葉を解するでしょう。私でも、断片的には、聞き取れそうな単語がいくつかありました。特に、パナマ、そしてトラロック、という言葉は、明確に耳に入ってきました。
「西から来た、違う世界の、民です。北へと行きたいが、その前に、このクナの人たちとも、話ができることを望んでいます」
「わかった。言葉が違う、が、話せば、いつかわかる。ショチトルも、そう、だった」
「トラロック、ショチトル。知っているのですか?」
「トラロック、水の神。ショチトル、花の神。北の、大きな国に向かった。二人は、北の国も救う」
思った以上に、二人の足跡はすぐに見つかった、ということがいえそうです。
『陸遜殿、多分ここの人たちの言葉をしっかりと覚えた方がいいんだよ。ここだけの独特な言葉だとは考えにくいからね。北の国の言葉と、完全に一緒ではないんだろうけど、似ているのは間違いないだろうからさ』
「ククル、どれくらい時間がありますか?」
「半年は問題ないと思うよ。それを過ぎると、少しずつ怪しくなってくるんだ。ショチケツァル。なぜかその名で呼ばれ始めた女神は、北の国のさらに奥の国と、何か難しいことになり始めているのかな」
「何が起ころうとしているのか、正確なところはわからないのですね」
「そうだね。だけど、このままの未来を野放しにしてしまうと、その奥の国、北の国、この海の橋、そしてモチェ。それぞれの地はすべてばらばらになって、特に北の国は、その中でもばらばらの状態で、千年先を迎えることになる。そんな未来が、なぜかあたしには見えるんだよ」
「それは、どう考えてもよい未来とは言い難いですね」
「南の国、北の国は、それぞれある程度の発展を遂げる。でも、千年以上先に、それぞれの地で、それぞれの国が最盛期を迎えたころ、生贄の文化が、決定的な破綻を招くことになる。そんなおぼろげな未来像が、あたしの中にはあるんだ」
「生贄の文化が停滞を招き、そしてその停滞を乗り越えた後でもその文化が続くとしたら、社会は大きな軋轢を抱えたまま発展することになりそうですね」
『白起の四十万、漢土の大きな「生贄に近い文化」は、そこでようやく終わりを迎えた。始皇帝は生前の焚書坑儒が有名だが、その死に際しては、人の殉死ではなく、兵馬俑、すなわち人馬をかたどった土器が使われたんだ』
「生贄はなくなったんだね」
『完全にとは言わないけれど、大々的にはなくなったといっていいね。それはやはり、人の数こそ国力。そういう考えが強く根付いたということでもあるんだよ。それはおそらく、西のローマやペルシャでも同じなのではないかと考えられるんだ』
「そのローマ? かはわからないんだけどね、さっきの北の国と南の国は、ここから見たら東からくる、強くて賢い者の力で、最後は破綻に追い込まれる。そんな像もあるんだよね」
「ローマか、それとも千年先の、いかなる国か。そこまではあずかり知らぬことではありますね」
「そうだね。そっちはあたしにとっても馴染みがなさ過ぎてわからないよ。もちろん、北の国も南の国も、どちらの国も、十分に大きく、強い国になっているんだけど、一つの国ではなく、ばらばらの国なんだよね」
「ばらばら、ですか。先ほどの『いくつもの国がばらばら』と言っていたことですね』
「そうだね。それで、生贄という文化は『豊穣と国の維持を願う儀式』から、『敵対者を使った因習』に変わっていくんだよ。だから、そのばらばらなところを、その賢い者が巧みに操って、すべてを手にしてしまう。そんな未来だね」
なんという壮絶な未来。南からやってきた我らも、パナマの長も、そしてあまり理解はできていないクナの長すらも、その話の雰囲気にあてられ、陰鬱な気分になります。そんなときに、言葉を発したのは、故郷でも卜占に長け、サモアでその腕をさらに磨き上げた若者、管輅。
「その未来は、私たちの訪れで、その像を乱し始めている。ククル殿、そういうことですか?」
「そうかもしれないんだ。さっきの未来が、少しずつぼやけ始めているんだよ。それはあたしにとって、ずっと見続けざるを得なかった悲しい未来からの解放。だけどそれと同時に、今を生きるあたしや、声をかけてしまったここにいる皆さんにとっては、過酷な試練になるかもしれないんだよ」
「そんな未来を見させられていたら、どんなものにもすがって、変えたくなる。それは、未来を少しでも垣間見ることのできる星読みとして、正しき行いと存じます」
「俺もそう思うぞ。南蛮でも占い師や、術師はたくさんいたが、みんな悲しい未来を変えるために必死になるんだ。それは人として、正しい心なはずだ。俺は強い。俺たちはみんな強い。だから大丈夫だ。ククル、俺たちは試練なんて怖くない。頼れ」
「管輅君……兀突骨おじさん……ありがとう。皆さんが少しでも大変にならないように、あたしも全力で頑張るよ!」
そうして、三月あまりをかけて、我々は北の国に向かう前の準備を整えます。パナマ、クナの言葉への習熟、両側を合わせた拠点形成、紙づくり、カヌーの補強と、やや多くの課題を一つずつ解決すると同時に、北の地で待つ試練への考察と、それに向けた準備を、着実に進めていきました。
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