九十五 国家 〜(姜維+鄧艾+費禕)×幼女=??〜
アンティオキア。ローマ帝国第三の都市にして、地中海東端の地。メソポタミアが目と鼻の先なため、常にペルシャの脅威にさらされる。だからこそというべきか、さまざまな文化が混在し、高度に共存している。そんな言い方が正しそうな街並み。
この街は、絹の道の最終地点と呼ばれることが多いとされている。この先は一つの国だから、というのが最大の理由だろうか。だが当然ながら、我ら漢人三人にマニを加えた四人の旅は、もうしばらく終わることはないと見られる。
いつも通りに鄧艾が騒ぎ始める。費禕は門兵を説得するのに疲れたからか、今にも寝そうな顔だ。外で出会ったザッバイ、ゼノビア父娘は、宿までの案内を買って出てくれている。
「こ、これがローマなのか? ペルシャも混ざっているが、いろいろ違うのが混ざっているぞ」
「この街は、ギリシャ、ローマ、ペルシャ、エジプト。色んなところの影響を受けて、それが混ざり合ったような街になっているんだよ!」
「建物同士が密集しているな。鄧艾、迷子になりそうだから気をつけろ」
「えへへ、私じゃなくてトトガイウスを心配するんだね!」
「当然だ。こいつはほっとくとすぐどこかへ消えるからな。最初の拠点を決めるまでは我慢してくれ」
返事の代わりに、関係ない話が始まる。実際の迷子だけでなく、話題もよく迷子になる。
「なあ、レンガにヒビがある建物が多くないか? レンガの作り方下手なのか?」
「あー、これか。レンガ自体は、ローマやペルシャから、良い作り方を学んでいるはずなんだけどね。それに、たまに石にもヒビがあるでしょ?」
「ああ、本当だ。石は下手ってことはないぞ?」
「そうだよね! 石は誰が作ってるのさ? これはね、地震の影響だよ」
「地震、か。蜀では結構あったな。大きいとうまく歩けなくなるくらいだ」
「……ん? 地震か?」
「どうした費禕?」
「あ、今ちょっと揺れた」
「え? 本当に? あ、きゃっ!」
費禕が寝ぼけていたわけではなかった。確かにこいつは最も長いこと蜀の地にいたからか、地震に対する感覚が鋭敏だったのだろう。揺れはさほど大きくはないのだが、レンガや石造りの建物が、随所で異音を挙げている。
「とりあえず建物から離れて、無理に立とうとしないでください」
「う、うん! わかった!」
住民も騒ぎ始めているが、揺れは程なくおさまる。被害が出るほどではないようだが、明らかに不安そうな声が随所から聞こえてくる。
――もう一回大きいのが来たら、うちはもうダメかもしないぞ
――見てよこのヒビ! また大きくなっているじゃない!
――建物が密集しすぎて、崩れたり火事になったりしたら逃げられないぞ
街の人たちは、地震をかなり怖れているようだ。
「レンガや石は、難しいかも知れないぞ」
「トト、そうなのかい?」
「ああ、火や風、武器に対してはレンガや石の方が強え。だけど、地震に対してだけは、木の柱がしっかりあって、それで屋根とかを組んだ方がいいかも知れねえな」
「この地域だと、アーチなんかを使って、できるだけ丈夫になるように建てられてははいるし、地震をかなり強く意識はしていそうだよね」
「でも、根本的には難しいんだろうな。だから長安や洛陽も、城壁や一部の高台以外は、できるだけ木造にしているんだ」
「え? 木の方がいいの? 木の方が弱いって思ってた!」
「軽いっていうのもあるんだけどな。曲げたり引っ張ったり、という力には、意外と木の方が耐えることがあるんだ。地震で木が倒れることってあんまりないだろ?」
「う、うーん、確かに聞いたことないかも! それに、港町なんかは木で作る家も多いけど、そっちはそんなに被害が多くないこともあるよね」
「港は、津波という別の恐ろしい問題があるから、それはそれで気にしないといけないんだけどな」
「そうか。パパも何回か地震の被害については調べているんだっけ?」
「ああ。百年以上前に、この街は壊滅的な被害を受けた。かのトラヤヌス帝自身も怪我をし、二十万人くらい犠牲になったと聞いているよ」
「に、二十万って、半分くらいじゃない! 地震ってそんなに怖いの?」
「うーん、た確かにた大変はた大変だが、そこまでじゃねえはずなんだけどな……や、やっぱりこのま街並みがよくねえのか」
確かにそうかも知れないな。しっかり考えてみる必要がありそうだ。私も話に加わっておこう。
「ザッバイ、その、トラヤヌス帝の時の話って、どれくらい残っているんだ?」
「ああ、それなりに詳しく残っているぞ。まず、地震の後で、海が襲ってきた。普段の波とは全然違う、海そのものが襲ってきたとある。山に近い方の家屋以外は、そこで大きく崩されたらしい」
「そんなことがあるのか。鄧艾聞いたことあるか?」
「え沿岸の地震だと、確かにそういうことがあるらしいぞ。だがか漢の本土でもほとんど記録が残ってねえんだ。唯一あるとしたら、倭国くらいじゃねえか? あのひ卑弥呼なら、何かを知っていてもおかしくはねえ」
「ワ? ひヒミコ?」
「流石にゼノビアが知るわけがねえな。俺たち住んでいた漢は、すごくでけえ国だ。西から東で一月かかることもあるかも知れねえくらい。そして、そのさらに東には海が広がっているんだが、そこには島の上に国があって、女王が治めているんだ。知識も深くて、占いもする。多分あいつなら、海の地震の知識もあるんじゃねえか?」
「女王、卑弥呼。確かにあの人なら、そんな記録を持っている可能性はあるか。その海の襲来は、すぐには対策できないが、長い期間をかけて、東西の交流をより深めていく意味がまた一つ増えたな」
「そして海が元に戻った後も、建物が壊れたり燃えたりしている中で、多くの人が、逃げられなかったらしい。そんな記録が残っているにもかかわらず、やはり目の前の戦争だの生活だのにとらわれて、この街の災害対策を具体的に進められないっていうのが、その地震から百年以上経った今の状況なんだよ」
「なるほどな。次にくる大きな地震がいつなのか。それは誰にもわからない。ここの民や執政官たちにとっては、戦争の方が喫緊の課題だ。だが少しずつでも、災害への備えをどうするか、って話を始めていかないといけないだろうな」
「確かにそうさ。百年前の災害はいつかまた必ず起こる。いざその状況に巻き込まれた後で、対策が不十分だった為政者を民が恨むくらいなら、今のうちに皆に、思考を続ける手をわずらわせた方が何倍もいいことなんだろうよ」
この災害対策は、今できる備えの話と、それだけでは足りない話が混在してしまっている。間違いなく大事な話なのだが、少し時をかけて整理するのが良いかもしれん。近隣住民も、我らに釣られて頭を抱え始めたし、到底立ち話で済ませられる話題ではないな。
――戦いから守るなら、レンガや石の建物が密集していた方がいいけど、地震で一気にだめになる
――戦いだって、最悪逃げないといけないことだってあるぞ?
――海が襲ってくる話、うちの爺さんが何か知っているかもな
民が民なりにものを考える、か。これはあまり漢土では見かけない風景。民主制、というやつを経験したことがあるからこそ、なのだろうか。
そして、さっきまで賑やかだった幼子が、何やら唸っている。どうやら民とは方向性が違う考えをしてたそうだが……
「女王、ヒミコ。知識と占いで国を治める。そんなことが……」
「ゼノビア? どうした?」
「あ、うん。さっき街の外で、力で国をまとめる限界っていう話をしたでしょ? 大きな国は、ものすごい力を持った英雄が一旦統一しても、すぐに混乱しちゃってうまくいかない。でもそんなに大きくない国なら、力のない人だって、知恵と信念、人望だけで、しっかりと治められる。そういうことなんだよね?」
「くくクレオパトラ。知ってるか? 知ってるな?」
「クレオパトラ様。当然じゃない! ローマが一番強かった時に、一時的ではあったけど、彼らと対等にやり合った偉大なエジプトの指導者、だよ! あっ! なんか似てる?」
「ひ卑弥呼も、隣の大陸に、魏って国と呉って国がある。その間で外交しながら、そんなに大きくねえ倭の国の立場を守っているんだ。クレオパトラの方がもっと大変だったかもしれねえ。けど、二人に何が出来て、何が出来なかったのか。調べ直して考えてみるのは、多分いいことだ」
「女の人が、国の指導者になった時、何ができて、何が出来なかったのか……」
鄧艾の少しばかり、いや、多分に支離滅裂な問いかけに対して、ゼノビアは相当に深いところで頭を働かせる。そしてマニも話に加わる。
「男でもそうだね。必ずしも力、つまり軍事力や権力の使い方が上手いものだけが、治政の才があるとは限らない。その二つは全く別のものだよ」
「どっちにも、知性っていうのは必要だから、どっちもできる人もいるかも知れないけどね! でもどっちかしか出来ない人も多そうだよね!」
「誰かが国をまとめるしかねえから、どどうしたってち力のあるやつが上に立つ。だとしたら、どうやってそいつに、いい国づくりをさせられるかを考えないとなんねえ、のか?」
話は尽きない。だが、この場がその話をすることに相応しいか、そこをきちんと考えてくれる者は、この中には限られている。この親父は、そういうところは頼れる。
「なあお前さんら、相変わらずだな。ここは往来だってこと忘れてねえか? 地震の影響で一旦足を止めちまったが、周りが思いっきり聞き耳建て始めているからな?」
――なんだろう、このガキと娘と、東の若者たちの話、面白えぞ
――こんな子供達が、未来の話を真剣にしているんだ。アタシたちにもできること考えないとね。アンタもしっかりしなさい!
――ローマとアンティオキアの違いを考えたら、同じ暮らし方、同じ方針じゃうまくいかないのかもな
やはり市民の知性が高い。流石にゼノビアは特別だが。と、考えているうちに、街の中心から誰かが向かってくる。
「おうおう、なんの騒ぎだ? 地震の後で街の状況を見に来たが、なんか別の話で盛り上がってんじゃねえか」
「「執政官!?」」
「おいザッバイさんよ、いくらガキとはいえ、好き勝手話させすぎじゃねえか? 別にローマ側に聞かれてどうこうってことはねえけどよ。まあいい、ついでだ。そこの東の若者と、ペルシャのガキも一緒に、政庁で詳しい話を聞かせてもらってもいいか? 俺も興味が出てきちまった」
「承知した。まあどうせ一回、アンタんとこに連れて行くつもりだったんだ。話が早くて助かる」
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