九十四 入国 〜(姜維+鄧艾+費禕)×衛兵=??〜
メソポタミアの大都市、サーサーン朝ペルシャの王都クテシフォンを立って半月ほど。ローマ帝国領に入った我らは、その第三の都市、地中海の最東端に面したアンティオキアに到着。
しかし、その都市に入るところで、大行列に阻まれて足止めをうけている。サーサーン朝との戦争や、フン族やらゴート族やらの脅威。そして内部でもいくつかの属州で不穏な動きがあるなど、一言でいうと大混乱と表現するのが正しい情勢。
私姜維は鄧艾、費禕、そしてペルシャの大都市エクバターナで出会った少年マニと、この地まで旅をしてきた。そしてこの行列出会ったのが、ザッバイとなのる、とある部族の長と、その娘のゼノビアという賢い幼子。彼らと話しながら一日、二日と過ぎ、ようやく門が見えてきた。
その間に、色々と作業をしていた鄧艾が、こんなことをぼやきたくなる気持ちは大いに納得できる。だがこいつのぼやきがまともな形で収束したことがないことを知る我らは、全員が警戒の色を強める。
「世界のどこ行っても、落ち着いた国がねえんだな」
「我らのいた漢土は、数十年前の黄巾の乱で前王朝が崩壊し、いまは三国に別れてようやく落ち着いたところだな」
「ボクらのペルシャは、パルティアが打倒されてサーサーン朝が成立したばかり。破竹の勢いの彼らは、やや勢いに翳りの見られるローマ領への侵食を測っています」
「私たちのローマは、ちょっと前にそのペルシャとの戦いで皇帝がやられちゃったんだよ! その前後に何度か変な皇帝になったから、国はあんまりいい状態じゃないよね。今の皇帝は悪くないんだけど、ペルシャに勝てない皇帝が長続きしたことはないんだよ!」
「なあ、つ強いやつが国を統一したり、お大きくしたりしても、意味あるのか?」
こいつ、使う言葉に慣れるとどもりはじめるんだな。それはむしろ、頭の回転の速さ、言いたいことの多さ象徴しているのかもしれない。私や費禕そんなことを思い始めていた。そして、相変わらずとんでもないことをとんでもない所で投げかけてくる。ここはその大きな国の門の前だぞ。
「うーん、ボクは、ペルシャ、メソポタミアあたりは一つの国でいいと思うんだ。でもたしかに、東はカシュガル、西はここ、地中海の沿岸までが限界だよ。どんなに勝ち進んでも、ローマに一方的にかったとしてもアレクサンドリアまでは無理だよね」
「かカシュガルと、あアンティオキアをどっちもとったら、大変だろ?」
「そうだね。どっちかになると思う。それはローマとフンのどっちとも敵対するからとか、そういう話じゃない気がするね。単純に大きすぎる。遠すぎる気がするよ」
マニが真剣に話に参加し始める。つい最近までアルダシールやシャープールと話をしていたからだろう。国を統治する側の考え方まで、こいつの中に論理が根付いてきている。だが周りが注目し始めていることに、気づいているのかどうか。
「ローマは、大きすぎるのかな? ローマを中心としたガリア、東西アフリカ、アルメニア。たしかに、ヒスパニアやガリアで起こったことが、ここまで伝わってくるのに、何月もかかるし。ローマのことだって、遅いと一月じゃ済まないんだよ」
「大きいだけじゃないね。肌の色や髪の色も違えば、言葉や暮らし方も全然違う。そんな状態だから、向こうから伝わってきた話だったり、それこそローマ中央からの命令すらも、ちょっとずつ形が変わってしまったりしかねないよね」
「か漢も同じだ。中原や河北、江東江南、巴蜀までならどうにかなったかもしれねえ。こっちと違ってみ民族が一緒だからまだましだ。だけどそこから匈奴、南蛮、山越や交阯、そして西域。そうなると、強いやつが統一して、広げたのが、弱くなったから混乱したのか? そもそもその広さ自体が人には無理なのか? どっちだ?」
「鄧艾よ。どっちだ? と聞かれても、我らの誰も、そこに明確な答えを持ってはいないぞ。だが大きくなればなるほど、中をまとめ、外に相対するのが大変になるのは間違いない。今の世界中の混乱が、その大きさの限界に直面している姿かも、というのであれば、そうかも知れないと答えるしかあるまい」
「ローマの中央は、それを認めようとはしないだろうね。ペルシャのアルダシール王は、それを考える頭の柔らかさがありそうね!」
「そうかも知れないね。その上で、どこまでなら大丈夫、という範囲を決めて、戦いに手を染めているのかも知れないよ」
ここでようやく、唯一この場で保護者に相当する、ゼノビアの父、ザッバイが声をかける。
「なあお前さんら、議論に夢中になるのはいいが、そろそろ中に入ることを考えようや。門兵が額に青筋立てているのが見えないか?」
「「あっ……」」
「おいガキども、そのような不敬の極み、本国に伝わってみろ。どんな扱い受けるかわからんぞ! 何にせよ我らも忙しいのだ。これ以上仕事増やされては敵わんから、調べはさせてもらうぞ」
「ああ、ご苦労さん。ザッバイで通じるか? 執政官なら顔見知りだから問題ないはずなんだが」
「ザッバイ……たしかに、部族長の中にありますね。そちらは娘さんですか。幼いながらも利発な子ですね。ですが連れの四人は、またどういう間柄で?」
「道中で知り合ったんだ。三人は東国、漢からだ。シルクロードの端から端、だな。あと一人は、パルティアの筋っていえばいいか?」
「それは、残念ですがあなた方のようには、簡単に通すわけにはいきませんね。お前さんらも、今は警戒を強めているんだ。見てわかるだろ?」
ここで費禕が、用意していたものをとりだしつつ話しかける。
「我らは、あなた方にとって大変有用なものを用意できます。我らの出発地の長安は、このアンティオキアより少し大きいくらいの都市。ですが、ここのように、何日も並ばないと入れない訳ではありません」
「ほう、それは平和なことで。俺らはあっちに敵国を抱えているんだ。そう簡単には通せねえよ」
「実は長安の東には今、長年敵対している国の旧都、洛陽という街があり、間には函谷関という関所があります。ちなみにそちらの国の宿将を一人討ち取り、長安を奪取したのは、つい三年ほど前になります」
「はあっ? そりゃ戦争真っ只中じゃねえか」
「今はこう着状態ですが、国同士の睨み合いは続いています。しかし洛陽と長安、距離が近いこともあって、往来は激しく、一日に三万人ほどの出入りがあります」
「三万人? 何言ってんだ! そんなの何日かかると思ってんだ」
「それを我らは、とある技術で解決しました。それがこちらの記号です」
そうして費禕が取り出したのが、紙と板。長安では、地油由来の半透明な板を使っているが、入出国だけであれば木や紙でも問題ない。
「何だ? そっちの文字か? いや、文字はラテン語だな。何々……アンティオキア、ザッバイ、それに今日の日付だな」
「これらの情報を、一つの記号として表したのが、こちらの符号です。八かける八の白黒のマスの中に、識別情報が入っています。そしてこちらの書物の中に、その読み取り表があります」
「……確かにこれはすげえ。一見何かわからない形で書いてあるから、偽物を作るのも難しい。それに、この読み取りの作法は、変えようと思えばこっちで定期的に変えたりもできるんだろ?」
「その通りです。その読み取り対応だけをすれば良いので、専用の技師がいれば、一言二言質問をしているうちに、整合を確認できます」
「なるほど。これなら、今の何倍か早く、門の前を捌けるぞ。それに技師を十人くらいは付けれるだろう。そしたら三万人の往来だって問題ねえだろうな」
「こちらの組み合わせ表と、技師に向けた教本は差し上げます。また、執政官殿にも伝えますので、このやり方を収集すれば、国内のさまざまな伝達手段として、大いに活用できるでしょう」
「……ああ。間違いねえ。ザッバイ殿、こんな人たちだからこそ、あなたはさっさと通せと言いたいのですね」
「そうだな。通した方が得だぜ」
「むう……だが、私の一存では。衛兵長を呼ぶか……」
そこで、早く入りたがっている鄧艾が口を挟む。
「なんだ、兵長わざわざ呼ぶのか? 兵長にはこれをあげればいいぞ」
じゃらりと音を立てる袋。鄧艾め、いつの間に用意したんだ。
「こ、これは……こんなに渡すのか」
「て適当に配ると良いぞ」
「むむむ……分かった。通って良い。上にも伝えておく」
これで一件落着、と思ったのだが。
「おい、ちょっと足りねえんじゃねえか?」
「そうだな。ちょっと俺たちにも分けてくれや」
すこしガラの悪い衛兵が数人、我らを囲もうとしてくる。仕方ない。少し手荒だが。
「おい、通って良いってあの兵が言ったんだが。ローマの門では、人の言葉を理解しない蛮族が守っているのか?」
「なんだと貴様!」
「あ、まずっ」
マニがそう声を発する間に、五人ほどの衛兵が、お腹を押さえて倒れる。
「ああ、どうやら腹を下したらしいぞ。まあすぐ治るから心配なかろう」
「きょ姜維、お前が殴ったんだろうが」
「えっ!? そうなの? ボクにはよく見えなかったよ」
「うーん、私にはちょっとだけ見えたかな」
どうやらマニよりもゼノビアの方が目がいいらしい。この娘、武勇すらも素養があるというのか。
最初の衛兵は、我関せずという顔をしつつ、このお腹を痛めた奴らの分まで仕事が増えることに、絶望的な顔をしている。そして、長時間の滞在で疲労の色が濃くなっている、後ろの行列の人々も、その衛兵に同情的な視線を送る。
「あ、これ、また行列のさばきが遅れるんじゃないか?」
「でも、あのヒィってやつが見せていたコード? が普及すれば、こんな並びも解消されるんだろ? なら、毎年のようにこれに悩まされていた俺たちにとっても、最後の行列になるかも知れないぞ」
「ヒィコード、期待しちまうな」
「……ん?」
ヒィコードか。それは良い名かもしれんな。当人の費禕は眠そうだ。聞こえていないなこれは。
さて、通るか。
少し中に入ると、ザッバイが鄧艾に尋ねる。
「なあ、あんなに渡してよかったのか?」
「ああ、ありゃだいたいパルティアの銀貨だ。もうか改鋳が始まるから、だいぶ価値が減るぞ。つ積荷の中の紙や書物の現物の方が、価値があるんだよ」
「なるほど……それにしても、三人揃ってとんでもない腕と手際だな」
「私としては、ゼノビアが私の動きを目で追えていたことに驚いているんだが」
「何となく見えたんだよね! 早かったね!」
「あ、あれが見える奴は、大体か漢土ではしょ将軍になっているんだぞ」
「えへへ、そしたら私も将軍になれるかな? 勉強も好きだけど、体を動かすのも得意なんだよ!」
そして回ったり、先ほどの私の動きを真似たりしながら、往来を進み始めるゼノビア。やはりどうやら、マニに続いてとんでもない逸材を、我ら三人は引き寄せてしまったようだ。そんなことを考えつつ、三人顔を見合わせながら、新たな街、アンティオキアの街を、六人で歩き始める。
お読みいただきありがとうございます。