九十三 行列 〜(マニ+鄧艾)×幼女=??〜
アンティオキアへ到着し、その東門で、行列の最後尾についた我ら。遅々として進まない行列の中で、前にいた地元の部族長ザッバイと、娘のゼノビアと対話を続ける。
「えっと、こっちがあなた達が生まれたところの歴史なのね。すごい長さだね! へー、一人一人のお話が、順番に書いてあるんだね。ほとんどが千年から四百年前までのお話? 一番前が二千年前? それでこっちがそこから先の、大体二百年前くらいまでのお話かー。これは一日じゃ無理だね!」
「ヘロドトスのヒストリアのような、一つの時代史ではないのだね。記録できる事をできるだけ多く記録する。そういう姿勢なのか」
「時代が過ぎれば過ぎるほど、分からなくなったり、ずれて伝わったりすることはあるかも知れない。だが少なくとも、書いた時代において、おそらく事実だろうとされている事を偽りや偏りなく記す。それが史書を書く者たちの誇りだと聞く」
「時にはその時代の皇帝と考えが合わず、記述を変えさせられそうになったり、処罰されたりもした。だが決して記述を曲げる者は現れない。そんな者たちが残しているんだ」
「こっちは、あなた達の国で、人が守らないといけない基本が書いてあるんだね! 『勉強して、習うことは楽しい。友が遠くから訪れてくれたら嬉しい。人に悪口を言われても、いちいち腹を立てないのがいいこと』うんうん」
「一個ずつは当たり前な気もするけど、こういう姿勢がちゃんと全部まとまっていて、それがこの先生と弟子の対話の実体験として書いてあるんだ。だからわかりやすいし、納得しやすいんだ」
「ん? 温故知新? 古いことをたずねて、新しい事を知る。うーん、これは……」
「ふふっ、ちょうど今、ゼノビア自身がやっていることじゃないかな?」
「あっ! そっか! これ全部、私にとっては『新しいこと』だけど、お兄さんたちの国では『古いこと』なんだね!」
「そうだね。だから、古い事をしっかり見直すことで、みんなにとって『新しいこと』がなんなのか、を知るのが大事なんだ」
「それに、その新しい、古いも色々ありそうだよ! さっきのも、パパが『一つずつは当たり前だね』って言ってたり、トトガイウスが見せてくれた、兵法のやつも、ソクラテスっぽいな、っておもったり。新しい中にも古いがあって、古い中にも新しいがあるんだね!」
この幼いゼノビアの賢さは、やはり常人ではないのだろう。この娘の未来に何が待っていて、何か助けになることがあるのだろうか。我らもそうだが、誰よりもマニがそんな顔をしている。
「そうだね。だから、『温故知新』なんだよ。古いと新しい。知っていると知らない。そんなことで簡単に、人と人の話はずれて、そして争いを始めてしまうんだ。それがさっき渡したバベルの意味だよ」
「知らないと、ずれる。ずれると、あらそう。みんなそうなんだね。そしたらもし、みんなが知っていることが増えたら、争いはなくなってくれるのかな?」
「それだけでは無くならない、かもしれない。でも、争う理由を減らすことなら、できるんじゃないかな」
「私たちはそのために、アレクサンドリアに向かっています。そして、そこの図書館が、時の流れに負けて朽ち果てるのを、食い止めに行きます」
「そうだ。そのために、クテシフォンで紙を作れるようにした。木と、水がたくさんあれば、紙は作れる。もしかしたら、アレキサンドリアは水はあるが、木が足りないかも知れない。でも、海の周りのいろんなところに、木はありそうだ」
「すごい! 東から来て、そんなすごいことを考えているんだね! それができたら、今のこの国で起こっていることも、周りで起こっていることも、少しは良くなるんじゃないかな? ねえパパ?」
「そうだろうな。だとしたら、彼らにそれができるように、それが困難になる理由を減らせるように、どうにか出来ないとな」
「困難? 難しいの? うーん、確かに、今のローマは、ちょっとどころではなく荒れ始めているからね」
「やはりそうなのか。この行列が遅々として進まないのも、それが理由か?」
「ああ。単純に税を納めるための時期だと言うのもあるんだが、検問の厳しさは昔の比ではないんだ。東では、パルティアの力が弱まったと思ったら、新しい王朝がさらに勢いをましている」
「それにローマの皇帝は、三代続けてろくでもない人たちだったんだけど、今のセウェルス帝は結構いい政治をしていたんだよ。だから、少し前までの荒れ方よりはマシになってきたんだ。そう思っていたんだけど……」
「つい最近、サーサーン朝と戦いに臨んでいるんだが、彼は政治はできても戦いは向いていないようでな。そろそろ負けて帰ってきそうなんだ」
「今の皇帝がダメだとすると、次はもう誰が皇帝になるか分からないんだよね。中も外も大変なんだよ」
「どんなに良い政治をしたとて、ペルシャに勝てない帝は、民や高官に認められることはないんだ。それに、北からはゴートと言う種族が、ローマの地を圧迫し始めているとも聞いている。フン族に押し出されているとかなんとか」
「ここでもフン族か。あいつら流石だな」
「そんな状況が続くとしたら、この先、元老院は、治政に寄った皇帝を選びにくくなってしまうだろうな」
この親子の話を、周りの民や旅人も、うんうんと頷きながら聴いている。ならばおそらく、その肌に感じられる情勢は、その通りなのだろう。マニも、冷静に分析をする。
「目立った外敵が近くにいないアレキサンドリアはともかく、サーサーン朝が目の前にいるアンティオキアや、北からゴートが来そうなローマ。そんな状況から守り切ることを、第一に考えざるを得ないんだね」
「カエサルのような文武に卓越した皇帝や、自らの軍才のなさを部下の力で補ったアウグストゥスみたいな者は、簡単には出てくるようには見えないんだ。だからこそ、アンティオキアやアレクサンドリア、そしてアフリカの属州なんかは、ローマに頼らことなく自ら生き残る方法を模索し始めているんだよ」
アンティオキアは相当な警戒をしているようだな。上手く門を通過できれば良いのだが。
「門での調査は、相当に厄介な状況のようだな。国境と違って突破するわけにはいかないから、どうすべきか」
「異国の者、特にペルシャ系の者が通りにくいと言う側面はあるんだが、単純に誰が誰だか分からず、分からない者に対しての調べに時間がかかるのが大きいな」
「こっちには割符や、透明板の法正号がないからな。あれがあれば、一人一人の確認はそれほど大変ではないぞ」
「ん? トトガイウス? あなた、また何か私たちの知らないことを話し始めたね! 行列は進まないし、ゆっくり聞かせてもらおうかしら?」
「費禕、なんか持ってるか? 多分本物みせねえと話が難しい」
「本国のものはありますね。それに、遊びで、こちらの文字に合わせた形の記号を検討してもおります」
いつのまにそんなことを……
「こちらの文字はどれも種類が少ないので、一つの印が数文字分、すなわち短めの単語や、人名を一つの印にすほうが良さそうです」
「おおー、読める読めないで言ったら、読める気はしないね! んーと、八ますずつ縦と横に並んでいるのかな? この白と黒のマスの並びを使えば、直接名前を書くよりも確実に、本人かどうか、賊ではないかと言った確認が、すぐに出来そうだよ!」
「そうだ。これは白と黒が全部で六十四あるから、とんでもない数の組み合わせを表現できるんだぞ。ちょっと欠けたりしても、他のところで埋め合わせをしておくこともできるんだ。門の側が、本人ごとの符号を発行しておけば、初めてのやつ以外はそれを照らし合わせれば良いんだぞ」
「なあ、ヒィよ、これを町の高官に見せて、その制度や技術を教え込むことはできたりするか?」
「はい。問題ありません。それができたら、この行列や、不穏な街の状況が、少しは改善されるのでしょうか?」
「ああ、もちろんそうだ。だがその前に、お前たち異国人や、特にペルシャ人のマニが中に入るには、その入るだけの利を見せてやるのが一番だからな。中に知り合いも多く、門兵も顔見知りの俺から、さっきのやつを説明すれば、お前たちの価値の一端を見せられて、すんなり倒してくれるはずさ」
「わかりました。この列が進んでいく間に、おおよその枠組みを完成させるつもりで動いてみます」
「紙や書物だけでも本来は十分だったんだろうけどな。今は流石にそう言うわけには行かなそうだからな。まあ心配はするな。俺がどうにか話をつけられれば一番なんだ」
「ありがとうございます。それではラテン語、ギリシャ語、ペルシャ語向けの小変更を試みてみます」
「ああ。下手すると一日以上かかっちまうかもしれんから、のんびり頼むぜ」
「そうだね! 私もまだまだ読めてないものがあるから、マニやお兄さん達に聞きながら、出来るだけ『温故知新』を進めるんだ!」
こうして、壁外の夜は更けていく。そして朝になり、ようやく門の様子が見えてきた。やたらと荷物を改める兵の数。入らせてもらえなかったのか、不満げな顔をして引き返してくる旅人も。明らかに不穏な様子で、どうみてもすんなり入れるようには見えない。
少し、いや、かなり不安になりつつ、我々はそれぞれのやるべきことをこなし続ける。マニはゼノビアにさまざまな書物の内容を解説しては議論を深め、費禕は鄧艾と共に、法正号の現地語向け調整を進める。私は周辺を警戒、観察しつつ、この不穏な状況で何が起こっても対処できるよう、思案を進める。
そして、二日以上かかった後、我らの入場する番がやってきた。
お読みいただきありがとうございます。