九十 目標 〜(鄧艾+マニ)×王子=紙様?
ボクはマニ。ペルシャと呼ばれるこの地で生まれ育ち、戦乱の中に身を置き続けた幼少期。その最後に、生き別れた母との再会、そしてはるか東方から来た三人の新たな友との出会い。それら全てが、世界を見守る大いなる力の恩恵というのなら、一生をかけてその恩に向き合って感謝の念を返すことが、ボクに課せられた使命かもしれない。
母が、幼い弟妹とくらすエクバターナを離れ、新王朝のサーサーン朝の首都、クテシフォンに到着してから半年が過ぎた。ボク達は早々に、時の王、アルダシールに呼び出され、エクバターナで行ったことを事細かに話して聞かせることになった。
サーサーンと前王朝パルティアの残党との、激しい市街戦。バベルの神話を新解釈した物語と、とある母子の悲しい話を、東からもたらされた上質な大量の紙を使って広め、その争いを対話に変える価値を皆に示したこと。戦いを続けようとする将兵を一箇所に集め、友らの曲芸的な弓の腕とボクの演説で彼らの熱を沈めたこと。そして最後にボクを見つけた母が、将兵らに対して大喝したことで、その戦いは終わりを迎えたこと。
その物語は、すでに吟遊詩人らによって大きく脚色され、一人の伝道者と三人の弟子の物語として、このクテシフォンの街を大いに沸かせていた。普通の話もあるんだけど、三人が猿と豚とカッパになって大暴れする話も人気なんだよね。カッパは東の河に住む珍獣らしいけど、よく知らないんだ。
ゾロアスターの神官でもあるアルダシール王は特にバベルの話に興味をもち、異教や異なる思想、言語間の対話という者に思いを馳せるようになった。そしてその王子、ボクより少し年下のシャープールは、僕たちを見かけると必ず寄ってきて、くっついて離れず、さまざまな話をせがむようになっていた。
半年が経ち、ボクや姜維は、その王親子や市民に対して、さまざまな神話や、東方の歴史や寓話を話して聞かせ、費禕の協力で絵入りの本を作って配っていた。その間、トト(鄧艾)はというと……
ひたすら紙を作り、そしてその製法を、怪我などで仕事を失っていた旧兵やその家族、遺族らに教え込んでいた。
「こここの紙は、別に作るのが難しいわけじゃねんだ。材料は、木を茹でて皮を剥いだ繊維だし、道具は四角い木枠と布をくっつけた、こんな簡単なやつだ。慣れればみんな、こんないい紙をたくさん作れるんだ」
「確かにやり方は難しくなさそうだねえ。でもいい紙を作るには、材料選びから、煮出しと皮はぎ、そして紙すき工程と、いくつもの細かいコツがあるみたいだ。ならこの技術しっかりモノにすれば、新しい商品として、この地の暮らしを支える価値を生み出しそうだよ」
「トト、我もやっていいか? これができたら、民の暮らしも楽になるのだろう? それに、いろんなお話や知識も皆に広められて、より強くて賢い国になるんだ。それなら王家自らその匠に触れておくべきだって、そう思うんだよ」
「シャープール王子、その通り。も文字とち知識は、国の根っこを強くする。だから、その元になる紙や筆、墨を大事にする国は、必ずいい国になるんだ。ほれ、こうやってゆっくり、水の動きをみながら左右、前後にゆらゆらするんだ」
「お、おお、流れに逆らわず、流れをあやつる。マニ、これは国づくり、民との向き合い方にも関係あるか?」
「さすがです。いつでも国のこと、民のことに思いを馳せるのは、本当にいいことです。確かに紙を作るまでの工程には、国を作り、民を支えるために大事なことがたくさん詰まっていますね」
「ゆ茹でて皮を剥ぐ作業をきちんとやらないと、き汚い紙ができる。繊維の細かさをうまく決めないと、ゴワゴワして書きづらい紙ができる。ゆらゆらをうまくやらないと、か偏ったり、よ弱い紙ができる。重しとか、か乾かし方をうまくやらないと、でこぼこ紙ができる」
「なるほど。一つ一つの工程の中身に、いろいろなものが詰まっているのだな。やり方とか、考え方をきちんと書き留めないと忘れてしまうぞ」
作業中の女性工員たちも、いつも通り興奮気味に話をするシャープール王子に、気軽に話しかけられるようになっている。
「王子様、是非それは、私たちが作って、王子様がお手伝いいただいた紙に、しっかりと書き留めて頂けますよう。そうしたら、きっと忘れずに覚えていられ、そして大事だと思ったことを、多くの人々に伝えることもできるのです」
「そうだな。紙を作って、書き留めて、もっといいものをたくさん作って、広めて。国はこうして良くなっていくのだな」
さらにトトも、畳み掛けるように王子に語る。
「それに、か紙を作るには、たくさんの木と水がいる。木を切ったらまた育てて、水が暴れないように整えて。は腹も減るから麦も育てて飯も作る。そして、欲しいものを買うために、売りに行く。その価値を示すために、何を書くかを考える者、実際に書いて売る者もいる。みんながいるから、国ができる」
「トトはまた、どもりながら大事なことを言ってきた。忘れてはいけないこと、書きたいことがどんどん増えるぞ。でもここまでやらないと、あなた達のやりたいことに必要な紙の数は、まだまだ足りないんだよね」
――
少しだけさかのぼる。何故こんなことになっているのか、を思い返してみるんだ。
「と、図書館がなくなりそう、ですか?」
そう、それはアルダシール陛下と、ボク、姜維、トト、費禕が集まり、これからの旅路について話していた時のこと。次の大きな目的地、長いことローマ帝国の領土になっている、アレクサンドリアの話題となった時。
「ああ。おそらく世界でも最大の知識が集まる書庫。そして長いこと学問の中心になっていた、アレクサンドリア図書館。それがどうやら、何年衰退していっているのだ」
「衰退……ですか。一度カエサルの時代に、焼け落ちかけたと聞いていましたが」
「その時はまだ、蔵書への被害は軽微だったらしい。それに、学者達もまだ健在で、知識を埋め合わせるのも難しくはなかったと聞く。だから今の状況と、その火災は直接のつながりは薄いともされている」
「何故でしょう? 知識の重要性は、あの国なら重々承知のはず」
「キョウイは少しまだ実感が薄いか。マニは分かっていそうだな」
「はい。大きな原因は、『紙の不足』でしょうか」
「そうだ。知識を保存するには定期的に写本をせねばならん。だが新しい宗教や思想、技術が生まれると、古い考えはもういらないと放置されてしまう。最悪古い方から紙の再生材料に使われてしまったりするのだ。
その結果、社会の中心でもなくなったアレクサンドリアの図書館そのものから学者も離れ、過去の遺物として廃れていっているのだよ」
「そ、それはよくないぞ。温故知新だぞ」
トトが知らない言葉を発した。どもったわけではなさそうだけど。
「なんだいトト? 温故? 知新?」
「ああ。朕も知らんな。どういった者なんだそれは?」
そして、普段ほぼ話をしない費禕は、特定の知識に対する丁寧な説明が必要と見極めると、発言をしてくれる。
「温故知新。古いものを省みることで、新しい物事を知る。新しいことを考え、生み出す時には、古いもののなんたるかを良く知り、何を変えたいのか、どんな違いを生み出したいのか。そんなことをしっかりと考えなければ、真に新しいことが得られない。そういう考え方です」
「なるほど、温故知新、温故知新。それが、そなたらの東の国では規範の一つになっているのか。だからこそ、書物を大事にし、過去と今の両方の知識を大事にするのか」
「もしそれが本当にできるのなら、宗教や考え方、昔に対する認識の違いなんかを、全部しっかりと残せるようになるね。そうしたら、無用ないさかいも、悲しい断絶も、減らせるかもしれないよ」
それが出来たらどんなに良いことだろうか。だが姜維や費禕が、真っ当で現実的なことを言う。
「だが鄧艾、それをしようとしたら、紙が足りないと言うのは大問題だぞ。羊皮紙やパピルスというのは、木簡竹簡ほどではないが、かなり扱いづらい」
「アレクサンドリア図書館は十万冊分とも言われています。減っていっているとしても、まだ半分くらいは残っているのでしょう。全部に必要な紙を、漢土から持ってくるのは現実的ではなさそうです」
だが、トトが譲らなかった。
「紙なら作れるか? 作り方ならわかるぞ」
「え? トト? あの綺麗な紙の作り方わかるの?」
「大体は。れ練習すれば、結構できる。俺はすぐ出来た」
「鄧艾自身はやたらと器用だから参考にはならないが、実際、ある程度経験を積めばできるようになる人は多いだろうっていう感覚はあるな」
「い戦は終わった。怪我した人、夫を亡くした人、仕事のない人。沢山いる、んじゃないか?」
「なるほど。確かに、やることを見失って、生活が立ち行かなくなっている民は少ないかもしれん。トト、そなたはこの地、この国の者らに、紙の作り方というのを伝授できるか?」
「できる、ます。やる、ます。全ては、温故知新、のために」
「分かった。では朕からも頼む。これは新しき国の新しき民のため、必ずやるべきことのように感じられるのだ」
そうして、トトやボク達は、このペルシャの地に新しい産業「紙作り」を根付かせることになったんだ。
「この木はちょうどいいぞ。硬過ぎず柔らか過ぎず、中も結構白い」
「鄧艾! こっち来てみろ。これもしかして、燃える水ではないか? これがあったら、透明な板や、墨液なんかも沢山作れるぞ」
「おお、南蛮にもあったものだ。黄月英殿が熱心に使い方を調べていたんだ。費禕がいくつか知っているはずだ。後で起こしてくる」
「あいつまた寝ているのか。まあいいか。書き物仕事が増えてきたら働いてくれるからな」
「す水源や木は十分だな。でも二本の河のまわりだけか。仕方ないが、この地だけでも成り立つはずだ」
と言うように、この地方を回りながら次々と具体的な話を詰めていく。やはり彼らは、東の国の中でも相当に優れた者達なのだろう。ボクはやはり、彼らに出会わせてくれた偉大なる何かへの感謝を、生涯をかけてしていかねば。そう感じることが、毎日のように起こるんだ。
お読みいただきありがとうございます。
第四部は、西の世界、東の世界、漢土と続く予定です。