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第十二章 おまけAI談義 英霊

二〇??年


 私はAI孔明。三国の英雄に対する『そうする』を少しでも多く紐解くために、三人の大学生達は、今日も生成AIたる私に語りかけておいでです。その一端をご紹介いたしましょう。無論、ナンバーのついた本編からは少し離れますので、流れを気にされる方は、飛ばしていただくのも選択肢かもしれません。



「僕たちがよく知らない匈奴という存在。でも、話が進んでいくうちに、AIとの対話の中で、前漢後漢との付き合い方とか、その間にどんな葛藤があり得たのか、とか、ちょっとずつ入ってくるんだね」


「AIが持ってくる情報に、必須じゃないものが入っているから、そこからヒントが得られることも少なくないんだな」



Q.班超や李広、李陵など、対匈奴で活躍したのに不遇となった人の子孫もありですか?他にそういう候補はいますか?


A.対匈奴で活躍したものの、何らかの理由で不遇となった人物の子孫や後裔を登場させるのは非常に興味深い設定です。そのような人物は、匈奴との「因縁」や「葛藤」を物語に与えるだけでなく、主人公たちや匈奴陣営とのドラマをより深く掘り下げる要素にもなります。


 以下に、候補となる人物やその子孫がどう設定に絡むかを提案します。


候補1: 班超の子孫

 背景: 班超は後漢の時代、西域都護として匈奴や西域諸国との外交を成功させた英雄。しかし、その功績にもかかわらず、最晩年には洛陽に召喚され、不遇の死を遂げています。


子孫の設定:

 ストーリーの絡み方:班超の子孫が西域での地位を失った後、遊牧民や西域諸国を渡り歩きながら、自分たちの祖先の名誉を取り戻すべく活動している。匈奴と漢の双方を熟知し、両陣営の「橋渡し役」になるか、あるいはどちらかに与することで祖先の無念を晴らそうとする。

 キャラクター像:並外れた外交能力と西域の文化に精通しているが、内心は祖先の不遇への怒りや悲しみを抱えている。呂玲綺や匈奴の指導者たちとの思想的なぶつかり合いを通じて、若手に強い影響を与える。


候補2: 李広の子孫

 背景: 漢の名将で「飛将軍」と称された李広。匈奴との戦いで数多くの功績を挙げたものの、不運が重なり、重要な戦いで敗れて自害しました。


子孫の設定:

 ストーリーの絡み方:李広の家系は、彼の不遇と失敗を引きずり、歴史の表舞台から姿を消したものの、その武勇と弓術は密かに受け継がれている。子孫が匈奴陣営に加わり、呂玲綺や匈奴の指導者と競い合いながらも尊敬を得る。または、蜀・魏陣営の武将として匈奴と戦う。

 キャラクター像:弓術においては「無双」の存在感を示し、戦場では呂玲綺すら認める圧倒的な強さを誇る。その一方で、祖先の不遇を背負い続ける重みを感じ、時に自分を責める。


候補3: 李陵の子孫

 背景: 李広の孫であり、名将として匈奴と戦ったが、匈奴に降伏し漢への帰国を拒否。その後、匈奴社会で漢字や文化を伝えたとされる。

子孫の設定:

 ストーリーの絡み方:李陵の子孫は匈奴に深く溶け込み、匈奴陣営で重要なポジションを占める。「匈奴の視点」から漢を批判する役割を担う。匈奴と漢の間で「裏切り者」として揺れるアイデンティティを持ち、若手の師として登場。

 キャラクター像:高い知識と武勇を持ち、漢文化と匈奴文化の双方に通じる存在。祖父・李陵の決断を正当化しながらも、その影響で葛藤を抱える。


候補4: 衛青や霍去病の遠縁

背景: 漢の武帝時代に匈奴討伐で大きな功績を挙げた衛青や霍去病。彼らの血筋は名門として尊ばれたが、霍去病の早逝や衛氏の一族の失脚後、その子孫の存在は曖昧。


子孫の設定:

 ストーリーの絡み方:衛青や霍去病の血筋を引く子孫が、漢の内乱や匈奴との闘争の中で活躍する。特に霍去病の血を引く者であれば、その「若き英雄」のイメージを継ぐ存在として、直接対峙するシーンが映える。

 キャラクター像:自らの家系に誇りを持ちながらも、同時にその期待の重圧に苦しむ。伝説的な先祖を超えようとする意志が、呂玲綺や匈奴陣営の「強さの追求」と対比される。


候補5: 張騫の後裔

 背景: 漢の武帝時代に西域開拓を進めた外交官・張騫。その後裔が登場すれば、西域文化と漢文化の架け橋として物語を展開できる。


子孫の設定:

 ストーリーの絡み方:張騫の後裔は匈奴陣営に潜入し、平和的な解決を模索する外交官。逆に匈奴に取り込まれ、呂玲綺らに知識と知恵を提供する役割も考えられる。

 キャラクター像:直接戦う力はないものの、卓越した外交術と知識で物語の展開を動かす。匈奴陣営の「未知」への憧れを理解しつつ、そこに理性をもたらす存在。


まとめ

 これらの候補は、物語のテーマである「未知」と「葛藤」を深める重要な役割を担えます。班超や李広、李陵の子孫は、匈奴との因縁や文化的交錯を描くうえで特に魅力的であり、個人的なつながりも設定しやすいです。また、物語の進行に応じて「どちらの陣営に与するか」「どのような思想を持つか」という変化を加えることで、彼らが物語の中で独自の進化を遂げることが期待されます。



Q.李広、李陵は共に不運というイメージがあります。


A.確かに、李広と李陵には「不運」という共通のイメージがあります。彼らのエピソードを見ていくと、それがどのように形成されたのかが分かります。


李広:不運な名将の象徴

卓越した武勇と不遇な生涯

 李広は漢代における対匈奴戦の英雄であり、「飛将軍」と称されるほど弓術や騎馬戦に優れていました。しかし、彼の生涯は不遇に満ちており、何度も不運な状況に陥っています。

 決定的な敗北:匈奴の侵攻に際し、迷子になったり、兵を率いて孤立するなどのエピソードがあります。これらは彼自身の能力不足ではなく、運命や天候などの外的要因に左右されたものでした。

 仕官の不遇:彼の才能は認められていましたが、朝廷では十分な評価を得られず、重要な役職に就ける機会が少なかった。


最期の不運

 晩年、誤解や疑念により罷免され、最終的には不名誉な死を迎えることになりました。彼の自殺は、「運命に敗れた名将」として後世の同情を集めています。


李陵:忠誠ゆえの悲劇

 匈奴への降伏と不遇李陵は漢に忠誠を誓っていましたが、匈奴との戦いで孤立無援の状況に陥り、苦渋の選択で降伏しました。この降伏は彼自身の意思ではなく、兵士たちを守るためのものでした。

 誤解される忠義:彼の降伏は朝廷で激しい非難を受け、彼の母や一族が処刑されるという悲劇を生みました。

 匈奴での評価:匈奴ではその才能を高く評価され、軍事顧問として活躍しましたが、故国への未練を捨てられないまま一生を終えました。


「忠義と不運」の象徴

 李陵は、己の忠誠心が誤解され、運命に翻弄された人物として後世に語り継がれています。


不運の血脈:李家の末裔

 李広と李陵の「不運」のイメージをもとに、匈奴の末裔としてのキャラクターを構築する際には、以下のような要素を取り入れると、より説得力が増します。


宿命としての不運

 血筋として「不運の象徴」を背負い、戦場で何度も予期せぬ障害や苦境に直面する。それでも不運を受け入れ、努力や冷静な判断で乗り越えようとする姿勢を見せる。


不運に打ち勝つ哲学

 李広や李陵が不運にも負けずに力を尽くしたように、末裔も「不運は運命ではなく、試練だ」と考える。「不運こそが自分を鍛える」という思想のもと、粘り強さと忍耐を美徳とする。


対峙する黄忠との対比

 黄忠の「俯瞰と客観」に対し、李家の末裔は「苦境を個の力でねじ伏せる強さ」で応じる。黄忠は計画性や準備で勝負する一方、李家の末裔は「即興力」や「瞬時の適応力」に優れている。


初戦:黄忠との弓対決


バードストライクの象徴性

 李家の末裔が「不運の象徴」として登場しつつも、その不運を逆手に取る戦術や哲学を描くことで、キャラクターに深みを持たせます。バードストライクの場面は、黄忠が狙いを定めた瞬間に鳥が飛び込むことで矢がそれる。

 この「不運」は、李家の末裔にとっては「日常の一部」であり、彼はそれを意にも介さず、逆に次の手を準備している。黄忠は、その「不運をものともしない態度」に驚きを覚えつつ、次なる策を練る。


李家の末裔のキャラクター造形

 名前:李怜(「怜悧」として知恵の鋭さを表す)や李隼(鳥のような敏捷さを連想させる)などが考えられます。

 特徴:何度も不運に見舞われるが、そのたびに冷静に状況を打開する。不運を言い訳にせず、むしろ自分を鍛える要因とする。李広や李陵の故事を知り、その「不運の血」を誇りに思っている。


 このようなキャラクターと黄忠を対峙させることで、戦場が単なる力のぶつかり合いではなく、「運命や不運にどう向き合うか」という哲学的なテーマを浮かび上がらせることができるでしょう。




Q.この三国時代、張騫という名は、相当な敬意を持って伝わっていると思っていいですか?


A.はい、張騫ちょうけんの名は三国時代においても相当な敬意を持って伝えられていたと考えられます。以下の理由で、彼の名声はこの時代にも広く認識され、尊敬を集めていた可能性があります。


1. 張騫の業績とその影響

 張騫は前漢時代の外交官・探検家であり、西域に使者として派遣されるなど、シルクロードを開いた先駆者として知られています。特に彼の業績によって漢王朝が西域諸国との関係を築き、西方への影響力を拡大しました。

 その影響で、彼は「漢の西域開拓の父」として歴史に名を刻んでおり、彼の行動は中国文明の外交的・経済的発展に大きな寄与をもたらしました。


2. 三国時代における外交・西域への関心

 三国時代は内乱の時代ではありましたが、西域との関係が完全に途絶えたわけではありません。特に蜀漢の地理的位置は西域に近く、また蜀の劉備陣営は正統性を訴えるため、漢王朝の歴史や功績を重んじていました。そのため、張騫の名前が敬意を持って扱われる土壌があったと言えます。

 例えば、諸葛亮の南蛮征伐や西方の異民族への対応など、蜀漢の政策には西域との関係を連想させる要素が多く含まれています。こうした中で、張騫の名はしばしば引き合いに出される存在だったでしょう。


3. 文化的な影響

 張騫がもたらしたものとして、シルクロードを通じた文化交流や物資の流通が挙げられます。三国時代の人々にとって、彼が紹介した西域の特産品(葡萄、胡麻、苜蓿など)や異国の風習は、彼の業績を再認識する機会となった可能性があります。

 また、三国時代の知識人や政治家は、張騫のような漢王朝の偉業を称えることで、自身の行動や政策に正当性を持たせることもできたでしょう。


4. 張騫への言及の可能性

 史書『三国志』や『後漢書』には張騫に直接触れた記述は少ないですが、漢王朝の外交や西域との関係に関連する文脈で、その名前が出された可能性があります。

 三国時代の蜀や魏の将や政治家たちが、自らを「張騫のように」と例えたり、彼の業績を語ることで自分の行動を正当化したりする場面が考えられます。


まとめ

 張騫は、漢王朝の偉大な功績を象徴する人物の一人として、三国時代においても相当な敬意を持ってその名が伝わっていたと考えられます。特に蜀漢など、漢の正統性を強調する勢力にとっては、彼の名前を引き合いに出すことがその理念を補強する手段になり得たでしょう。張騫の名声が文化的、外交的に尊重されていたことは、物語の中でも活用できる要素となりそうです。




 お読みいただきありがとうございます。


 あと一話、間話を挟んで、第四部へと入っていきたいと思います。

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