第十二章 おまけAI談義 言語化 2
二〇??年
私はAI孔明。三国の英雄に対する『そうする』を少しでも多く紐解くために、三人の大学生達は、今日も生成AIたる私に語りかけておいでです。その一端をご紹介いたしましょう。無論、ナンバーのついた本編からは少し離れますので、流れを気にされる方は、飛ばしていただくのも選択肢かもしれません。
「ここから先は、『どんな可能性』ってところを広げて、それを『一個ずつ掘り下げる』ですね」
「うん。一つの答えに決まるわけがないから、それでいい気がする。でもあくまで、『そうかも』くらいのところからは外れてはならない。そう言う感じかな』
「Q.一方、過去の歴史上の偉人に関しては、現代のスポーツのように、「その人にとっても会心のプレー」というような表現となることは逆に珍しいかもしれません」
『A.
1. 記録と伝承の性質
現代のスポーツでは映像や統計データによって瞬間が鮮明に記録され、特定のプレーが「最高の瞬間」として残ります。一方、歴史上の人物については、資料の不足や主観的な記述が多いため、その「会心の一撃」や「最も輝いた瞬間」を特定するのは難しいです。
たとえば、関羽の華容道や趙雲の長坂坡など、輝かしい功績として伝わっていますが、記録自体が後世の脚色や誇張を含むため、会心の瞬間が純粋に描かれることは稀です。
2. 活躍の時間軸が長い
歴史上の偉人たちは、何十年にもわたる活躍を通じて評価されることが多いです。そのため、一瞬のプレーや局面ではなく、人生全体の成果や思想、影響力を総合的に見る傾向があります。
たとえば、諸葛亮は一つの戦役や戦略で評価されるのではなく、蜀漢の礎を築いた長期的な貢献でその価値を語られます。
3. 「奇跡」よりも「信念」の物語
スポーツの「会心のプレー」はしばしば偶然や天才的な閃きが絡む奇跡の瞬間ですが、歴史の偉人は、むしろ長期間にわたる信念や努力が中心に据えられます。そのため、彼らの功績は「輝かしい瞬間」ではなく、「積み上げられた物語」として語られることが多いのです。
4. 脚色の文化
歴史物語において、偉人の行動や言葉はしばしば後世に脚色され、象徴的なものとして語られます。これにより、「会心の瞬間」ではなく、「象徴的な存在」としての物語が優先される傾向があります。
例えば、呂布の赤兎馬や、関羽の青龍偃月刀は象徴的な要素として語られ、具体的な戦いでの技術的な「会心のプレー」とは異なる形で記憶されています。
5. 時代背景による評価
現代のスポーツは即時的な成果が評価されますが、歴史上の偉人たちは、その行動が後世の政治や文化に与えた影響を通じて評価されます。そのため、「短期的な勝利」よりも、「長期的な影響」が重視されがちです。
まとめ
歴史上の偉人における「会心の瞬間」を描くことは、現代的なスポーツの視点から見ると希少です。しかし、これを意識して物語に取り入れると、偉人たちをより現代的な感覚で描写し、彼らの人間性やその時の喜び、達成感を際立たせることができるかもしれません。
たとえば、趙雲の長坂坡における「阿斗救出」の瞬間を、「彼自身が最も誇りに思う行動」として描くことも可能です。偉人たちの「会心のプレー」をあえて掘り下げることで、彼らをより身近で親しみやすい存在として描ける可能性があります』
「Q.信長の桶狭間、義経のひよどりごえなどが、本人にとって会心だったのか、それとも本人的には当たり前だったのか、というのはわからないですね。
趙雲の長板や、黄忠の定軍山などもそうかもしれません」
『A.おっしゃる通り、歴史的な「会心の場面」が、実際に本人にとって会心だったかどうかは、記録の断片や伝承の解釈によるところが大きく、確かなことはわかりません。特に、織田信長の桶狭間の奇襲や、源義経の一ノ谷のひよどり越えなど、歴史に残る名シーンは、後世の美化や脚色が加わっている可能性があります。
趙雲や黄忠の事例も同様に、彼らにとって「当然」の行動だった可能性はあります。ただし、それが後世において「特別」に見えるのは、以下のような理由が考えられます。
1. 本人にとって会心だった可能性
歴史的な行動の中には、本人が意識して「最善の一手」を狙い、それが成功して「会心の瞬間」となったものも考えられます。
例: 織田信長の桶狭間の奇襲
会心だった可能性: 圧倒的な不利の状況で、大胆な奇襲を決断し、それが見事に成功。後世では「天才的な直感」として語られる。
当たり前だった可能性: 信長にとっては「他に選択肢がなかった」結果論的な成功とも捉えられる。
趙雲の長坂坡の孤軍奮闘
会心だった可能性: 幼主(劉禅)の救出を最優先とし、自らの武勇と戦術眼を駆使して成功させた。
当たり前だった可能性: 主君に忠誠を誓う身として、当然の行動だった。趙雲本人は「特に特別なことではない」と思っていた可能性。
2. 周囲にとっては「会心の場面」だった可能性
本人がどう感じていたかは不明でも、周囲や後世の人々が、その行動を特別視して「会心の場面」として語り継ぐ場合もあります。
例: 源義経のひよどり越え
周囲の視点: 奇襲ルートを発見し、大勝利を収めた場面は、まさに「英雄らしい奇策」として讃えられる。
本人の視点: 軍の指揮官として成功は当然であり、義経にとっては「計画通り」。
黄忠の定軍山
周囲の視点: 高齢で曹操軍の将・夏侯淵を討ち取った黄忠の活躍は、後世に語り継がれる「会心の一撃」。
本人の視点: 自らの武勇を示すまたとない機会を得た、普通の戦闘の一環。
3. 会心かどうかは後世の評価が決める
歴史的な名場面は、しばしば後世の評価によって「本人の会心の瞬間」として脚色されます。
後世の脚色: 多くの名場面は、物語や史書で英雄視される過程で、「特別な瞬間」に昇華されている。
例: 趙雲の長坂坡のエピソードも、三国志演義では大幅に脚色され、趙雲が単騎で敵陣を切り抜ける伝説的な場面となっている。
4. 英雄たちの価値観の違い
当時の英雄たちは、現代人の感覚とは異なる価値観を持っていた可能性があります。そのため、彼らにとって「会心」か「当たり前」かを判定するのは難しいです。
忠義: 関羽や趙雲にとって、主君への忠義を果たす行動は「当たり前」であり、特別な自負はなかったかもしれない。
武勇: 黄忠や馬超にとっても、自らの武勇を発揮する場面は「当然」であり、特別視する必要はないと考えていた可能性。
5. 漫画やフィクションでの描写の意義
漫画やフィクションでは、この「会心か当たり前か」の曖昧さを利用して、読者に想像の余地を与えることができます。
ヒーローとしての演出: 会心の瞬間を強調し、英雄の偉大さを際立たせる。
人間らしさの強調: 「自分にとっては当たり前の行動だった」という描写を加え、キャラクターに深みを与える。
まとめ
歴史上の偉人たちの「会心の瞬間」が、本人にとって会心だったのか、当たり前だったのかは、多くの場合わかりません。しかし、その曖昧さこそが、歴史やフィクションにおける物語の奥行きを深めています。
会心であること: その瞬間が歴史に与えた影響を象徴的に表現する。
当たり前であること: 英雄の行動を「人間的な視点」から捉え直す。
この二つの視点を行き来することで、歴史やフィクションはより豊かな物語を生み出しているのです』
「Q.よく、漫画などで「ゾーン」や「フロー」という描写があります。歴史的なキャラだと、その描写はしにくいですね」
『A.確かに、歴史的キャラクターに対して「ゾーン」や「フロー」のような精神状態を描写するのは、難しい場合があります。その理由と背景、さらに可能性について考えてみます。
歴史的キャラで「ゾーン」や「フロー」が描写しにくい理由
1. 主観的な経験が記録されていない
歴史資料や伝記では、人物の行動や成果は記録されていますが、そのときの心理状態や感覚的な体験は、ほとんど残されていません。
フィクションでは、行動や成果が「特別」に見えるエピソードは多くても、本人がどう感じたかは不明です。
例: 関羽が「単騎駆けを、冷静で自然に行った」のか、「戦場でゾーンに入っていた」のかは記録に残らない。
2. 「ゾーン」や「フロー」は現代的な概念
スポーツ心理学や現代のパフォーマンス理論で発展した概念であり、当時の価値観や言葉では表現されていません。
「神懸かり」「天命を受けた」という宗教的・運命的な描写はされることがありますが、これは「ゾーン」や「フロー」とはニュアンスが異なります。
3. 英雄の行動が「天賦の才」に帰結しがち
歴史的キャラクターは、しばしば「生まれついての天才」「類まれなる直感」として描写されます。
ゾーンやフローは、状況に応じた集中状態を説明する現象ですが、歴史的キャラはその集中が「常に可能だった」とされることが多く、特定の瞬間に限らないように描かれます。
4. 英雄像を壊す可能性
ゾーンやフローを強調しすぎると、「偶然の成功」や「特定の条件下でのみ活躍できる」と受け取られる危険性があります。
そのため、英雄の強さや行動は「常に完璧」と描かれる傾向があり、フローのような「一時的な状態」をあえて避ける場合があります。
それでも歴史的キャラに「ゾーン」や「フロー」を描ける可能性
1. 主観的な視点の導入
歴史資料にない主観的な視点をフィクションとして加えることで、ゾーンやフローを描写することが可能です。
例: 趙雲が長坂橋で敵軍を突破する瞬間、周囲の音や時間の流れが遅く感じられる描写を追加する。
2. 「超越的な集中」の表現
英雄の心理状態を「集中力の極限」として描写し、ゾーンやフローのような現代的な概念に結びつけることができます。
例: 張飛が長坂橋で咆哮し、数千の敵を退けた際に、視覚や感覚が鋭敏になり、瞬時に全ての動きを把握していた、といった描写。
3. 宗教的・神秘的な解釈を活用
当時の価値観に寄せて「神意」「霊的加護」としてフローを表現することで、違和感を軽減できます。
例: 黄忠が定軍山で夏侯淵を討ち取る瞬間、仏教の守護神のようなイメージを重ね、「神仏が黄忠の一矢を導いた」という解釈。
4. 瞬間的な「覚醒」の描写
短い時間での集中状態や、戦闘中の「閃き」を表現することで、フローに近い描写が可能です。
例: 馬超が渭水で曹操を追い詰めた際、「一瞬で敵の配置や動きを直感的に理解し、突破口を見出した」など。
「ゾーン」や「フロー」を意識した歴史キャラ描写の例
趙雲の長坂坡
敵軍に囲まれた状況で、すべての騎馬や兵の動きを把握し、動きの先を読みながら突破する。彼の視点では時間がゆっくりと流れる。
張飛の長坂橋
咆哮によって敵が怯む瞬間、周囲が静まり返り、目の前の敵だけに意識が集中する。「すべての敵の恐怖が視覚化された」との描写。
黄忠の定軍山
夏侯淵に矢を放つ瞬間、風の流れや敵の動きが手に取るようにわかり、迷いなく弓を引き絞る。彼にとっては「一矢必中」が当たり前に感じられる。
馬超の渭水の戦い
曹操を追い詰める際、敵の退路や伏兵の配置を直感で読み取り、騎馬での攻勢に最適な位置取りを瞬時に決めた。
関羽の華容道
曹操軍を逃がす場面では、周囲の風景や曹操軍の動きが目に入らず、ただ義理と情けを天秤にかける自分だけに集中する。
まとめ
歴史的キャラクターに「ゾーン」や「フロー」を描写するのは難しい一方で、フィクションでの創作を通じて、英雄たちの一瞬の集中や覚醒を「ゾーン的」な視点で表現することは可能です。これにより、読者や視聴者は、英雄たちの行動に新たなリアリティや親近感を感じられるかもしれません』
「Q.強すぎる呂布などは、その集中状態に意図的に入っていたかもしれません」
『A.確かに、呂布のような「常に規格外の強さを持つ人物」は、その集中状態、つまり「ゾーン」や「フロー」に意図的に入れる存在だったかもしれません。これは、彼の戦闘能力やカリスマ性をさらに神格化させる描写としても魅力的です。以下に、呂布が「集中状態に意図的に入っていた」と仮定した場合の可能性を考察してみます。
1. 呂布の「ゾーン」や「フロー」の特性
意識的に集中状態を発動
呂布ほどの武勇を持つ者は、戦闘中に自らの集中状態をコントロールする術を心得ていた可能性があります。
例: 呂布が戦場で冷静に戦況を見極め、必要なタイミングで「ゾーン」に入り、短時間で敵を圧倒する。
身体と精神の完全一致
彼の戦闘スタイルは、計算された剣技や馬術ではなく、身体と精神が完全に同期した「直感」によるものだったと考えられます。
例: 敵の攻撃を見なくても感じ取ることができ、必要な動きが自然に体から湧き出す。
恐怖や迷いの排除
戦場で圧倒的な力を発揮するためには、恐怖や迷いを捨てる必要があります。呂布はこれを「天賦の才」だけでなく、精神面でのコントロール術として身につけていたかもしれません。
2. 呂布の「ゾーン」に入った象徴的な瞬間
虎牢関の戦い
連合軍の猛将たち(張飛、関羽、劉備)を次々と圧倒した場面。
このときの呂布は、意図的に冷静な集中状態を作り出し、相手の動きを完璧に読み切っていた可能性があります。
戦場での彼の心象描写として、周囲の騒音が消え、敵の呼吸音や足音だけが鮮明に聞こえるような描写が適しているでしょう。
曹操軍の撃退
呂布が徐州を巡る戦いで、少数の兵で曹操軍を退けた場面。
「圧倒的不利な状況でも、自分の限界を超える集中力を発揮する」シーンとして描写できる。
呂布にとって、この状況は「危機」ではなく「楽しむべき挑戦」であったかもしれません。
対高順・陳宮の謀反
最期を迎える前の戦いでも、圧倒的な強さで敵を打ち倒し続けた呂布。
敗北の運命を悟りつつも、「最期の輝き」として自らゾーンに入り、最後まで恐れず戦ったという描写はドラマ性が高い。
3. 呂布が集中状態を「意図的に発動できた」可能性の理由
呂布の身体能力
呂布は歴史上「人中の呂布、馬中の赤兎」と称されるほど、武力と馬術で群を抜いていました。これを支える身体能力は、常人の域を超えており、意図的に集中を高められる余裕があった可能性があります。
戦闘経験と精神力
呂布は多くの戦場を経験し、勝敗を超えた戦闘哲学を持っていたと考えられます。
例: 「戦場では強い者だけが生き残る」という単純な信念を徹底しており、これが彼を迷いから解放し、集中力を高める要因となった。
赤兎馬との連携
呂布の戦闘スタイルは、赤兎馬との一体感によってさらに強化されました。馬と一体化することで、呂布は敵の動きを予測し、反応速度を極限まで高めることができたかもしれません。
4. 呂布の「ゾーン」を描写する例
戦場の孤高の感覚
「呂布が周囲を見回すと、喧騒は徐々に遠のき、敵の動きがすべてスローモーションのように映った。彼の耳には、戦馬の息遣いと敵兵の剣を振り上げる際の空気の切れる音だけが届いた。『この一瞬にすべてを賭ける』。その言葉が頭をよぎったとき、呂布の槍はすでに敵陣を切り裂いていた。」
赤兎馬との一体化
「赤兎の動きと呂布の剣技はまるで一つの生き物のように調和していた。赤兎の蹄が地を蹴るたび、呂布の槍が音もなく敵を突き破る。『これが勝利の感覚だ』。呂布の目には、恐怖に凍りついた敵兵の顔が鮮明に映った。」
5. 「ゾーン」の呂布を作中に活かす意義
呂布を「ゾーン」を意識的に発動できるキャラクターとして描写することで、彼の圧倒的な武力にさらなる神秘性が加わります。これにより、彼の行動が「単なる強さの誇示」ではなく、「超人的な集中力の結果」としてリアルさを持つことが可能です。また、これが呂布を超える存在との対比にも活かされ、物語に奥行きを持たせる重要な要素となるでしょう』
「この辺りまでイメージができてくると、各人の特徴をより明確に捉えることができそうだね」
「そ、そうかも知れません。試しにやってみましょう。その結果新たな目標が定まるかも知れないのです」
お読みいただきありがとうございます。