八十六 虎子 〜(関羽+張遼)×(班超×呂玲綺)=??〜
関羽と張遼。この二人の因縁は、張遼が呂布の下にいた時から始まる。互いの才を理解し合いながらも異なる主に仕え、互いの危機に手を差し伸べたこともあった。
劉備と曹操それぞれに対して、最も強き将を聞いたら答えは変わるかもしれないが、最も信頼する将を聞けばこの二人を返してくるのは間違いない。
だからこそ、三国、そして世界の運命を変える一大事業、呉を中心とした大船団による東征の折。二人は揃って、その統括責任者として建業に駐在する「大使」に名を連ねた。
だが、その時を待ってはくれない者らがいた。北の草原の民、匈奴。彼らが大兵団で西涼、そして河北に侵入したのを機に、関羽と張遼は揃って洛陽に急行する。
「関羽よ、そなたまで魏の側に来てもらえるとはな」
「ああ。話を聞くに、間違いなくこちらの方が深刻そうなのだよ。蜀の方は、馬超が食い止め、張飛と黄忠が蹴散らせば、趙雲が全軍を率いて進発する頃には戦況も落ち着こう」
「かもな。確かにこちらの方は、主将格で動けるのが私と張郃くらいしかおらん。龐徳はあと一歩、曹彰殿下や郝昭も、全軍の将とまではいかんからな」
「ああ。なのでこたびは遠慮することはない。文醜顔良を討った時のように、互いの思惑がずれている、ということもないさ」
「そうだな。葛藤があるとすれば、呂玲綺お嬢様のことだが、それも当人が突っぱねてきそうだからな。少しでも油断したら、それこそ首が飛ぶような相手なのだろう?」
「間違いないな。個人の腕は父親とは程遠いが、兵を率いる力は、もう中原のどの将に勝るとも劣らん」
そして洛陽に着くと、すぐさま状況を共有する。だが混乱が多く、相当に断片的な情報と言わざるを得ない。この陳寿も、もう少し上手く伝えられたら良いと、忸怩たる思い。
「張郃、于禁、李典が負傷離脱。相手に凄腕の将がいそう。許褚とも互角以上か」
「郝昭を軸に、龐徳、許褚、曹彰を遊撃として持ち堪えている」
「兵は足りているから後退はしていないが、やはり率いる将が足りず、若手でどうにか凌いでいる」
こう言った具合。それゆえ二人は洛陽での情報収集を諦め、魏の南部からかき集めた10万を率いて、戦地となっている上党群に急行する。
向かった先では状況が悪化。曹彰、郝昭が疲労の限界で撤退を余儀なくされ離脱。龐徳、許褚がどうにか総崩れを防いでいた。
「私が一旦割って入る。張遼、二人を頼む」
「心得た」
「なんだ? 後ろから来るぞ? ヒゲが来るぞ?」
「チョリョ? ヒゲが違う? 誰だ? 強すぎるぞ」
関羽を先陣とした騎兵二万は、こちらの左翼候補から中央へと割り込み、匈奴軍は一時の後退を余儀なくさせる。さほど手応えはなく、敵将はその位置にはいなかったようだ。
法螺貝が鳴る。一旦仕切り直すつもりのようだ。こちらも一旦合流を図る。
「龐徳、許褚、どうなっている? なんて有様だ!?」
「張遼殿、そして関羽殿か。はるばる建業からの急行、誠にかたじけない。許褚殿、おおよその状況は覚えていますか?」
「ああ、大丈夫だ。基本的に忘れることはない。苦戦の要因は大体三つ。一つは敵の数。おそらく10万はいる」
「兵数を把握できていないのか?」
「どうやら本陣がかなり後方にあるらしく、そこまで読みきれないのだ。戦闘自体は五万くらいと戦っているような感覚だよ」
「二つ目がもっと厄介で、相手がこちらの力量に合わせて複数人で襲いかかってきては、すぐに駆け抜けてどっかへ行ってしまうんです。それで疲労が限界となった者が多く、結果的に負傷者や死者も増えています」
「将のほとんどが離脱した原因がそれか。確かに厄介」
「極め付けは三つ目。率いる将も神出鬼没。李典殿、張郃殿がいきなりやられ、変わって指揮をとった于禁殿も。着実にこちらの指揮系統を麻痺させようと狙ってきています」
「俺も一度当たったが、簡単に仕留められないと見たのか、すぐどっか行っちまった」
「……いずれ出てくるだろう。許褚で難しいとしたら、私でも無理だな。関羽しかおるまい」
「心得た。相手は匈奴だ。必ずどこかで仕掛けてくるさ」
そして再度向かってくる匈奴勢。神出鬼没だった将だが、どうやら旗が上がっている。もう隠れる気はないようだ。
「『班』そして『虎子』……まさか」
「まことなら厄介にも程があるぞ」
「班超。後漢の西域都護として、西方各国を匈奴の麾下から漢へと次々に帰順させ、匈奴優位の情勢をひっくり返した英雄」
「小勢で匈奴の大軍にうちかかり、『虎穴に入らずんば虎子を得ず』の言葉を残した豪傑」
「一時期漢朝の不興を買って、西域に長らく止まることを余儀なくされたから、あちらにもその血脈が残っている、か。おそらく漢に対する感情も、あまり良くはないのだろうな」
「見えてきた。あいつか。大きく……はないな。若くもなさそうだ。とにかく鋭い気迫を感じる」
「……参る」
手勢を率いて一気に飛び出す関羽。まるでそう、華雄や顔良を一太刀で討ち果たした時のように。
ガキィン!
「ふふ、関羽殿よ、私の虚をつくことはできなかったようですね。貴方のその二の太刀要らずの一撃。それを防がれたこの先は千日手になりそうですが、いかがかな?」
「! そなた、私の力をことを、よくご存知とみうける」ガキィン! キン!
「この大陸東部で、貴方を知らぬ者など。それは漢に留まる名では、ありませんよ。それで、続けるのですか?」ガンガンガン!
「なあに、虚をつけるのはなにも初手だけではないぞ。それ、そりゃ!」キン! ズン!
「果たしてその虚実は、どこに、ありましょう」ブン! キィン!
裂帛の気合いと共に、実を持って青龍等を打ち込む関羽に対し、あえて虚を作ってはそれを実に変え、変幻自在の矛さばき。素人目には関羽が圧倒しているように見えそうだが、許褚や張遼からすると、班なにがしが巧みに受け流していることが見て取れる。
「だめだ。ありゃ入れねえ。近づいたら吹っ飛ぶ」
「あれが関羽なんだな。あの本気の打ち合いは呂布殿のとき以来か」
「ということは呂布並みということか?」
「いや、流石に。あの時はあそこに劉備張飛が加わって、その上で捌いていたからな。それに……」
それに。張遼が言い淀むうちに、手が進む。
「くくっ、我が虚実がまやかしだ、ということは、お気づきでしょうに」ブォン!
「まやかしとて、虚は虚。それに、虎穴に、入らずんば、なんとやら、ってな」ガインッ!
「くっ、 さすがですね」
「……お前もやるな。あの血筋は伊達ではないということか」
「お気づきですか。旗は掲げましたからね。っと!
くっ! 危ない。ですがやはり全盛期には及びません、か……なるほど」
そして再びわずかな隙。関羽の青龍刀が、ついに班なにがしの首元をとらえ、張遼らが思わず「捉えたか?」と声を上げた直後、
ガインッ! バキバキ!
「くっ、刃が欠けたか。これでは。だがそちらも穂先が駄目になったのではないか?」
「ふふっ、潮時、ですか。我が名は班虎。後漢にて大命を授かりながら、一時の行き違いによって西域で不遇をかこってきた英雄、班超の玄孫。この虎の子、漢を故郷と思うことは永劫なしとお心得を」
「班虎……覚えておこう。やや衰えし私か、それともこれから育つ若手か。その首はしばらく預けることにする」
そうして、百合余りの打ち合いののち、わずかに笑みを浮かべた班虎率いる匈奴軍は、法螺貝の音とともに、いつもと同じく草原と同化するようにばらばらに去っていった。
「ちっ、全盛期なら確実にやれたであろうが、不甲斐ない」
「あやつは三十か四十か。どこであれほどの腕を」
「……まだ他にもおるのかもしれんな。とにかくこちらも退くのだろう? 最後まで油断できんぞ」
「ああ。確かに油だ……ちっ、言っている側から」
撤退するために陣を整えているそばから、あの八門禁鎖が迫りくるのを、張遼らは遠目に捉える。そして何かを見定める。
「動く八門禁鎖……たしかに厄介この上ないな。曹仁殿や曹植、曹彰殿下がどうにも出来なかったのも分からぬではない」
「こちらでは、徐庶と関平、馬超が、陣の外と中で連携して、どうにか打ち破ったと聞くな」
「そのようだな。だがどうだ? 関羽よ、先ほどあの、虚実を操る班なにがしと武器を交わしたそなたにとって」
「……なるほど。あれも虚実、と?」
「おそらくあの陣は、大半が虚。すなわち捉えるべきは虚の中の実にあらず。実の中の虚」
「私にしか分からんように言ってくれるな。許褚や龐徳すらも着いて来れておらんぞ。つまり、あの陣全体の中から弱みを見つけ出す動きでは、それを破るのは容易ではない。むしろ、陣の中で盤石にして強健と見えるところにこそ、その虚を探り当てられる、と」
解説が入って、どうにか追いついた龐徳と許褚。
「あの陣の中にある実、というと、すなわち……」
「呂玲綺本人、そして赤兎の軍勢、ってことか」
「左様。全軍正面から迎え撃て。我が手勢は、赤兎を追う!」
そして接敵。張遼の指示通り、突破や侵入を試みるでもなく、勢いをかわすでもなく、ただ受け止める。
「八門禁鎖は守りの陣。なれば突破力はそれほどではない。関羽、許褚、龐徳、主軍は任せた。私は呂玲綺を追う!」
「「「応!」」」
突入し、ほどなくして呂玲綺を見つけ出す張遼。
「えへへ、よく見破ったね。さすが張遼おじさんだよ」ガインッ!
「くっ、父譲りの画戟捌き。その体つきに似合わぬ重さ」
「匈奴の戦に男女もないんだよ。よく見てみなよ。結構混ざってるから」ガンガン
たしかに、やや小柄な者や、丸みを帯びている者、細身の者とて少なくない。だが一様に、相応の槍矛さばき、弓の腕を持つようだ。
「よそ見をさせておいて、打ち込んでくるか。小癪な」ガインッ
「えへっ、ばれた」カンッ!
陣は流動性を次第に失い、両軍の足は止まり始める。
「大雑把な指示だけで、この陣を作り上げるのか。匈奴は一兵卒まで、その戦いの術が染みついているのか?」ガン! ガン! ガン!
「必要に迫られて戦う漢の軍人と、戦いそのものを生き様とする、匈奴との違いかもね」キィン!
「そしてそなたは、そちらに身を置くか」ガン!
「そだね。父上は割り切れなかったんだろうけどさ。アタシは違うよ」
両者の槍と画戟が交わり、止まる。
「分かっているんだろ? もうおじさんの力では、アタシに穂先を届かせるのは無理だよ」
「……悔しいがその通りだな。だが、そなたの刃先とて、私には容易には届かん」
「ふふっ、でも見えたよね? この国はアタシだけじゃないんだって。そろそろ現実を知らせておかないと、ちょっと間に合いそうにないからさ」
「む? 間に合わない?」
「あはは、まあ気にしないでよ。どうしたって、このままじゃ少なくとも『魏』って国は押し潰されるよ。あの曹操はもう居ない。その両腕たちもほとんど世を去った」
「後進は育ちつつあるが、それだけでは間に合わんと言いたいんだな」
「そうだよ。その危機感も、蜀や呉にまだ追いついていないんだ。彼らはもう、新しい国の形、強さの原点を見つけつつある。それに着いていくのか、新しい何かを見つけるのか。それともより強い力に飲み込まれるのか。そんな分岐点は、もう近くまで来ているのさ」
そういうと呂玲綺は合図を出す。そして法螺貝が鳴り響き、誰にも追いつけない赤兎の集団は去り行く。そして再び匈奴軍は草原に溶けて消える。
「……あっ! 待て!」
――もう選べるのは、あなたしかいないんだよ、おじさん――
そんな言葉が耳に残り、再びの静寂の中、関羽と張遼の最後の連携は、幕を下ろした。
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