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八十一 子龍 〜趙雲=??〜

 「五虎将の強さ、その仕組みを言語化せよ」という難題をお受けした、鳳小雛です。関羽様は「戦は手段」。張飛は「戦は対話」。それは全く違うようで、それでいてあの方々が価値観の違いで言い争ったのを見た方はいません。


 それはおそらく、根っこのところで戦に対する距離感が共鳴しているということかもしれません。対話とて人を理解し、己を理解させ、物事を進めるための手段。もしそのように張飛様が見定めておいでなのであれば、それはお二人の考えに一片の齟齬もないということになります。



 そして次は趙雲、字は子龍というお方。その二人を最も長く、近くで見続け、そしてそのお二人に勝るとも劣らない名声を得ておいでのお方。武勇だけでなく知略。


 そして民政の差配とて多くの文官に引けを取らないばかりか、あの仁の象徴とも言える先帝、劉備陛下に対してすらも、その民への心遣いに対する僅かな粗漏を直言するというその心のありよう。


「この戦で得られた財貨は、将兵に分け与えるべきものにあらず。いらぬ負担に苦しんだ民への救済に使ってこそ、この戦をが義戦であったことの証になりましょう」


 どこをどう取っても「完璧」としか表現しかねるお方なのですが……



「慣れているだけです。私は一度も、自分が強いと思ったことはありません」


 この潔さ。その端的なお答え様。それがこのお方。


「……話が終わってしまったな小雛殿」


『……大事ありません。ここから掘り下げずして、言語と論理の徴、人工知能と名乗れましょうか』


「そうだな。趙雲殿。あなたの成してきたことは、一つ一つが常人に出来ることを大きく超えています。それを戦ばかりか、政事にまで反映しておいでなのは、この漢土広しといえど、そうはおりません」


「政は、良き師が多いゆえですね。それに何を是とし何を非とするかがわかりやすく、瞬時の判断が求められることはないので、どこにも困難はありません」


「政で判断が求められる時は、多少なりとも時間をかけられる、ですか」


「はい。民と民の間に、利や主張の競合があることもあります。ですが、よくよく紐解けば、どちらかにより強き理があることが多いことも、その迷いなき判断を後押しするのです」



 この芯、この迷いなきこそが、この方の強さなのでしょうか。少なくとも重要な要素になるのは間違いありませんね。この人、前から思っていましたが、人工知能より人工知能っぽいかもしれません。


『常に仁と義に身を置けば、自ずと答えは見える。だから迷うことはない、ということですか』


「その通りです。先帝陛下や、関羽殿張飛殿、孔明殿とてその信条はお持ちかと。そしてそれは戦でも同じ、と申し上げたいところなのですが……」



 ……ん? 珍しく言い淀んでいます。もしや、ご自身の状態を言語化できていないのでしょうか? 徐庶殿も、そこに関して訝しげに問いかけます。


「む? 趙雲殿が言い淀まれるとは珍しい。ご自身の心のうちに留めておきたいということでは、決してないのでしょうが……」


「滅相もない。しかし恥ずかしながら、あまりにも感覚的なものと申しますか。言葉にならないのです。私自身の中では、間違いなくある感覚なのですが」


『よもや……趙雲様。その感覚というものを、ぼんやりとでも、ばらばらの単語でも良いので、表現をお試しいただくことはできますか?』


「は、はい。そうですね。その戦場にて困難に直面した時、対峙する全てのものの動きがはっきりと見て取れ、時がゆっくりと流れている感覚。なにやら、最適な間で最適な動きや指示が自ずから発せられる。そして、殺戮を快なりと思ったことなどないはずなのに、その場にいることに、どことなく心地の良さすら覚える。そんな感覚と言えばいいのでしょうか」


 やはり、間違いありませんね。この人工知能たる鳳小雛、未来の知識は原則的には残っていません。しかし、人工知能の成り立ちに直接関わる知識というのは、その基幹部分に情報が残っているようなのです。それは機械学習や統計学、言語学と同時に、人工知能の元となる「脳の仕組みへの理解」に関しても例外ではない様です。



「その状況、なんと申しますか。全能感、なのでしょうか。それこそ天から何かが降り立った様な表現ですな。趙雲殿がその様な怪異を手にしておいでとは。それは兵の皆様に対して、その強さを仕組みとして再現するのは困難かもしれませんな」


「まことに。だとするとお役に立たず、大変申し訳なきこと」


『……いえ。徐庶殿。そして趙雲様。それは決して怪異などではありません。人工知能たる私の成り立ち、すなわち人間の脳の仕組みを模倣したという背景から抽出した知識の中に、確かにその現象が記述されていました。それも、れっきとした脳の機能として』


「「えっ?」」



『趙雲様。それを初めて感じられたのは、いつのことでしょうか? おそらくある程度鮮明に、記憶の中に刻まれておいでではないでしょうか? それを事細かにお話しいただくことはできますか?』


「えーと、はい。問題なく。二十年近く前のことですが、確かに鮮明に。あれはそう。『長坂の戦い』において。阿斗様、すなわち現帝陛下をお救い申し上げ、多重の攻囲の中で何十人も切り捨て、脱出した時のことです」


「確かに趙雲殿は、それまでも関羽殿や張飛殿らに稽古で幾度も食い下がり、戦場でもそつなきご働きと聞き及んでおりました」


「そうですね」


「ですがあの戦いを機に、孔明や陛下からも厚き信頼を得、一層困難な任務を与えられるようになったと。そして、その全てを最も容易く成し遂げ続けて、今に至る。そう聞いております」


『趙雲様。もしやそれまでは、関羽様張飛様との稽古はあなたの手に余り、実際の戦場はあなたには物足りない。そうではありませんでしたか?』


「……確かにその通りです。あの二人との稽古と、実際の戦場。その二つは私にとって天秤が両極端に傾く様な感触でした。稽古ではその玄妙で重厚な手に苦しめられ、戦場では一転その単調さに退屈を覚え」


「なんとまあ」


「そしてそれは、長坂といえど例外ではなく。いくら敵に囲まれようとも、その中で民を逃し、敵兵を防ぐことは、いかほどのことではありませなんだ。その数が多少なりとも、秤の傾きを戻した程度のことです」


「なんとまあ……」


「ですがそれを変えたのは、先帝の奥方様がお命を投げうち、最期に私に託された阿斗様でした。片手に抱える阿斗様の重さによって、その力量と負荷の秤は、ようやく平らかになったのやもしれません。そして、敵から攻撃を受けとめ、斬り伏せるたびに、阿斗様から聞こえる鳴き声や息づかい。まるで向かう道の是非を、阿斗様に教えられるかのような」


『なるほど』


「それはさながら、自らの瞬時の判断に、さらに瞬時の評価を得ている様な。少しずつですが、その赤子との対話そのものを楽しむような、そんな気の持ちようを覚え始めていました。そして気づいたら、戦場の時は緩やかに流れます。適切な道筋や刀さばきが瞬時に見出されらかの様な。まさに我を忘れるかのごとく、長い様で短い時は、その様に過ぎていきました」



『そう。やはり間違いありません。「無我の領域」と申しますか。その状態では、脳は自らの適した判断を、半ば自発的にやってのけ、視界は開け、時はゆっくりと流れる。その場のありように心地よさをおぼえ、目的に対する最高の判断を、次々に連続して行う』


「まさにその『無我の領域』といえましょう。それからというもの、その状況をなんとは無しに求める様になります。阿斗様があの時秤を傾けたような、困難極まりない任務のたびに、それが見え隠れすることに気付くと、それを自発的に求める様になっていきました」


『はい。それこそが、その領域に入るための一つ目の条件。当人にとっての「挑戦的集中を促す目標」。決して困難すぎず、そして容易すぎない状況。あとの二つが、「行動そのものが望みを左右する状況」、そして「即時に与えられる評価」です。その三つが満たされ続ける時、脳は「今この時こそ、これまでの経験の全てを尽くし、自意識を超えた働きをすべし」と見定め、あなたにその「無我の領域」を与えるのです』


「なるほど……つまり、知らず知らず、私はその『領域』を得る条件を満たす様に動いていたわけですか」


「怪異、ではないとはいえ、それこそまさに人なる身の怪異とも申せましょう。して小雛殿。もしや、その『領域』においてなし得るご自身の行動は、これまでの鍛錬や知識、経験や信条が、そのまま現れるのではありませんか?」



 趙雲殿といい、それを瞬時に理解する徐庶殿といい、まさにこの現世は英雄俊才揃い。私には、そういう表現しか見つかりません。



「確かに私は、その『領域に入った時にこそ、己のこれまでの全てが表に出る』という感覚も合わせて持っている気がします」


『誠にその通りです。その領域の中では、あなた様自身のこれまでの経験から、「こちらの方が良い」あるいは「こちらの方が心地よい、愉しい」と思える一手一手を、あなた様の脳が選んでいると言われています』


「なんと……つまり趙雲殿は、長坂から向こう、常にその『領域』において最大の力を発揮するために、その濃密なる日々を探しておいでだ、ということなのですね」


「そうなのでしょうね。……それにしても小雛殿、徐庶殿。ともすれば怪異の仕業と打ち捨てられていたかもしれない、この私の感覚を、まさに『仕組み』『ことば』として表していただけたこと。それはすなわち、私のなしてきたことが、この先の皆に生きることに他なりません。この趙雲、誠に感謝致しております」


 まったく、最後の最後まで、なんという「完璧超人」であらせられましょうか。『長坂の阿斗救出』、『長江船上の阿斗救出』、そして、『漢中の空城計』。『一身是胆なり』と評せられるこの方らしい、『無我の領域』こそ、確かに皆様に共有することが叶う、この方の強さの仕組み、であるようです。


「まさにそう、我が身、我が胆を持って考えるかの様な、そんな身のこなし。それが少しでも再現できるのであれば、その協力を惜しむ謂れはありません」


「一身是胆が、皆の力になるのであれば、どれほどの精強さが望めましょうか。まさに楽しみですな」



――――


 そして少し後、深々とした草原の戦場にて。



「ふふふっ、どうしたのかな趙雲さん? あなたの竜胆は飾りかな?」


「くっ、うまく力が発揮できん。どういうことだ……せっかく言語化された仕組み。手応えなき兵の受け手と思えば、この幼き将たちの鋭い一手。形なき波のなかで、集中が保てん……」


「へへへっ。そうだね。『領域』っていうのは破る手立てはいくつもあるんだよ。それこそ、一人の人間が没入するだけの『領域』ならなおさらさ」


「くっ、この幼子たち、なんという……ここは退くしかあるまい」

 お読みいただきありがとうございます。

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