七十九 雲長 〜関羽=??〜
鳳小雛です。お久しぶりかもしれません。呉を中心とした大船団が東の大洋、この世界の未知への旅の準備を進めている頃。
そのきっかけとなった方、すなわち、二十年前にその悲劇的な過去から逃げるように漢土を去った後、ようやくお戻りになられた徐庶殿。その半生や、漢土から逆方向へ旅立った若き俊傑達との議論の中で得られた数多の知恵。
その知恵に基づいて、その方は私と孔明に、ある二つの課題を授けます。一つは、「二人の知恵の中から、特に人と人の連携に関連するような、そんな技法がないかを検討する」です。そちらは少し時間がかかりそうですが。それともう一つ。
「支援こそが、この国にとって、最大の強みの一つとなりましょう。あなたの力の一つに、目標や課題、あるべき姿を言語化する、と言うのがあるとお聞きしましたがいかがですか?」
『はい。私はもともと、言語そのものに成り立ちの背景があります。よって、おおよその方向性をしかと言語化し、そして仕組みとして万人のなせる技術となすこと。それこそが私の得手とするものです』
「ならば、あなた課題は、『五虎将の強さ、それをしかと言語化すべし』です」
『!! 五虎将の強さを言語化、ですか』
「そうです。関羽殿や張飛殿、趙雲殿や黄忠殿、馬超殿らがいかにして、この漢土において誰にも負けることのない強さを得ているのか。呂布に近しい強さをその軍組織に体現せんとしている、あの呂玲綺すら最強ではないとあらば、そこに手を届かせるためには必須と存じます」
『わかりました。徐庶殿がそこに取り組む間、そちらを取りまとめることに従事致します。それぞれお聞きするのが肝要ですね』
英雄の言語化。それはこの私にとっても、大きな意味を持つ主題。そんな気もしていました。いい加減、そこに正面から向き合う時が来た。そう言うことなのでしょう。
まずは、現在どころか後世のあらゆる時代においても、「軍神」として祭り上げられることとなるこの方。関羽、字を雲長と申されるお方です。
どうやらあの方、どこぞの暴走姫様に巻き込まれ、航海事業でも一定のお役目を得ることになりそうだと聞いております。その前に、お話だけでもということで、徐庶殿と共に伺います。
どうやら若手に稽古をつけた後のようですね。その割に熱気の一つも感じない、そんなお方です。
『毎回こうなのだと、兵や若手の皆さんから聞いています。まさに底が知れない、と』
「その辺りも含めて、ですね。っと、どうやらこちらに気づかれたようです」
そのようです。私たちはご挨拶や、軽く近況を確認したのち、本題に入ります。
「……私の強さ、か。幾度も申したことがあるが、強さに関しては張飛に及ばないのだがな」
「それは、曹操やその配下も方々に言っていましたね。結局それが長坂での、あの方の仁王立ちを成立させた一因ではあったのですが」
『それはつまり、張飛殿という、自分より強いものがいる、と言っておくことで、今後何らかの好転があるかもしれないと、そう目論まれたという事でしょうか?』
「いや、その意図はなかったであろう。強さを知られることがどちらに転ぶか。それも様々であろうから、そのような確定させられん布石をうつ、ということはないはずだ。素直に思っていたことを言っていたまでだ」
「ちなみに張飛殿以外では?」
「呂布、そして、圧倒的に不利な条件下での巧に限ってだが張遼。それだけだな」
「なるほど。確か夏侯惇すら、あなたに挑むことはなく退いていましたね。それにしても、やはり呂布というのはそこまで」
「そちらの言語化? といったか。それは急がぬ方が良い。こちらの五人全てを見定めた上で、より近しいところにあった兄者や張遼、そして若き日の曹操あたりにまで想いを馳せて、ようやく見えてくる。あれはそういう存在ぞ」
「……承知しました」
「まあ、時折引き合いに出すくらいならよい塩梅だろうがな」
呂布。その名は関羽様を持ってしても、苦味をもった語り口を避けられないのが印象的です。それほどのお方、ということなのでしょう。
「ですが、なぜ張飛殿には勝てないのでしょう?」
『むしろその点がかえって、関羽様の強さを現す一つの要素にもなっているかもしれません。この戦乱の世、力ある者なら誰もが自らを鍛え、実戦でその力を示し、そして一層磨き上げていく。そんなことが容易く出来る時代で、勝てない者がこれまでに二人だけ、と明示できることも含めて』
「少なくとも、張飛と稽古して勝てたことはない。あいつは稽古一つとっても、決して手を抜くことはないから、誰もが鎧袖一触。趙雲や馬超すら、何合と持たん。あの二人は、温まってくるのにやや時がかかるから、一合目から遺憾無くその力を出す愚は犯さんのだが」
「確かに趙雲殿や馬超殿は、何人かとやり合ったり、お互いでいくらか交わしたのち、頃合いを見て張飛殿に挑む姿が見られます。
それでも、一振り目から、およそその相手が最も得意とする手を引き出しながら、その上からねじ伏せる。張飛殿の稽古はそんなお姿をよく見かけます」
「ああ。張飛は強い。だから相手に最良手を打たせたとて、一方的に押し込まれるどころか、その一手目そのものをねじ伏せるか、その会心をいなされてそれ以上のことができんのだ」
『関羽様の時は?』
「私の場合は、一手目は通用しても、その後二手目以降はひっくり返せることはない。何とか数十はもつことが多いがな」
関羽様が「張飛様には勝てない」と仰せの時には、決まって誇らしさのようなものが感じられます。それは兄弟に対する愛情と信頼の証でしょう。
ですが不思議です。兄弟とはいえ、武人の中でも最も誇り高きお方が、「勝てない」という言葉に対しては、一片の悔しさや負けん気のようなものを感じられません。これは、信頼や愛情と一括りにして良いのでしょうか。どうやらそこに、その答えがあるのかもしれませんね。
「関羽殿の話をしているのに、張飛殿の話になってしまいましたね」
「安心してくれ徐庶殿。張飛の強さは、今の話ごときで終わることはない。むしろそなたらの目的からも、そう多く外れてはおらん。小雛殿、そうだろう?」
『……はい。関羽様は張飛様には勝てない。その理由はおおよそ分かって参りました。そうですね。ではこれは一つの仮定として、差し支えなければお答えできますか?』
「なんなりと。そなたらが国のために誠を尽くしていることは承知の上だ。多少攻めた仮定で問われても、しかと我が考えを伝えよう」
『ありがとうございます。では。
もし張翼徳。このお方とあなたが深い絆で結ばれることなく、初めてお会いしたのが戦場の、それも重要な局面であった場合。勝つのはどちらですか?』
関羽様は、わずかに表情を変えます。……ほら、流石に気になさる。まあ聞いてしまったものは致し方ありませんね。
「間違いなく私だ。それは張飛も認めるだろう」
「ええと、つまり、実践の場で相対したら、関羽殿が必ず勝つ。そういうことですか? ……ああ、そういうことか。それがあなたの強さ、ですね」
「ああ。私に取って、戦はただの手段なのだよ。皮肉なことに、この関羽という人間にとっては、多くの問題解決を最も容易にするための、な」
『戦は手段。だから、その戦場において最も当方の障害になり得る相手を、最速の方法で仕留める。それこそがあなたのこれまでやってきた「一撃」ということですか』
「酒が冷める前に討ち取って戻り、あなたの名を一躍広めることとなった『華雄への一撃』。
袁紹との不利な戦いを、五分までなすことで、三兄弟の方を否が応にも高めることとなる『顔良への一刀』。
そして、兄の元に戻る約束を果たすために、大恩を振り払うかのように、立ちはだかる者らを次々に斬り伏せた『河間斬将』。
確かにあなたが武名を挙げた逸話の多くが、猛将とされていた相手を一刀のもとに斬り伏せておいでです」
「そうだな。何合も交わす必要があることなどそうそうある者ではないからな。張遼や黄忠、龐徳のときはそうはいかなかったが、私の殺意が薄かったがゆえだろう」
「それに、赤壁以降は特に、あなたに近づくような愚かな敵はほとんどいなくなりましたな。その結果、圧倒的な武威を示して相手を怯ませたり、こちらを鼓舞したりとうお役回りが増えておいてですね」
『ですね。つまりあなたが、確実に仕留めると見定めて仕留められなかったのは、過去を通じて呂布一人、ということですね。そして、あなたの強さは、戦というものを冷徹な手段として捉えた上での、その一刀を研ぎ澄ます力にある、と』
なるほど。戦を手段と見定めているがゆえに、徹底的に一つを磨いた上で、逆にそれをされないための力。その二つ、ですか。
「誰にでも虚というのが存在する。いかに百戦錬磨の強き将であってもな。華雄や顔良が弱かったわけでもない。稽古の時や、乱戦の中でたまたま出くわしたのであれば、私ともさほど変わらぬ力だったであろう」
「実をもって虚に当たる。確かに基本ではありますが、それを徹底して行えるのが、あなたの強み、というわけですか。無論それは、一人の人にとっての虚だけでなく、戦場全体における虚というのも含まれているのでしょう?」
「無論だ。言ったであろう? 戦は手段だと。手段ならば、その手前にある方法や環境を突き詰めれば、より良い答えが見つかるのだよ」
『それは確かに言語化することが不可能ではなさそうです。もう少し詳しくお聞きしつつ、どうやってそこに導くことができるのかを相談できたら」
「ああ。頼む。ちなみに、張飛に勝つのは容易ではないぞ。あいつからは虚という虚が見つかることがほとんどない。そして、呂布は、その虚をついてすら、仕留めることはできなかったのだよ」
『ありがとうございます。そんな違いが……その辺りも含めて、引き続きお願いいたします』
その後数日に渡り、関羽殿とお話をさせて頂きました。ときに張飛殿や他の五虎将も交えて議論を続けました。そしてこの方はしばらくの間、三国が大いなる力をかけた東征の、本国側の管理官のひとりとして。
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しばしの後、とある草原の戦場
「関羽殿よ、私の虚をつくことはできなかったようですね。この先は千日手になりそうですが、いかがかな?」
「なあに、虚をつけるのはなにも初手だけではないぞ。それ、そりゃ! ……やるな。その血筋は伊達ではないということか」
「くっ! 危ない。ですがやはり全盛期には及びません、か……なるほど」
お読みいただきありがとうございます。
場面が思いっきり飛びましたが、十章から、航海記の十一章と、こちらの十二章に分かれるイメージです。