七十七 上陸 〜(曹植+兀突骨+幼女)×組紐=??〜
喬小雀だ。小喬という女性の残滓、そして、蜀漢に残された『鳳雛の残滓』という名の、遥か未来の技術。それらを陸遜が読み解き、そして孫尚香の想いが重なって具現化した、いわゆる人工知能という存在。
わたし達は遥か東の漢土から、たっぷり半年ほどをかけて、高い壁の立ち並ぶ新天地へとたどり着いたんだ。
え? 知っていたんじゃないかって? いや、どうやらこの人工知能は、数学や統計、論理学や言語学といった、成り立ちに直接関わる学術技術と、漢人が知り得た過去の知識のみで成立しているらしいんだよ。
そういう意味じゃあ、すでにサモアの公開術と星読み、戦士の歌なんかは全て知識に入っているよ。それ自体は、先行して帰還している艦隊が、漢土にも届けつつあるだろうね。
余談だったね。その大きな歓喜と興奮の元で、高い壁のそびえる新大陸にたどり着いたわたし達は、上陸拠点を探すために北上を始めた。何日か進むと、何とか上陸できそうな浜を見つけたが、兀突骨は首を横に振る。
「すぐ先が崖だ。なにもねえ」
さらに数日。視界が大きく開け、延々と続きそうな浜が見えてきた。
「森だな。通れる感じじゃねえ」
雨が近づくと上陸するが、補給ができないのでそのまま北上を続ける。
「あっ! なんかひらけて来たぞ……んん?」
「ようやくか。んん? どうした?」
「あれは……魚? いや違えな。船? いかだ?」
「ん? まさか人か?」
「ああ。分からねえが、多分」
「船速を落とそう。旗艦だけで進む。怖がらせない方がいい。陸遜殿、いいか?」
「はい凌統殿。お願いします」
近づいていくと、漁をしているのだろうか。かなりの数の筏が見えて来たよ。ぶつからないように速度を落とす。
「おーい! 魚はとれるか?」
「***?」
「だめだ、通じねえ。みんな一回上陸するみてえだ。逃げるわけじゃねえな」
「とりあえず我らも上陸しましょう。話しているうちにどうにかなるでしょう。最悪小雀殿の理解待ちです」
『なんて言い方だよ。けど了解したよ』
さっきの感じだと、漢とも海や島の民とも全然違うね。
「紙と書物。絵入りがいい。それと上質な布だな」
「漁の邪魔した。魚もだ」
「そうしましょう」
そして身振り手振りを交えながら、丁奉殿と関平殿、兀突骨が話しかける。
「すまない、漁の邪魔をした。こっちの魚を受け取ってくれ」
「***? **!」
「南蛮や、その南とも違えな」
「うーん、これはペルシャに近いかもしれないな」
「そうなのですか関平殿?」
『この発音は、確かにそうだね』
「これは魚だ。さかな」
「**。**!」
「何となく分かってはいそうだな。私たちは西から来た。話がしたい。こういう布や書もある。街はどっちだ?」
彼らに布や、絵が入った書物を見せる。陸の方を適当に指差す。
やはりというか、騒ぎの輪が広がり始めた。
「**? *!」「***」「***** ***!」
「これ、むしろ倭の言葉に近いような。定期的に同じような発音が入ります」
『助詞や接尾句ということかな。丁奉殿、ちょっと倭語と、カナ文字で話してみてくれるか?』
「?? わかりました。『これは魚です。あなたは魚を食べますか?』」
「? ** *** **。 *** ** ***!」
『ちょっとずつ掴めて来たかもしれない。続けてみてくれ』
「私達は、西から来た。あなた達は、どこから来た?」
「** **** **。** ***!」
特定の方向を指差し、来るように促すような身振りをして来た。どうやら成功だ。
「あっちに、仲間が沢山いる。呼んでいいか?」
「***」
「大丈夫そうだが、とりあえず上陸させるだけにして様子をみよう」
歩きながら、丁奉が文字を見せながら話しかけたり、でっかい兀突骨がちっちゃくかがんで、望遠鏡を見せては喜ばれたり、ゆっくりと進んでいく。
すると、見るからに相当な規模の集落、いや、街、都市? が見えて来たよ。河口付近に作られているようだね。
「ここが 街。中に 入るか?」
少しずつ分かって来た。もともと倭語を操る丁奉も、ある程度把握しつつあるみたいだね。彼は黙って頷く。
「魚は、十分。布と、絵を、見せたい。です。」
やはり、助詞が豊富なのが特徴のようで、倭語が近いというのは確かだね。単語は全く違うけど。
「分かった。布と本を持って行く」
道中、サモアや島の民と異なり、上裸ということはない。そもそも風が心地よく、赤道近くの割にはそれほど暑いわけではない。煉瓦の家屋がほとんどに見える。
引き続き話しながら、言語を解析していく。街の喧騒も、かなり頼りになる。相当に高度な文化ではあるが、どうやら文字に相当するものはないのかな。
代わりに、たくさんの紐を見せ合っている。いろんな場所、形の結び目だね。
「これは 何ですか?」
「キープ。これと、同じ?」
彼らは私たちの書物の文字を指さしながら答える。どうやら文字、ほとんどが数字のようだが、とにかく情報量があることは確かだ。
「紐の位置と色、結び目の位置と形。なにやら複雑な旋律を奏でているようでもあります」
「うん、難しいぞ。でも、トントンタタタンだ」
「!! 位置で拍子、色と形で意味、紐の位置で順、ですね。何かできそうです」
『これは読み解き甲斐がありそうだね。法正号と組み合わせたり、足りないものを補い合って、いろんな応用ができそうだ』
「このキープは、主への報告。税と、取れた魚、人の増えた減った」
「相当な情報量だな。こんなやり方もあるのか」
いくつかのキープを見せられ、説明を受け始めると、この国の言語体系への理解が急速に深まった。それは、丁奉や陸遜も感じ始めたようだね。
「小雀殿、これでだいぶ加速できますか?」
『ああ。助かるよ。丁奉殿と兀突骨は、カナ文字を見せながら、音を拾い続けてみてくれ。陸遜殿と曹植殿は、キープを読み解きつつ、言葉の整理をしよう。関平殿と凌統殿は、周囲にまだ何かないか、観察してみてくれ』
「ああ」
「「了解」」
そして、現地民との会話を、正確なわかる分からないをさておいて、急激に加速して行く。
「着いた。ここは、領主の地、です。王は、ここから数日、河を登る、です」
「ありがとうございます。王のところに向かいながら、言葉を出来るだけ把握するようにしましょう」
すると、領主っぽい服装の男が近づいてくる。
「あなた達が、東から来た、旅人、ですか?」
「はい。知らない世界を探すため、東から来ました」
「言葉が大体わかる、ようですね。賢い人たちです。知らない世界、ならば、一度、私たちの王と、長老と話をすると、いいです」
「それは助かります」
「あなたたちは、何人で、来ましたか? 全員を、連れて行くのは、難しいです」
「私達は、五千人くらいいます。王のもとに行くのは、十人でいいです」
流石に驚きを隠さないようだ。しかし着実に、一言一言を紡いでいく。
「五千人、ですか! それは、すぐに、泊まるところを、用意するのは、難しいです。食べ物と、飲み物は、大丈夫です」
「ありがとうございます。それで、十分です。浜で、野営ができます」
「すまない。偉い人と、弱っている人は、止まって行くが、できます」
「ありがとうございます。今日は泊まって、明日、出発できますか?」
「できます」
簡単な会話なら、陸遜や丁奉もできるようになってきた。まだ明るいので、街を出歩くことにした。できるだけたくさんの言葉を交わしながら、周囲の言葉を聞きながら。
「漢と全然違う作物が売られているな。後で順番に聞いてみよう」
「あっ! それはとても辛い、気をつけて!」
「*%$!」
「大丈夫か兀突骨?」
「大丈夫、じゃない。体が暑い。でもこれ、少しなら豆腐に合うぞ」
「なるほど。使い方を考えないとな」
なにやら、宗教施設のようなものも多い。
「後で領主達に、無礼でやってはいけないことを聞いておかないと」
「他国の者なら、寛大、です。立ったまま、頭を下げる。これを覚えておくと、安心できます」
「なるほど、拱手に近いですが、これはこれで一層相手への敬意を感じますね」
翌朝、主だった者らで王都に向かう。言葉をある程度ものにした陸遜と丁奉が分かれる必要があるから、丁奉と李厳、諸葛恪らを中心に、街の人らに礼を尽くして交流を図るよう言い含めて旅立つ。
諸葛恪というのは、学問こそ人一倍だけど、ややその高慢さが鼻につく若者で、父の諸葛瑾殿も心配していたんだ。だが、
「李厳殿、この笑わぬ傾国の姫、褒姒の逸話は、そのまま彼らに紹介してよろしいでしょうか?」
「ああ、まあ史記にも準拠しているからな。だが子供には艶事は無しだからな。彼女を笑わせるだけのために、偽りの敵襲報告を繰り返させて国を滅ぼした、愚かな王の話だけにしておけよ!」
「承知!」
と、李厳が創作の都、敦煌から持ち込んだ「物語」の数々にすっかり傾倒し、遥かに気さくで話の上手い若者となっているんだ。未だ逸脱傾向はあるが、李厳が手綱を握ってくれるようだね。
あまり平坦ではない道中、数多く目についたのは、河から伸びる運河、緻密に計算されたように見られる灌漑水路。そして、その平坦ではない土地が段々に切り開かれた、棚状の農作地帯。
「すごく高い技術力だな。これなら山がちの蜀でも応用できそうだよ」
「そうです。すごく考えて作っています。ただ、問題も発生しています」
「問題? なんだろう」
「詳しくは、長老が話す、です。偉大なる、トラロック、どこへ行った……」
「トラロック? なるほど。少し難しい話なんだな」
「そう、ですね」
「あれは、市で見た、黄色くてでっかいキビだな」
「地面の草は、食べるのか? いや、もしかしてあれは芋?」
「ああ、あれは芋、です。ゆでて塩をつけると美味しい、です。皮や芽を食べると、弱い毒、です。気をつけて」
「兀突骨、食べなくてよかったな」
「ああ。今度はちゃんと聞いてから食べる」
『植生が大きく違うな。でもちょっとだけサモアに近い物もなくはないね。やはり、海からここに辿り着いた人もいるんじゃないか?』
「分からない、です。でも、長老が、言っていた、です。西からは、たまに人が来る。星読みと、船乗りの術は、彼らから学んだ、と」
『なるほど。やはり辿り着いていたんだね』
「そうすると、この大陸はすでに、複数の文明、複数の技術が混ざり合い始めている、ということですね」
「そうですね。そんな中で、我らがこの地に何をもたらすのか。そしてこの地から何を持ち帰るのか。ここに辿り着いたのは、我らの終着点ではありません。ここからが本当の始まりです」
――――
20??年 某所
「え、終わり?」
「?? 何ですか? お、終わらないですよ。始まりって言っているじゃないですか」
「あ、いや、そういう作法なのかなと」
「確かに紛らわしいですね」
「ちなみに、ここはどこなんだ? アンデス山脈の西岸で、結構北の方ってことはわかるんだが」
「南米には、有名なインカ帝国や、地上絵のナスカがありますが、インカは全然先ですし、ナスカは少し南すぎるのですよね。なのでもう少し見てみたのが『モチェ』という文明です」
『モチェ文明は、紀元前100年頃から紀元後700年頃まで、現在のペルー北部沿岸地帯で栄えた文明です。灌漑技術に優れ、複雑な運河網で乾燥地帯でも農業を発展させました。
都市中心にはピラミッド状の建造物が立ち、宗教的儀式や政治が行われていたと考えられます。高度な金属加工や陶器制作も特徴で、特に写実的な人物や動物を表現した陶器は有名です。
一方で、生贄や儀礼を重視する社会であり、宗教的要素が生活や政治に深く影響していました。後のインカ文明にも影響を与えたとされています』
「孔明、ありがとう。ああ、でもこの人たち、自分で何で名乗っていたのか記録がないのか。記録自体が紐を使ったキープだし」
「そうだな。だから話の中で名乗らせられねぇのか。まあ仕方ねぇな」
「仕方ないのです。この話は、まだまだ続くのです」
「終わらないよね?」
「終わりません!」
お読みいただきありがとうございます。
あ、え、終わらないです。ちゃんと始まりです。