零 人物紹介 登場順 【十四章分追加】
本編は、次話からとなります。三国志系に馴染みが少ない方などは、こちらで人物の雰囲気だけでも補完していただけたら。
参考程度とお考えいただければと思います。作品内での位置付けではなく、あえて史実(正史または演義)に準拠して掲載します。ご存知の方には目新しさはないと思いますので、飛ばして本編というのをお勧めいたします。基本的にAI丸投げですが、明らかな間違いは直します。
本編は、この最初の人物の落命と、現代の一般人の落命が、シンクロするところから始まります。
一章
龐統(字:士元)
劉備の軍師であり、諸葛亮と並び称される「鳳雛」。益州攻略の途中、落鳳坡で戦死。その知略と才能が惜しまれる存在でした。
廖化(字:元俭)
元は黄巾賊の出身で、後に蜀の武将として仕えます。長寿で蜀の滅亡まで生き抜き、「蜀の不死鳥」とも呼ばれました。
馬良(字:季常)
馬家五兄弟の一人で、特に才覚に優れていたため、「眉に白毛のある才人」として知られる。諸葛亮の北伐を補佐し、早逝が惜しまれる文官です。
趙雲(字:子龍)
劉備に仕えた名将で、長坂の戦いで劉備の子・阿斗を救出した逸話が有名。蜀の五虎大将軍の一人として数えられ、忠義の象徴とされています。
諸葛亮(字:孔明)
劉備の軍師であり、蜀の丞相。巧妙な戦術と国政に貢献し、五丈原で陣中死。「臥龍」と呼ばれ、知恵と忠誠心の象徴です。
劉備(字:玄徳)
蜀の初代皇帝で、義と仁の心で知られる。義兄弟の契りを張飛・関羽と交わし、漢室の再興を目指すが、夷陵の戦いで敗北後に病死しました。
周倉(字:不詳)
元は黄巾賊で、後に関羽の家臣となる。義理堅く、剛毅な性格で、主君・関羽に殉じたとされる。蜀の力強い忠臣として描かれます。
二章
黄忠(字:漢升)
高齢にもかかわらず、蜀の五虎大将軍として活躍。定軍山の戦いで夏侯淵を討つなど武勇に秀で、晩年まで戦い続けた老将です。
魏延(字:文長)
諸葛亮の信任厚い武将で、北伐でも活躍しましたが、諸葛亮死後に反乱を疑われ、馬岱に討たれました。才覚と危険な一面を併せ持つ人物。
馬謖(字:幼常)
馬良の弟。智謀に優れていたが、街亭での敗北を責められ、諸葛亮に斬られる。知識は豊富でも実戦経験に欠けた面が災いしました。
法正(字:孝直)
劉備の参謀で、益州攻略に貢献。冷酷な一面もありましたが、劉備からの信頼は厚く、彼の没後、劉備は深く悲しんだと伝わります。
呂蒙(字:子明)
呉の名将で、学問に励んだことで名高い。「士別れて三日なれば刮目して見よ」の言葉で知られ、関羽を討つ功績を上げ、若くして病死しました。
魯粛(字:子敬)
呉の外交官で、孫権のもと、蜀と同盟を築きます。謙虚で平和的な性格で知られ、周瑜の後任として曹操への備えにも貢献しましたが、早くに病死します。
張飛(字:翼徳)
劉備の義弟で、勇猛な武将。性格は粗暴ですが、智勇兼備の一面も持ちます。蜀建国後に部下の裏切りで暗殺され、無念の最期を遂げました。
厳顔(字:不詳)
益州の老将で、武勇と忠義を備え、劉璋に仕えますが、後に劉備に降る。老将らしい威厳を持ち、張飛と壮烈な戦いを繰り広げました。
関興(字:安国)
関羽の子で、父の死後に劉備に仕えます。若くして将としての才能を示し、蜀漢に尽力しますが、早世し、父の後を継ぐには至りませんでした。
張苞(字:不詳)
張飛の子で、父に似た勇猛さを誇ります。蜀漢の将として北伐に参加しますが、戦場で負傷して若くして命を落としました。
馬超(字:孟起)
西涼の名将で、関羽や張飛と共に勇名を馳せました。劉備に仕えてからは蜀の重臣となり、正義感に篤い武将としてその名を残しました。
張任(字:不詳)
劉璋に仕える武将で、蜀侵攻時に劉備軍と戦うも捕らえられます。降伏を拒み、壮絶な最期を遂げた忠義の士として語り継がれています。
劉璋(字:季玉)
益州の統治者で、温厚ながら決断力に欠ける面もあり、劉備の侵攻に屈します。民を大切にする性格で、蜀漢建国後は政治に協力しました。
姜維(字:伯約)
魏の将で、諸葛亮に才能を見出され蜀に仕えます。北伐を継承し戦いますが、最終的に蜀は滅亡。忠義を貫き、悲劇的な最期を迎えました。
三章
黄月英(字:不詳)
諸葛亮の妻で、才智に富んだ女性として知られます。発明に優れ、機械や兵器の改良に携わったとも言われ、夫の軍略を支えました。
関羽(字:雲長)
劉備の義兄弟で、義と勇を重んじる武将。蜀漢建国に貢献し、荊州を守りますが、呂蒙の策により敗北し、壮絶な最期を遂げました。神格化されています。
孫権(字:仲謀)
呉の建国者で、聡明かつ冷静な君主。諸葛亮とも交渉しつつ、魏・蜀との均衡を保ちました。呉の地を守り抜き、長命を保った稀な存在です。
諸葛瑾(字:子瑜)
諸葛亮の兄で、孫権に仕えた外交官。温和な性格で、呉と蜀の友好関係の維持に尽力しました。周囲からの信頼も厚く、呉を長年支えました。
曹操(字:孟徳)
魏の創始者で、卓越した知略と野心を持つ。詩人としても有名で、後漢末の乱世を収束しつつ、最終的に魏の基盤を築きました。
司馬懿(字:仲達)
魏の名将で、諸葛亮と幾度も対峙。知謀に優れ、慎重な性格で魏の安定に寄与します。のちに一族が魏を乗っ取る礎を築きました。
劉協(字:伯和)
後漢最後の皇帝。曹操により実権を奪われますが、皇位には残されます。魏に禅譲し、悲劇的な皇帝として退位後も一命を取り留めます。
四章
孟獲(字:不詳)
南蛮の首領で、諸葛亮の南征により降伏と反乱を繰り返します。諸葛亮に再三許され、最終的に忠誠を誓ったと伝えられます。
兀突骨(字:不詳)
南蛮の豪傑で、孟獲に従い、鉄の甲を着た巨人として恐れられました。諸葛亮の火計に敗北し、その猛勇がかえって仇となり壮絶な最期を遂げます。
祝融夫人(字:不詳)
孟獲の妻で、戦闘に長けた女性。火神の力を使いこなすとされ、蜀の将と勇敢に戦いました。捕らえられますが、最終的に赦免されています。
朶思大王(字:不詳)
南蛮の将で、孟獲の盟友。勇敢で、特に剣術に優れていたとされますが、諸葛亮の知略に屈し、最終的に降伏しました。
孟優(字:不詳)
孟獲の弟で、南蛮の副将。兄を支えながらも、策略にかかりたびたび降伏。最終的には蜀に忠誠を誓い、南蛮勢力の安定に貢献します。
木鹿大王(字:不詳)
南蛮の王で、猛獣を率いて戦う異色の戦士。象を駆使した戦術で蜀を脅かしますが、諸葛亮の火計に敗れ、戦死しました。
帯来洞主(字:不詳)
南蛮の首領で、諸葛亮と戦うも降伏。知略よりも武勇を重んじ、以後、蜀に忠誠を尽くし、南蛮との平和を保ちます。
夏侯淵(字:妙才)
曹操の猛将で、迅速な戦闘を得意とする“疾風”の異名を持つ。漢中で劉備の軍と戦い、黄忠に討ち取られました。曹操の親族です。
徐晃(字:公明)
曹操の配下で、堅実かつ冷静な将。戦略的判断力に優れ、特に関羽との荊州戦で活躍し、魏の武将として名を残しました。
王平(字:子均)
元魏の将で、後に蜀に仕えた武将。諸葛亮の信頼を受け、北伐では要所の守りを任されました。重責を果たし、蜀の防衛に貢献しました。
張郃(字:儁乂)
魏の武将で、知略と武勇を兼ね備えた名将。蜀との戦いで活躍するも、諸葛亮の計略にはまり、木門道で討ち取られました。
曹仁(字:子孝)
曹操の従弟で、魏の名将。勇猛で荊州を守り抜きました。関羽と戦うも大きな被害を受け、劉備軍との戦いで功績を立てた忠臣です。
龐徳(字:令明)
元は馬超に仕えたが、後に曹操に降る。関羽と戦い、果敢に戦うも捕らえられ、降伏を拒んで処刑されました。その忠勇を称えられています。
于禁(字:文則)
曹操の部下で、五将軍の一人。関羽に敗北し、捕虜となりますが、その後、魏に戻るも面目を失います。晩年は失意のうちに終えました。
郝昭(字:伯道)
魏の武将で、城の守りを得意とする名守将。蜀軍の攻勢を幾度も防ぎ、堅牢な守りで名を馳せました。
五章
劉禅(字:公嗣)
蜀の二代目皇帝。先帝劉備の子であり、幼少にして即位。宰相諸葛亮に支えられながら国を統治したが、後に魏に降伏。「楽不思蜀(蜀を思わず楽しむ)」の故事が有名です。
鄧艾(字:士載)
魏の名将で、蜀討伐にて活躍し、ついに成都を陥落させた功労者。しかし、その後の権力闘争に巻き込まれ、非業の死を遂げました。
蒋琬(字:公琰)
諸葛亮亡き後、蜀の国政を支えた丞相。温厚で実務に長け、穏やかな治世を築いた名臣。病により世を去りました。
費禕(字:文偉)
諸葛亮の後を継ぎ、蜀の重臣として北伐を支えました。魏との外交でも巧みに立ち回るも、暗殺されるという悲劇に見舞われました。
第二部
第六章
程昱(字:仲徳)
曹操の参謀として、数々の献策で魏の基盤を支えた智将。特に献帝を許都に迎える策が有名で、冷静沈着な知略家として名を残しました。
賈詡(字:文和)
曹操や曹丕に仕えた智謀の士。数々の危機に際して献策し、魏の天下統一に貢献。「毒士」とも称される一方で、晩年は平穏に過ごしました。
荀攸(字:公達)
曹操の側近であり、魏の軍略を支えた策士。沈着冷静な性格で、多くの戦略を成功に導くも、早世が惜しまれた名軍師です。
劉曄(字:孔才)
曹操に仕えた謀略家で、魏の幕僚として重要な役割を果たしました。鋭い洞察力と策略で知られ、「魏の奇才」と評されます。
第七章
王朗(字:景興)
魏の重臣で、政治と学問に優れた才人。諸葛亮との舌戦の逸話が有名ですが、歴史上は魏の礎を支えた名政治家として評価されています。
華歆(字:子魚)
曹操の政権下で活躍した政治家であり、礼儀と法の整備に尽力。後世には魏の礼楽の基礎を築いた名臣として知られています。
鍾繇(字:元常)
魏の書法家であり、政治家としても優れた才能を発揮。書道の「正書」の祖と称され、文化面でも後世に大きな影響を与えました。
張遼(字:文遠)
魏の名将で、合肥の戦いにおける活躍が特に有名。「遼来来」と敵に恐れられ、曹操の五子良将の一人として名を残しました。
第八章
孫尚香
孫権の妹で、劉備の妻。気丈な性格で知られ、呉と蜀の政治的結びつきを象徴する存在です。その後の消息は諸説ありますが、多くの逸話が伝わります。
陸遜(字:伯言)
呉の名将で、夷陵の戦いで劉備を破るなど軍略に優れた人物。孫権の信頼も厚く、国政にも貢献しましたが、晩年は不遇に終わりました。
丁奉(字:承淵)
呉の猛将で、数々の戦場で武勇を示しました。老いてなお壮健で、魏との戦いでは巧みな策で勝利し、呉の防衛を支えました。
卑弥呼
倭国(日本)の女王であり、魏と外交関係を築いたことで知られます。魏志倭人伝に記されるその存在は、謎多き古代の象徴として伝わっています。
第九章
曹丕(字:子桓)
曹操の嫡男で、魏の初代皇帝。父の築いた基盤を受け継ぎ、三国時代の幕を開けました。文学にも優れ、『燕歌行』などの詩作で後世に名を残しています。
関平
関羽の養子とされ、勇猛果敢な武将。関羽と共に荊州を守るも、樊城の戦いで父と共に敗れ、非業の最期を遂げました。
蔡琰(字:文姫)
後漢末の才女で、蔡邕の娘。戦乱に巻き込まれ匈奴に囚われるも、後に帰還。『胡笳十八拍』の作者として知られ、その才と悲運の生涯が伝えられます。
蔡倫(字:敬仲)
後漢の宦官であり、製紙法を改良・普及させた発明者。紙の発展により後世の文化と文明に大きく貢献しました。
左慈
後漢末の道士で、多くの逸話と奇跡を残す人物。曹操の前で神秘的な術を披露した伝説が有名で、仙人として崇められました。
マニ
3世紀にペルシャで活動した宗教家で、マニ教の開祖。「光と闇」の二元論を説き、その教えは東西に広がり、後の時代にも大きな影響を与えました。
カシュガル
シルクロードの要衝として発展した中央アジアの古都。東西交易の拠点として多くの文化が交差し、ウイグル族の歴史にも深く関わる都市です。
エクバターナ
古代メディア王国、そしてアケメネス朝やパルティアの夏の都として知られる都市。山岳地帯に位置し、王たちの避暑地としても重要視されました。
第三部
第十章
夏侯惇(字:元譲)
曹操の従兄弟であり、魏の猛将。「一目の将」として知られ、戦場で片目を失うも奮闘し続けた忠義の象徴です。
曹彰(字:子文)
曹操の子で、「黄鬚馬」と呼ばれるほど武勇に優れた将。北方の異民族征討で功績を挙げるも、早世が惜しまれた豪胆な人物です。
曹植(字:子建)
曹操の息子であり、文才に恵まれた詩人。代表作『洛神賦』は今に伝わる名作であり、その才能と兄曹丕との確執が物語となりました。
呂玲綺
呂布の娘と伝えられる武勇の誉れ高い女性。詳細な史実は残されていないものの、その気高き血筋と戦う姿は後世の創作で語り継がれています。
十一章
凌統(字:公績)
呉の猛将で、父の仇である甘寧と和解し、共に呉を支えた義理堅い人物。合肥の戦いなどで活躍し、若くして病没しましたが、その武勇と忠義は呉の象徴として語り継がれています。
徐盛(字:文向)
呉の武将で、堅実な性格と優れた戦略で孫権に重用されました。曹丕の侵攻を防いだ際の偽の塁壁作戦が有名で、呉の防衛に大いに貢献しました。
朱桓(字:休穆)
呉の武将で、剛直な性格と大胆な戦略で知られます。曹真との戦いで巧みに敵軍を撃退し、呉の名将としてその名を刻みました。
張嶷(字:伯岐)
蜀漢の武将で、南中平定に貢献した知勇兼備の人物。諸葛亮の北伐にも従軍し、忠義を尽くした名臣として知られています。
張翼(字:伯恵)
蜀漢の武将で、諸葛亮亡き後も蜀を支え続けました。数々の戦場で活躍し、冷静沈着な性格と指揮力で蜀の防衛を担いました。
関索
関羽の子とされる伝説的な武将。正史では記録が乏しいものの、民間伝承や演義では英雄として描かれ、父の忠義と勇猛さを受け継いだ存在として語られています。
トラロック
アステカ神話の雨と農耕の神。雷雨を操り、人々に恵みと恐怖を与える存在で、豊作をもたらす一方で、洪水や干ばつの原因ともされました。
ククルカン
マヤ文明の神で、「羽毛のある蛇」として描かれる創造と知恵の神。後のアステカではケツァルコアトルとして崇拝され、天と地を結ぶ象徴的な存在です。
十二章
李広
漢の名将で、「飛将軍」の異名を持つ弓術の達人。匈奴との戦いで数々の戦功を挙げるも、不遇の晩年を送り、悔恨の中で自ら命を絶ちました。その忠勇は後世に語り継がれています。
李陵
漢の武将で、名将李広の孫。匈奴に包囲され降伏するも、誠実な性格と漢への忠誠を貫き、非難を受けながらも歴史にその名を刻みました。
司馬遷
前漢の歴史家で、『史記』を著した偉大な記録者。宮刑を受ける屈辱を乗り越え、歴史と人間の本質を描き出した不朽の名作を後世に残しました。
張騫
漢の外交官で、匈奴を避け西域に使者として派遣された人物。シルクロードの開拓に貢献し、中国と西方を結ぶ重要な役割を果たしました。
班超(字:仲升)
後漢の武将で、西域の安定に尽力した人物。張騫に続いて西域の諸国を支配下に置き、「投筆從戎」の故事でも知られ、その功績は後漢の版図拡大に寄与しました。
アッティラ
フン族の王で、「神の鞭」と称される征服者。ヨーロッパ各地を席巻し、西ローマ帝国や東ローマ帝国に恐怖を与えた伝説的な戦士です。
第四部
十三章
アルダシール一世
ササン朝ペルシャの創始者で、中央集権体制を築き、ペルシャを強国へと導いた王。ゾロアスター教を国教とし、ササン朝の繁栄の基盤を築きました。
シャープール一世
ササン朝ペルシャの第2代王で、ローマ帝国と戦い皇帝ウァレリアヌスを捕虜とするなど、その威名を轟かせた名君。統治者としても内政・文化の発展に尽力しました。
ゼノビア
3世紀のパルミラ女王で、ローマ帝国に対抗し東方の独立を目指した傑出した女性。才知と勇敢さで知られ、一時はエジプトまで支配するも、最終的にローマ軍に敗れ捕らえられました。
ザッバイ(ゼノビアの父)
ゼノビアの父とされる人物で、パルミラの有力貴族。正確な記録は少ないが、ゼノビアの高貴な血統を示す存在として伝えられています。
セプティミウス・オダエナトゥス
パルミラの王で、ササン朝ペルシャとの戦いでローマ帝国側につき、東方の守護者として活躍。暗殺により急逝し、その後ゼノビアが権力を握る契機となりました。
オリゲネス
3世紀のキリスト教神学者で、アレクサンドリア学派の代表的人物。膨大な著作を残し、聖書解釈や神学思想に多大な影響を与えましたが、異端視される側面も持ちます。
プロティノス
新プラトン主義の創始者で、魂の向上と「一者」への回帰を説いた哲学者。『エネアデス』を弟子のポルフュリオスが編纂し、後世の哲学・神学に影響を与えました。
アンモニオス=サッカス
新プラトン主義の祖とされる哲学者で、プロティノスやオリゲネスに影響を与えた師。神秘主義とプラトン哲学の融合を進め、後世の思想に大きな足跡を残しました。
クテシフォン(地名)
ササン朝ペルシャの首都として栄えたメソポタミアの要衝。ローマとの戦争で何度も攻防の舞台となり、壮麗な宮殿「タク・ケスラ」が今も遺跡として残っています。
アンティオキア(地名)
セレウコス朝の都として建設され、後にローマ帝国の東方の中心都市となった交易と文化の大都市。キリスト教の発展にも深く関与し、「キリスト教徒」という呼称が生まれた地でもあります。
アレクサンドリア(地名)
プトレマイオス朝の首都で、ヘレニズム文化の中心地。大図書館やファロス灯台で知られ、学問・哲学・宗教の交差点として古代世界に輝きを放ちました。
十四章
管輅(字:公明)
三国時代の占術家で、特に「五行占い」に優れた才能を持つ。魏に仕え、数々の予言を的中させた逸話が伝わるが、晩年は権力者の猜疑を受け、不遇の死を遂げたとされます。
ショチケツァル
アステカ神話の愛と美、花と芸術を司る女神。豊穣と生命の象徴でもあり、詩人や芸術家にインスピレーションを与える神として崇拝されました。
テスカトリポカ
アステカ神話の創造と破壊の神で、「煙る鏡」の異名を持つ。運命を操り、戦争や試練を司る神でもあり、ウィツィロポチトリと対立する存在とされることもあります。
テペヨロトル
アステカ神話の大地と地震を司る神で、「山の心臓」の意味を持つ。ジャガーの姿をとり、地の奥深くから力をもたらす神として崇められました。
コアトリクエ
アステカ神話の創造の母神で、大地と生命の源とされる。多くの神々の母であり、ウィツィロポチトリの生みの親としても知られるが、しばしば恐るべき女神としても描かれます。
ウィツィロポチトリ
アステカの戦争と太陽の神で、アステカ帝国の守護神。神話では母コアトリクエの胎内から生まれた直後に敵を打ち倒し、アステカの民を導いたとされます。
マヤ文明
中米に栄えた高度な文明で、都市国家を形成し、独自の象形文字や暦法を発展させた。ピラミッド神殿や精密な天文学で知られ、現在も遺跡が多く残されています。
ティカル(ムトゥル)
マヤ文明の有力都市で、ジャングルにそびえる巨大なピラミッド神殿が特徴。交易と軍事の中心として栄え、数世紀にわたり繁栄を極めました。
モチェ文明
ペルー北部に栄えた先インカ文明で、精緻な土器や金属工芸で知られる。壮麗な神殿や灌漑技術を持ち、後のアンデス文明に大きな影響を与えました。
テオティワカン文明
メソアメリカ最大級の古代都市を築いた文明で、「太陽のピラミッド」「月のピラミッド」が有名。アステカ人にとって神聖視された都市で、その起源は今も謎に包まれています。
ナスカ文明
ペルー南部に栄えた文明で、巨大な地上絵「ナスカの地上絵」が特に有名。天文学や灌漑技術に優れ、乾燥地帯で高度な社会を築きました。
パナマ
中米の地峡に位置し、古くから交易の要衝として発展。スペイン植民地時代を経て、近代では「パナマ運河」の開通により世界の貿易の要所となっています。
お読みいただきありがとうございます。
史実もたまに間違いますが(馬良が白眉だったり)、ちょっと手直しだけでどうにかなります。
徐々に三国志からはみ出したり、地名が増えて来たりもしていますが、変わらず掲載していきます。