第12話「もの言わぬ天の命題」(その1)
3月に入ると、柿岡は岡本を伴いロンドンへ入った。ダイヤモンド社で行われるキックオフ会議へ参加する為である。そして年度末までに客船の予算を立てねばならなかった。
ただ会議の後、前後してロンドンへ入った宮島は機装関係を、柿岡は船装関係のメーカーを訪問することになっている。多忙な日々は、柿岡に新たな視点と刺激をもたらしていた。
『最初の計画予算だ。慎重にやってくれ。それ次第で客船に対する本社の姿勢が決まる』
それが渡部副所長から与えられた命題だった。
「慎重に」という言葉の意味を柿岡は深く追求しなかったが、それが本社の意向を反映しているのは明らかだった。
『客船を造るからには、儲けを出さなければ意味がない』
ロンドンで会った宮島はそう断言する。
しかし、本当にそれが可能なのか。
いくら現場が試算を積み重ねても、最終的な契約権は本社営業部にあり、現場の試算がどれほど精密でも、それは資材部経由で本社へ吸い上げられ、最終判断は別の次元で下される。
最終的に船主と契約を結ぶのは本社営業部。現場の意見が反映される場は少なく、資材部が集計した試算は本社で検討され、最後は雲の上の判断で決まる。
――極東重工業、極東商事、極東銀行の三社で構成される「極東月曜会」――
それが実質的な最終決定機関だ。利益が見込めない事業はグループ全体の判断で即座に切り捨てられる。たとえそれが祖業の存続を目的としていても例外ではない。
ロンドンでの会議は、船主側との顔合わせにすぎなかった。特段の議題もなく、アレキサンダー総監督が「日本的な船が欲しい」と呟いた、その言葉だけが柿岡の記憶に残った。
会議後、ヒースロー空港へ向かうタクシーの中で、柿岡は宮島に問いかけた。
「あの監督の言葉、どう受け取った?」
すると宮島は短く答えた。
「あの連中の言葉を鵜呑みにするな。連戦連破の船社だけに、何を考えているか分からん」
「それでも、欧州製とは異なる何かを求めているように思える」
柿岡は言葉を切り、宮島の反応を伺った。
宮島は視線を窓の外に向けながら言った。
「甘いな……。彼らはダメだと思えばすぐに改装してカリブへ移すか、第三国へ転売する。元を取るまでのスピードが違うんだよ」
その宮島の言葉には、極東月曜会の意思と共通するものがあるように思えた。
まずは利益優先。だがそのレベルは、柿岡には検討もつかない。
タクシーを降りる直前、宮島がぽつりと言った。
「天は、車と同じレベルを出せと言っている」
そう言い残し、宮島は次の目的地オスロへ飛び立ったのだった。
(つづく)




