第11話(その4)
「明日、長崎へ帰るなら、一緒に西宮まで歩かないか?」
そう宮島が声をかけてきたのは、2週間の予定が終わる前日だった。
「ああ、良かけど、またなんで?」
と、思わず尋ねた。
宮島は珍しく素直に
「まあ、帰りぐらい一緒で良かろう」
と言う。
そこで柿岡は
「最後は、大阪のホテルに泊まらないか」
と、宮島に提案した。
そして金曜の午後3時、総務に挨拶して重工神戸を後にした。一行は途中、部分的に復旧した私鉄を使った。震災から約1ヶ月、ようやくあちこちで復興の槌音が聞こえていた。
「昨日、総務で聞いたとけど、春に入社予定の内定者が、幾人も辞退してきたらしか」
ふっと宮島が、そんなことを言い出した。柿岡もそれは耳にしていた。
「まあ仕方なかろう、この状況なら、本人はともかく、親御さんが黙っておらんやろ」
「まあな……。しかし長崎の連中は、頑張ったな」
と、宮島がすっ呆けたように言う。どこか、入社早々一緒に東京で研修を受けた時のように、宮島の物言いは素直だった。
「いや、俺も驚いたとさ――」
「あの岡本、使えるな!」
「お前も、そう思うか」
そんな会話を交わしながら、2人は被災地を歩いた。
柿岡も胸襟を開いて話をした。
「一度、岡本が……俺達は恵まれていますねって、しみじみ言うことがあってな、あいつ」
それは垂水の寮へ入った週末、食事に行った時のこと、岡本が柿岡に喋ったのだった。
「会社へ入ったばかりの頃、思案橋のスナックで飲んで清算する時、ママに『重工さんならツケでよか』って言われて、驚きました。そんな事、千葉では聞いたことありません」
それが長崎の常識とは、千葉出身の岡本は知らなかった。
その上、彼はこう言った。
「極東重工業でなんとか頑張って、私はこの会社でえらくなりたいって、思いました」
「そう言われて俺は返事に窮したよ」
と、柿岡は吐露した。
すると宮島が、「なんでね」と聞く。
「そりゃそうだろ、えらいって何なんや、どんなことか分からん」
と、柿岡は答えた。
それっきり宮島は黙った。
しばらく歩いて、そして思い直したかのように言った。
「俺も分からん。何の為にえらくなるのかも分からん。でも、ならんと勝てんやろ――」
そう言われて柿岡は、
「何のために勝つんや」
と言いかけたが、その言葉を飲み込んだ。
(仕事にノーサイドはない。組織で生き残るには勝つしかない――それが現実だ)
それが組織の冷酷さであり、人生の情けなさを感じずにはいられなかった。
それでも柿岡は、立ち止まるわけにはいかなかった。
「重工がこれから客船を造るのか、別の道を探すのか――それがお前との勝負や」
柿岡は宮島の肩を小突いた。
宮島は一瞬の間を置き、「おう」と力強く答えた。
そしてその手で、柿岡の胸を叩いた。
二人の背後で、遥か西へ沈む夕日が輝きを増していた。
(第12話へつづく)




