第11話(その3)
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神戸の震災は「阪神淡路大地震」と呼ばれるが、正に超円高の日本に襲い掛かった。幸い重工長崎の発注先の被害は少なかったものの、神戸港の機能停止でサプライチェーンが断絶し、重工神戸は混迷を極めた。近隣火災は長く続き、被災者の救済もままならなった。
「柿岡君、ようやく重工神戸の状況が分かった――」
そう渡部副所長が柿岡に伝えたのは、1月も末だった。本社からの情報では震災翌日から市西部に住まう社員が、あらゆる手段を使って出社し、工場の復旧作業に入っていたという。
だが現状は惨憺たるもので、工場内は元より肝心の岸壁が崩れ落ちているらしい。それでも社員一丸となって、連日復旧に取り組んでいるという。
それを聞いた渡部は、
「これはうちも、なんかせんと、いかんばいね……」
と、柿岡に話をしたのだった。
もちろん、それは柿岡も思うところであり、
「直ちに支援隊を送りましょう」
と、自ら手を上げた。
それに対して渡部は、
「そうか、そうしてくれるか」
と、手を握ったのだった。
その結果柿岡は、同意を得た若手十名で支援隊を結成し、2月初めに神戸へ向かった。隊員は、それぞれが現地で生活する装備を持って、約2週間の予定で空路大阪へ飛んだ。そこからJRで西宮へ移動し、そこから後は徒歩で、重工神戸のある兵庫区を目指した。
その距離約22キロ、一行は通行止めの個所を避けて、通れる道路を辿りながら約6時間かけて歩いた。途中、芦屋近辺では高速道路の橋脚が横倒しになり、市中心部へ入れば根こそぎ折れた建物がビルの谷間を埋めていた。それはもう目を疑う光景ばかりだった。
「柿岡さん、なんか……、ウルトラマンの世界ですね」
そう呟いたのは部下の岡本だった。
柿岡はその言葉に反応したが、普段ならすぐに怒鳴り返すところだった。
だが未曾有の惨劇の前では、柿岡も普段とは違った。
(この状況で、こいつら十名を安全に長崎へ連れて帰らねば)
と、悲壮な覚悟を自分に言い聞かせる。
(その為に、どんなスクラムを組むかだ)
と、胸に熱い思いを抱きながら歩いていった。
重工神戸には、本社から宮島をリーダーにして、数名が資材に入っていた。柿岡ら一行が神戸造船所へ入って早々、総務で挨拶した後、カウンターの奥にいた宮島と目が合った。
「ご苦労さん……」
と、柿岡が声をかけたが、
宮島は「ああ……」と呟いて仕事に戻った。
支援隊の役割は倉庫担当として、最初は力仕事だった。崩れ落ちた棚に置かれていた溶接棒などの在庫品の整理整頓。そこは同じ支援隊でも、本社の宮島らとは扱いが違った。
それでも重工長崎の十名は仕事を選ばず、目の前に与えられたタスクを熟していった。
「俺は、この列をするから、みんなそれぞれ棚毎でやってみようか」
そう言って若手を束ねる岡本の後ろ姿に、柿岡はなぜかほっとするのだった。
(つづく)




