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第5話「立ちはだかる壁との闘い」(その2)

 翌朝、柿岡は長崎駅から特急かもめに乗って、神戸の新日本貿易に向かった。


 昨日の夕刻、山岡に電話を入れ、会社を訪ねたい旨を伝えた。突然だったが彼は快諾し、近隣の孫請けも紹介すると言った。夕食に誘われたが、柿岡は夜行で帰ると断っていた。


 それにしても久しぶりの「かもめ」だった。ふと過去の記憶を辿りながら窓の外を見つめていた。長崎の賑やかな街並みは消え、トンネルを抜けるとやがて穏やかな海が広がる。


(俺が目指すこの道が正しいのか……、俺に何ができるのか……)と、柿岡は昨日の課長とのやり取りを反芻しながら、自分の言葉ひとつひとつを思い返していた。


 柿岡はかつて、弘志社大学でラグビーに打ち込んだが、学業を疎かにした訳ではない。一般教養で履修した日本史の細川教授から、明治維新以降の日本の歴史を深く学んだ。


 明治維新は若者の狂気による革命であり、彼らは軍事力を掲げた国家を築き、国民皆教育を施した。その末路を象徴する広島と長崎の経験は、日本人にとって決して忘れてはならない教訓であった。

 

 そして終戦後、戦前の日本をミスリードしながら生き延びた大人が、「産めよ増やせよ」と大号令。その結果、団塊の世代が生まれ、彼らが高度成長というもう一つの革命を起こした。


 時代の矛盾が生む力が、柿岡の中で化学反応を起こし始めた。


 極東重工業の歴史を紐解けば、戦後の高度成長下で世界最大のドックを建設するまでに至った。日本経済の牽引役として、日本の造船業を世界一に押し上げる原動力となった。その会社が長崎にあるという現実に、柿岡は重工の門を叩くことを決意したのだった。


(重工長崎の発展が長崎の街の隆盛に繋がる)という信念に、柿岡は突き動かされた。


 だがその柿岡はいま大きな壁に直面していた。現場で汗を流すことなら容易いが、がんじがらめの職制の下、世代間の深い溝に悩まされ、身動きが取れない状況に陥っていた。


 一見穏やかな課長は、あくまで縦社会に於ける歯車のひとつであり、頑健なシステムの中で動いている。そこに理不尽があるとしても、組織の理論に合致すれば黒でも白となる。


(組織の中で最下層に位置する主任の力など……)と、自らの無力さを痛感していた。

 

 柿岡の乗った新幹線が新神戸駅に着くと山岡課長が待っていた。柿岡はまだ山岡と二度しか会っていないが、彼が長崎の工大出というだけで親近感が沸いていた。


 緑に溢れた六甲山の麓にある新神戸駅から、山岡は自ら運転し、柿岡を神戸六甲アイランドにある新日本貿易へ向かった。そしておよそ30分後、車は物流センターかと見紛う広い社屋の前へ。  


 大先輩の尾崎が待っているかと思うと、柿岡の体にじわりと緊張が広がった。


(つづく)

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