表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/49

第1話「長崎湾に浮かぶ白い夢」(その1)

 造船屋は偏屈だ。大学を出て造船所に入っても、全員が造船屋になるわけではない。だが一度現場に入り船を造れば、誰もが造船屋になる。一度船に携われば四六時中船のことばかり。酒を飲むと朝まで話せる。それが造船屋である。この話の半分は事実で、あとは嘘。ただ事実がどこまで書けるか……。

 ひとりでも多くの方に読んで頂ければ幸いである。

 船木



 2002年10月1日火曜日午後5時。この日、長崎は午後から西寄りの風が強くなり始めていた。気温は25度から幾分下がったものの、どこか息苦しい日の暮れだった。


 太陽が西へ沈むにつれ、奥深い長崎湾の空が薄墨色に染まり、稲佐山の麓は暮れていく。一方、日が傾くにつれて歓楽街は夜が明け、その放つ光で底知れぬ闇を紛らわしていく。その明かりは狭い湾を越え、稲佐山の麓の飽の浦を照らし、岸壁にそびえるジャイアントカンチレバークレーンを浮かび上がらせる。その下に、まるで場違いのような白い背高の長い船体が横付けされている。その姿はいかにも気高く、静かな長崎湾に浮かんでいた。


 それは極東造船が建造する客船マベラス・ダイヤモンド(Marvelous Diamond)である。2005年に創立百年を迎える極東重工業・長崎造船所は、21世紀の到来を祝して、この船に建造番号2100を与えた。そして2番船のサブライン・ダイヤモンド(Sublime Diamond)は2101番として、長崎造船所が会社の命運をかけて建造中である。マベラスは進水を終え、翌2003年7月の就航を目指し、艤装工事に入っている。


 通常、商船であれば新設計であっても3年ほどで就航する。だが極東重工業・百年の歴史において、大型客船を建造するのは実に70年ぶりのこと。しかも、まったくの新設計なのである。極東重工業にとって、世界の海で長い歴史を誇る英国船主・ダイヤモンドクルーズの客船を建造するということは、終戦後の隆盛期を経て長年の悲願であった。


 戦後の日本経済を牽引してきた重工業の長ともいえる極東造船だが、1985年のプラザ合意で始まった円高は、創業からの主たる生業であった造船業を酷く蝕んでいた。韓国や中国造船界の追い上げは激しく、すでに日本の重工長大の時代は終わりを告げ、21世紀に長崎造船所が生き残り、再び輝くためには大型客船の建造以外ありえない。


 それが明白だとしても、大型客船の建造は欧州のお家芸である。長年に渡り老舗の船主との間で築き上げた城壁は堅固であり、商船で覇権を握った日本の参入を許さなかった。それでも極東重工業は、営業・購買・設計・現業の部門横断組織を作り、10年の歳月をかけてダイヤモンド社の門戸をこじ開け、ようやく建造に漕ぎ着けたのであった。


(つづく)

 この物語、何年も書こうとして、その度に頓挫した。でももう時間的に余裕がない。燃える思いで建造に関わった数百人、いや数千人の一人として、船を造る楽しさと苦しみを描きたい。

 その思いで、これから毎週末、投稿していく。

 2024年10月20日 船木

 10/24:一部訂正、「エブリスタ」にも同時掲載を開始。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ