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7

 空を飛ぶ龍神に抱きかかえられ、元の場所に戻ってくる。広い建物の庭先だ。

 今度は庭に降りることなく、龍神はそのまま透廊の階段――庭に降やすいように、何か所にも階段があった――の際に立った。

「このまま部屋へ案内してもよいのだが、その衣では重かろうし、気も休まらなかろう。まずは湯を使うとよい」

「え? あの……」

 これは持て成されているのだろうか。それとも食べられようとしているのだろうか。自分の扱いについて、まだ浅葱は半信半疑だ。

 だが、どちらであっても、湯を使うことに異論はない。身を清めた方がいいと言われるなら従うまでだ。

 だが、龍神は浅葱に重ねて言った。

「汝が不要と思うならそうせずともよい。先に休みたいか?」

「え……あの、私は……」

 どちらでもいい、と言おうとして、浅葱は口をつぐんだ。その答えが最も不適なように思えたのだ。

 今まで、浅葱の意見を聞くような人なんていなかった。生贄になることを決められたときでさえ、本人の意思は置き去りだったのだ。

 それなのに、龍神は尋ねてくれる。選択を委ねてくれる。自分のことを自分で決めていいのだと言ってくれる。

 それを無下にするわけには――いかなかった。

「……では、ありがたくお湯を使わせていただきます」

「うむ」

 龍神は頷くと、ぱんぱんと手を叩いた。

 音に引き寄せられるように、二匹の魚が空中を泳いでくる。目を丸くする浅葱の前で、魚は童女の姿に変わった。

「お呼びですか、主様」

「お呼びか、主様」

 十歳くらいに見える童女たちだ。互いによく似た顔立ちをしているが、片方の髪は肩くらいの長さ、他方の髪は腰まで届く長さで、簡単に見分けがつく。

「彼女を湯殿に案内し、身を清める手伝いをせよ」

「承りました」

「承った」

 龍神の言葉を受け、童女たちは頷いた。

「こちらです、姫様」

「こちらだ、姫様」

「え……と、よろしくお願いします」

 姫というのは自分のことでいいのだろうか。おずおずと頷くと、童女たちはきょとんとした。

「私たちは眷属。畏まらなくてよろしいのに」

「我らは僕。主様とは違う」

 廊下を案内しながら、口々にそんなことを言う。

 そういえば、そういった立場の者と言葉を交わす機会など今までろくになかった。萌葱が命令口調で使用人にものを言うのは知っていたが、それだけだ。使用人に限らず誰も浅葱に関わりたがらないし、話をする機会があるとしたらそれこそ萌葱か父親か、そのくらいだった。

「でも、あなたたちも神様なのでしょう? ぞんざいな口をきいていいとは思えないのですが……」

「神にも色々いるのですよ」

「ましてここは神の世界。主様に召し上げられた姫様は、主様に並ぶお方だ」

「そう……なのでしょうか」

 そうそう、と二人は頷くが、どうも据わりが悪い。しかもこんな幼い子供たちを――実年齢は知らないが、幼く見える子供たちを――高圧的に顎で使う気にはなれない。

「どうぞ私のことは普通に扱って。その代わり、私も普通の口調で話させてもらうから」

 二人は顔を見合わせた後に頷いた。

「姫様がそう仰るなら」

「そうさせてもらう」

 髪の長い方はあまり口調も変わらないが、二人ともどこか肩の力が抜けた様子になった。

「姫様、こっち。湯殿のお湯はいつでも沸いているの」

「芙厳岳の奥深くの湯だ。不要な成分は世界をまたぐときに除かれている」

 案内された湯殿は、まるで山の岩場のようだった。地面に簀の子が敷いてあり、浅い滝壺のような場所に湯が湛えられて湯気が上がっている。お湯が幾筋も小さな滝のように岩場を伝って湯壺に注ぎ入っていた。

 たぶん、温泉と表現するのが近いのだろう。地面から直接湧き出ているのではなく、世界をまたいで山の深層から採水されているのだ。採水という言葉が適切かは分からないが。

 自然で安心できる雰囲気の場所に、浅葱はほっと息をついた。早く暖まってのんびりしたい。

「案内をありがとう。使わせてもらうから……って、あの……?」

 二人はそのまま着替え始めた。薄い帷子の格好で、一緒に入ってこようとする。浅葱は慌てた。

「あの、一人で洗えるから!」

「最初は説明が必要」

「嫌なら手伝いは最低限に留める」

 そう言われてしまうと強いて断るのも躊躇われる。肌をさらした状態で他人の手を借りる経験などなかったから抵抗感が強いが、二人が子供の姿をしていることがまだ救いだ。

(……って、この後、どうなるのかしら……)

 生贄として食べられるにしろ、花嫁として侍るにしろ、肌をさらすことになるのではないだろうか。――あの、美しい龍神の前で。

(…………!)

「姫様、のぼせた?」

「まだ湯も使ってないぞ?」

 二人に声をかけられてはっとする。いけない、と首を振って気を取り直した。あまり余計なことを考えるべきではない。

「体を洗うのに使うのはこれ」

「いくらでもあるぞ」

 湯壺の周りには木々が生えている。風景だと思って何気なく見ていたそこへ二人は手を伸ばした。よく見るとそこには脈絡なくさまざまな種類の実が生っており、短髪の童子がもぎ取った糸瓜はたちまち柔らかな繊維の束子になり、長髪の童子がもぎ取った無患子はきめ細かな泡の立つ石鹸になった。

 驚く浅葱にそれらを渡し、今度は瓢箪をもぎ取って桶代わりの容器を作る。これは確かに説明を受けないと分からないと浅葱は納得した。それにしても神々の世界は不思議だ。

 驚きながらも体を洗い、湯壺に浸かる。一気に気持ちが緩み、深い息がこぼれた。東常の家でこんなに緊張を解いたことなどない。風呂に入るのはただの作業だったのだが、こんなに気持ちがいいなんて驚くばかりだ。

「姫様、お髪の手入れを」

「手伝うからちょっと触るぞ」

 二人は言うと、先ほどの木とは湯壺をはさんで逆の位置にある木から、今度は花をもいだ。たちまちに香りのよい精油になり、それを先ほどの容器でお湯に溶きながら浅葱の髪を梳きはじめた。

 髪なら触られてもあまり抵抗はない。香りもいいし、気持ちがいい。

「ありがとう」

「姫様、笑った!」

「姫様、可愛いな」

 そんなことを言われ、面映ゆく思うと同時に驚く。

 今まで、浅葱の近くにいた人から、こんな言葉をかけられたことなどなかった。誰もが厄災に怯えるか、そうでなければ敵意を向けるばかりで、こんな肯定的な反応を得たことなどなかった。

(龍神様が、初めてだった……)

 そしてこの二人も。良くしてくれる二人に厄災が降りかかる気配もない。安心していられる。

 その安心のままに、浅葱は尋ねた。

「ところで、二人の名前は何というの?」

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