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 だが、涙は出なかった。ありがとうございます、と口から出した言葉は震えたが、それだけだ。

「うむ」

 龍神が満足そうに頷く。

「そろそろ休まったか? 汝も疲れておるだろうし、少しだけ歩いて邸に戻ろうと思うのだが」

「仰せのままに」

「では、行くぞ」

 龍神は浅葱を優しく立たせ、手を引いて歩き出した。その気遣いに、心が波立つ。

 こんな風に、誰かから丁重に扱われたことなんてない。生贄として扱われた丁重さ、あれと比較するなど考えるだけでも失礼だろう。こんな風に、浅葱を一人の人として気にかけてくれるなんて。

(私は、生贄なのに……?)

 これまで捧げられてきた生贄の命を、龍神は取らなかったという。その言葉が偽りとは思えなかった。それなら、彼は本当に――浅葱を、花嫁として扱うつもりなのだろうか。

「これなどどうだ? 汝に似合いそうだ」

 はっとして意識を目の前に戻すと、龍神が白い花を持っていた。そこはどうやら花屋のようで、店先や店の中に多くの壺や甕が並べられており、それぞれに生花がたっぷりと活けられていた。枯れたり萎れたりしているものがなく、形も色もさまざまな花々に目を奪われる。

 考え事をしていたといえ、意識がまったく店に向いていなかったのは、まさか自分が店で買物をすることがあるとは思ってもみなかったせいだ。自分でものを買った経験などないし、もちろん買ってもらった経験もない。着るものも食べるものも、用意されたものを受け取るだけで、自分で選ぶ経験などなかった。

「それともこちらの方がいいか?」

 龍神は迷うように言い、今度は橙色の花を一本抜き取る。それぞれを浅葱の髪に当てるようにして、映りを確かめているようだ。

「あの、そんな……」

 恐縮して断ろうと思った時だ。割り込むように声がした。

「ふん、人間ごときが。少しばかり位の高い神に取り入ったからと、いい気なものだな」

 神々の店の客になるなんて生意気だと言いたいのだろう。年かさの男性が浅葱に侮蔑の目を向けていた。おそらくは彼も何らかの姿を持つ神なのだろう。

 彼の言い分は理解できたし、別に腹も立たなかったのだが、浅葱ははっとした。

(私の「厄災」が、発動してしまう……!)

 浅葱への害意に、厄災は敏感に反応する。神々の世界でも同じなのかは分からなかったが、ここでなら大丈夫だろうと楽観視することもできなかった。

「ひっ!?」

 男性がひきつった悲鳴を上げた。しかし何も起こっていない。浅葱は安堵しかけて横を見て、そして、固まった。

 龍神が、底冷えのするような殺意を男性に向けている。銀の髪がざわりと動き、火花が散った。

「――あの! 私、大丈夫です!」

 とっさに浅葱は前へ出た。龍神の視線から男性を庇うように割って入る。

「なぜ庇う? そこなる下郎は汝を侮辱したのだぞ。許せるものか」

 青い瞳が底知れない怒気をはらんでいるが、恐ろしくはない。龍神は――浅葱のために怒ってくれているのだ。

「たしかに侮辱は受けましたが……それ以上に、あなた様から尊重していただきました。だからでしょうか、まったく怒りが湧きません」

 人間ごとき。事実だ。しかしその人間を、龍神は尊重してくれたのだ。

「――そうか。我がゆえか」

 龍神の怒気がおさまった。その機を逃すまいと、浅葱は急いで店内に目をやる。

「それよりも龍神様。私、あの花が気になります」

「あれか? あの青い花か」

 龍神の気をそらすためとはいえ、その花が気になったのも事実だ。心にもないことを言うと彼には分かってしまいそうな気がしたので、適当に指すのではなく直感で選んだ。

 浅葱が指した花を、龍神は手に取る。小ぶりな牡丹のような形の花で、少し緑がかった青色をしている。人間の世界では見たことのない花だ。

 龍神の注意が逸れたのを見て、男は逃げ出した。龍神はそちらをちらりと見たが、浅葱がさっきのことを本当に気にしていないと納得したのだろう、男を追うことはしなかった。

「なるほど。汝によく似合う」

 浅葱の髪に花を当て、龍神は微笑んだ。先ほどの怒気を放った人とは思えないような変貌ぶりだ。どうしてだか、彼は浅葱に対してこの上なく甘い。

「店主、これを」

「かしこまりました」

「あの、私、お金を持っていなくて……」

 慌てて浅葱は口を挟んだ。なりゆきで選んでしまったとはいえ、買うつもりはない。先立つものを持っていない。

 だが、龍神は浅葱の言葉を聞き流すようにして店主に何かを手渡した。彼の手のひらから湧き出るように見えたものは、小さくて丸くて平たい金属片のようだった。あれがお金というものなのだろうか。

「我が花嫁へ、我からの贈り物だ。まだまだ贈りたいものはたくさんあるが」

「まあまあ、花嫁様でいらしたのですね。お美しい花嫁様に身に着けていただけるなんて光栄ですわ」

 店主らしき女性はそう言うと、花の茎を切り落とした。花を両手で包むように持ち、ふっと息を吹きかける。その風の中で、花がさらに綻ぶように膨らみつつ、硬質な輝きを纏っていく。驚く浅葱の視線の先で、花は形を留めつつも、繊細な玻璃細工のような質感に変化した。

 手渡されたそれを満足げに受け取り、龍神は浅葱の髪にそれを差した。綿帽子は空を飛ぶ間に脱げてしまい、結い髪もとっくに解けてしまっていたが、簪ではなく留め具もない花は吸いつくように髪にとどまった。店主から手渡された手鏡を覗き込むと、耳の少し上に豪華な花飾りを差したようなかたちになっている。少し頭を動かしてみたが取れる様子もなく、重くもない。自分の髪を美しいと思ったことなどなかったが、不思議な花で飾られた黒髪は美しいと素直に思えた。龍神も満足そうに眼を細めて眺めている。

「あの……ありがとうございます」

「うむ」

 今更断るのも違うと思い、浅葱は素直にお礼を述べた。龍神は機嫌よく頷き、店主も微笑む。先ほどは他のお客様が失礼をいたしました、と浅葱にだけ見えるように申し訳なさそうな視線を送られたので、軽く首を横に振った。もちろん花が取れる気配はない。

「これ……すごいですね」

「久遠の花だ。汝にはまず花を贈ろうと決めていた。ここの店主は腕がよい」

 ここの花屋は生花をそのまま売るのではなく、変化させた花を売る店だったのだ。つくづく不思議な店があるものだ。

「では、帰るか」

 龍神は言うと、浅葱を再び抱き上げた。浅葱は思わず目を瞑り、彼の首に縋り付いた。何が起こるか分かっていても怖いものは怖い。龍神の笑う気配とともに体が宙に浮き、地面が遠ざかったようだった。

 いっぱいいっぱいだった浅葱は気づかなかった。

 先ほどの男が店から離れたところで、こちらを憎々しげに見ていたことに。

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