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芙厳岳に鎮まる山珂国の神は、生贄を求める神ではない。しかし、それは生贄を受け容れないという意味でもない。人間が差し出した贄を――時には、生きた人をも――あるいは召し上げ、あるいは突き返す。突き返されたとしても――生きて帰ってこられる保証はない。
(そもそも私の場合、のこのこと帰ってきたところで迷惑なだけだし、帰りたいとも思えないし……)
いっそ死んだ方がいいだろうか、と浅葱は他人事のように思う。普通の人間であれば死への忌避感が強いだろうが、浅葱は色々な意味で普通ではない。生まれも、育ちも、心のありようも、世間から乖離している。
自分を生贄にすると聞かされて衝撃を受けたのは、死の恐怖が理由ではない。実の父親からそのように扱われた、そのこと自体に対してだ。
浅葱を生贄にすると言った父の顔は強張っていたが、それは娘への申し訳なさや哀惜が理由ではない。そうして浅葱を命の危険にさらすと決めたことで、災厄に見舞われないかと、それを心配してのことだ。
幸い――彼にとっては――にも、何も起こらなかった。父は安堵し、萌葱を連れて去っていった。
萌葱ももちろん、妹を惜しむことはしなかった。自分ではなかったことに安堵し、厄介払いができるとせいせいした顔を隠しもせず、浅葱に冷笑を投げた。
二人にとっては、厄介者を家から追い出すことができるだけではない。浅葱を生贄にすることで得られる見返りも大きい。他家にも、国主にさえ強く出られるようになり、資金的にも潤うだろう。
誰にとっても――浅葱にとってさえ――自分が生贄になるのが一番都合がいい。万事丸く収まる。
ただ一人、自分を命に代えて産んでくれた母親に対してだけは――どう思うべきなのか、分からなかったが。
生贄の装いは、花嫁のそれと同じだ。古式ゆかしい幸菱文様の表着に白打掛、白無垢と呼ばれる格好で浅葱は輿に乗せられ、芙厳岳へと送られた。輿を担ぐのは浄衣を纏った祭司たちだ。
この花嫁衣裳は――おそらく死装束になるだろう。そう思うと、豪華さが寒々しく感じられた。最上級の正絹の肌触りがひやりと冷たい。
生贄に選ばれやすいのは若い乙女で、そうした貢物を包むのには花嫁衣装が適しているのだろう。まさか実際に死装束の神衣に包んで神に献上するわけにもいくまい。
芙厳岳の裾野に堂々と屹立する大鳥居の少し手前で、浅葱は輿から下ろされた。祭司たちは場を清め、玉串を振りながら祝詞を唱える。神を讃え、この吉き日を讃え、この地の守護を願い、貢物が御心に叶うようにと祈る。
浅葱はそれをぼんやりと聞き流した。敬虔な気持ちになることもなければ、現世に未練が残るようなこともなかった。ただ黙って、この境遇を受け容れるだけだ。
この神事を主導するのは父親だ。娘を差し出すという、両極端に捉えられる繊細な事柄――あるいはこの上ない献身、あるいはこの上ない暴挙――を行うことで自分に厄災が降りかからないか恐々としていたのが見て取れたが、何事もないと分かってからは祝詞の声も晴れやかで伸びやかだ。娘を死地に送るのではなく、婚礼の場へ送り出そうとしているような錯覚に陥ってしまう。
そんな父親に思うところがないではないが、それ以上に、どうでもよかった。浅葱の振りまく厄災は、浅葱のや相手の負の感情に敏感に反応してしまう。そのことに気づいてからは、自分の心を極力押し殺してきた。そのせいで――あるいは、おかげで――感受性が極端に鈍っている。
祝詞が終わり、儀式も終わりにさしかかり、浅葱は拝礼するようにと求められた。鳥居の真ん中を少し避けるようにして立ち、深く頭を垂れる。この首を落としてくださいとでも言わんばかりに。
もちろんこの場では何事もなく、しかし浅葱にとってはここからが始まり――あるいは、終わり――だ。鳥居を潜るところを見届けられて、逃げ出さないようにと山裾に見張りを立てられて――浅葱が戻ってこないことを、あるいは死んだことを――確認されてようやく儀式が終わる。
拝礼の後、浅葱は周りの祭司たちが見守る中、躊躇もせずに鳥居を潜った。わずかなざわめき、誰かの深い吐息、そうした反応を置き去り、山の中へと歩を進める。
(……鳥居を潜った瞬間、命を取られることはなかったみたいだけど……)
その可能性も考えて覚悟はしていたが、できれば避けたかった。自分が死ぬところを、あの父親に見られたくない。――死ぬところを見られた上に喜ばれるなんて、そんなのは嫌だ。そう思うくらいの心はまだ残っていた。
(……それにしても、歩きにくい……)
初夏の山はすでに下草が伸び放題で、木々も旺盛に育っている。実用的ではない草履は石を噛んだだけで転びそうになるし、綿帽子は枝に引っ掛けて取れそうになるし、裾を引きずる打掛も重い。
禁足地であるからとうぜん人の出入りはなく、獣道だか雨のときに流れができる場所だかがわずかに筋を作っているくらいだ。道なき道を歩きつつ、しかし振り返りはしない。こうして送り出された場合は振り返らないものだし、振り返りたくもない。父をはじめとする祭司たちからはもうとっくに浅葱の姿が見えなくなっているだろうが、心細いどころか、むしろ安堵した。このまま山の中に消えてしまいたい。
生贄がどうなるのか、浅葱には分からない。生きたまま裾野へと再び降りた者もいるが――一定の時間が経てば里はその者を神からの使いとし、再び受け容れる――、死体になって降りた者もいる。そして、降りてこなかった者がどうなったかは分からない。実際に神に召し上げられたのか、山の獣に食べられたのか。生贄の末路は人々の関心事ではなく、その結果として龍神の機嫌がどうなるか、問題はそれだけだ。
(……どこまで歩けばいいのかしら。行き倒れて、それで神に身を捧げたことになる……?)
遅々として進まない自分の歩みに焦れながら、浅葱は考える。
芙厳岳は、周りの山々とは比較にならないほど高い山だ。山頂には龍神が鎮まり、山腹さえも人間には開かれていない。神守里の者は平地に住む者よりも高所への耐性があるが、それでも空気の薄さはきついだろう。人が踏み入るべきところではないのだ。
しかし、母親は浅葱を産むためにこの山へと分け入ってくれたのだ。それを思うと、自分も弱音を吐いてはいられないという気持ちになる。母娘そろって同じ末路を辿りそうなことにも思うところがないではないが。
不意に浅葱は気付いた。うっすらと、周りに霧がかかりはじめている。
(……? 下から見た感じでは、雲がかかってはいなかったはずなのに……?)