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 浅葱が廊下を歩いていると、向こうから歩いてきた使用人の女性が足を止め、顔を強張らせた。包帯を巻いた手を庇うようにして胸に引き寄せ、こちらに怯えた眼差しを向ける。

(……昨日の人かしら)

 昨晩、食事を下げてくれた時に怪我をしてしまった人だろうか。声を聞いただけなので顔が分からないが、状況からしてその人だろう。浅葱とすれ違うことすら恐ろしく、しかしわざとらしく踵を返しては、それはそれで問題があるとにっちもさっちもいかなくなっているのだろう。

 浅葱はなるべく何も考えないようにして引き返した。庭に出ようと思っただけだから、遠回りでも他に行きようはある。そちらへ進んですれ違って嫌がらせのようになるのは避けたい。浅葱は別に彼女を嫌っているわけではないのだ。

 だが、遠回りをしたのが悪かったのだろう。

「あら、厄災の君じゃない」

「……萌葱様」

 自分に似た、自分と同じ年の、しかし双子ではない――姉に会ってしまった。

 顔立ちは似ているのだが、浅葱には姉のような華やかさはない。長くまっすぐな黒髪も無造作に背に流すか簡単に束ねるかだけで、姉のように結ったり鏝で癖をつけたり髪飾りをつけたりということはしない。着物のこなれた着こなしや柄の好みも姉ははっきりとしていて、浅葱とは印象がまったく異なる。

 ――厄災の君。

 面と向かって呼ばれた蔑称に、少し顔に不快感が滲んでしまったらしい。姉は目を細め、赤い唇を歪めた。

「何? 何か文句でもあるの? 本当のことでしょうに」

「…………」

 文句なんてない。本当のことだ。浅葱が不快に思ったのは、蔑称で呼ばれたことではなく、浅葱が周囲に厄災を振りまくそのこと自体だ。

 例外は、この姉と、あと数人くらいだ。祭司として能力の高い者であれば災厄が降りかからないらしい。父はこの例外に含まれず、そのことが彼のプライドを傷つけているらしく、浅葱にいろいろと言いたいことがあるらしいが全部飲み込んでいる。そのぶん鬱憤が溜まっているらしく、実の娘に向けるものとは思えないくらいの敵意を感じることがある。

 姉は浅葱に敵意を向けても無事だ。だが、周りの者は別だ。

 くすりと誰かが笑う声がした。まったく気付いていなかったが、姉は誰かを伴っていたらしい。勝気そうな雰囲気の、二人よりもいくつか年下の少女だ。

「! っ、やめなさい!」

 失笑した少女ではなく、慌てたのは姉の方だった。萌葱は少女を浅葱から庇うように遠ざけようとしたが、無駄だった。

 窓硝子が音を立てて弾け、浅葱を笑った少女の頬を傷つける。つう、と赤い血が滴った。

「痛い! やだ、何これ!?」

 少女は頬に手をやり、べったりと付いた血を見て悲鳴を上げた。

「触らないで! 破片が入っていないか、まずは見てもらいましょう。大丈夫だから、落ち着いて」

 姉は少女を安心させるように言い、浅葱を憎々しげに睨んだ。

「笑われて嫌な思いをしたのなら言い返せばいいでしょう!? 何よ、その不気味な力! 東常の面汚しだわ! 妾の子のくせに、のうのうとお嬢様ぶって!」

「…………」

 何も言い返せず、浅葱は目を伏せた。しかし、目を伏せるのを許さないとでも言わんばかりに、宙に火が現れて浅葱の周りを脅すように飛び回った。ずさんな軌道を描いており、身を引いた浅葱の髪をかすめてじじっと音を立てる。萌葱が操っているのだ。

 この事象が不気味だと思っているのは浅葱も同じだし、妾の子なのに正妻の子である萌葱と同じくらいの待遇を受けてのうのうとしているのも事実だ。

 でも、ひとつだけ言い分がある。

(……これ、私の力ではないと思うのだけど……)

 力のある者は不可思議な現象を起こすもので、姉は火を操ることができる。しかし、姉のそれと、浅葱のこれは違うもののような気がするのだ。こちらは全くコントロールが効かないし、浅葱の周りの者をろくな理由もなく傷つけるし――負の感情を持たれたり、こちらから持ってしまった相手にはほぼ確実に害をなしてしまう――、そんな力など今までに聞いたこともない。

 だが、こうした現象が起きてしまっているのは事実だ。姉は浅葱を思いきり睨むと、怯える少女を促して去っていった。

(…………)

 庭でのんびり散歩をする気分は失せたが、さりとて部屋に戻りたくもない。結局そのまま庭に出ることにして、整えられた植栽の間を歩きながら物思いに沈む。

 浅葱がこうして贅沢な暮らしを与えられているのは、ひとえにこの不気味な現象のせいだ。浅葱を冷遇しようとするとひどい目に遭うため、本妻の娘と同じ待遇を与え、名前さえ揃いのものを与え、腫物に触れるように、宥めるように、飼い殺しにされている。

 まるで荒ぶる祟り神に、暴れないでくれと貢物を送って頭を垂れるように。

 そうしたわけで浅葱は、物質面では何不自由ない生活を送っている。

 逆に、精神面では――どちらが先に参ってしまうか分からないような、劣悪な状況だ。浅葱は心を殺してきたし、周りは心を尖らせて神経をすり減らしてきた。

(こんな生活が、いつまでも続くわけはない……)

 浅葱は空を見上げた。堪え切れなくなったように、曇り空が雨を一滴、涙のように落とした。


 それは予感だったのかもしれない。いつか来ると思っていた終わりの日が、唐突にやってきた。

「――生贄を、差し出すことになった」

 久しぶりに顔を見た父親は、里に戻ってきて開口一番、浅葱と萌葱にそう告げた。

「生贄、ですか……!?」

 萌葱が青くなって口に手を当てた。

「そうだ。お前たちも知っての通り、都を潤す三瀬川みなせがわの源流は芙厳岳にある。その三瀬川が増水の時期でもないのに氾濫を起こした。今年に入ってから、もう三度目だ」

「大変……!」

 萌葱が声を上げる。浅葱は黙ったままだったが、大変だということには同意だった。都は少なくない被害を受けているだろう。

 父親が表情を暗くした。

「国主は、その責めを私たちに問うておられる。こうした氾濫を鎮めることができなくて、なにが祭司だと。神祇官を縮小するぞと……」

 都の治水技術は進んでいる。それでも対応できる範囲には限りがあり、人力の及ばないところは祭司の出番だ。神に乞い、神を慰め、神と人との仲立ちをする。

 国主が神祇官という組織全体の縮小を脅しとして口にしたのなら、東常を含む四家は協力して動かなければならないし――逆も然りだ。足の引っ張り合い、恩の売り合いにもなりうる。

「そこで――お前だ。四家の中で年若い娘はそこまで数がいないし、しかもお前は芙厳岳にゆかりがある」

 浅葱の頭が一瞬、真っ白になった。

 父親は、自分を神に差し出し――他家と国主に恩を売る気なのだ。妾腹とはいえ、実の娘を売ろうとしているのだ。もしかすると、いや、もしかしなくても、いい厄介払いになると考えていそうだ。

「……私は、芙厳岳から拒まれた身ですが」

 かろうじて、それだけを反論する。

 芙厳岳は禁足地だ。人が入ることを許さないその山に、浅葱の母は逃げ込むようにして入った。東常の正妻から危害を加えられ、このままでは子を産む前に殺されてしまうと。

 そして浅葱は生まれた。母は入山の咎を責められるように命を落とし、生まれたばかりの浅葱だけが揺り籠のような筏のような木組みに守られて山裾の川辺に流れ着いた。

 守る者のない幼子は――しかし周りから危害を加えられることがなかった。幼子を手にかけようとした者は不自然に命を落とし、気味が悪いと川に再び捨てようとした者は大怪我を負った。そうして赤子は東常の家に戻り――今に至る。

 一度目は目溢しされたが……二度目はどうか。自らの足で禁足地を踏み荒らして、無事に済むとはとても思えない。

 ――だが、それは反論にならなかった。

 父はその可能性を充分に承知している。そのうえで――浅葱に、死ねと命じているのだ。

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