リリー 11
なんとあれから一週間、私は雑務にこき使われた。
主に黒服の小間使い、そして奴が放置してた書類の計算機としてバイトする事に…。
極限や微分積分とは関わらない。ただ足したり引いたりする算数計算にほっとする。
だけど電卓なんてないからね。もちろんスマホだってない。私は伝説の暗算マスターでもないから、書類の合計を一枚一枚書き出して、順番に足していくという根気のいるアルバイト。
(かゆい……)
森の何かの草木にかぶれて、かゆみと闘いながら腫れて半分閉じた視界で頑張ってる。
薄汚れた石造りの事務所の一室で、黒のユニフォームを渡されて、奴とお揃いの黒服に根拠の無い親近感と安堵感が増す。
事務所の隅っこのソファーで寝泊まりし、朝はカサカサのハムサンド。そして夜は冷え冷えの豆の煮込み。三日目に初めてお肉の切れはしが入った温かいスープを飲んだ。
黒服の仲間は数人。想像通りガラは悪く奴らも私を「ブス」と呼ぶ。
まあ、名前を聞かれたって本名なんて名乗らないから、なんて呼ばれようと構わないけど。
ここで手に入れた情報は、この場所が驚きの海を渡った南国だったということ。
それほどショックは受けていない。転生した時点でファンタジーは日常として受け入れているし、魔方陣とか魔法紋が空から降ってきた現場を乗り越えて異世界経験値はレベルアップしているから。
ダエリア諸島連合国。
その中の一国なんだけれど、名前を聞いてもピンと来なかった。ダエリア諸島に関しては、ステイ大公国と様々な取り引きがあるとは勉強したけれど、やり取りしていたのはグレインフェルドお兄様と、ノース伯爵の家門だったから。
いつか旅行に行きたいわねって、さらーりと名産品に注目していただけの私…。
連合国の数も各国家の名前もうろ覚え。
(でも海の向こう側ってどうやって帰るの…? 船に乗るの?)
ーードサッ。
「これもよろしく。期限は二日後な。間に合わなかったら報酬は無しな」
「………………」
もう終わりそうだった書類に追加された紙の束。
笑う黒服に南国と取り引きしていたお兄様やノース伯爵の名前を出そうかと過ったけれど、それはやめた。
だって私が弱みになって、人質になってとかだけは絶対に避けたかったから。だからステイのスの字もダナーのダの字も出していない。
驚愕な郵便配達料金を稼いだら、次はきっと驚愕な船の乗船券代が待っている。
私は二日間、食事もほどほどに、寝る間も惜しんで紙の束と向き合った。
「…………終わった…」
この現在世で、飴を買うのに小銭を使って喜んでいた自分が、遥か昔の出来事のよう。
現金の取り扱いはまだ慣れないけど、何かの領収書の計算だけは毎日やっているから、もう一人前の大人の私がここに誕生した。
(ピアンちゃんのお兄さんに家門の分与したとか何とかは、そんな無知な黒歴史も遥か昔の出来事…)
自分の大きめな失敗を棚にあげ、ようやく片付いた書類の束に満足して、帰宅の一歩へ立ち上がる。
「お、久しぶりだな、ブ……」
一週間ほど同じ釜の飯を食った仲間たち。
大人になった私に何かを察したのか、ブスとは呼ばずに無言になった。
気付いちゃった? 私が大公国のお姫様だってこと。
醸し出るお嬢様としての気品が溢れ出てしまった?
それは冗談だけど。
貧相な少年としてのカモフラージュは、今のところしっかりと浸透している。
そういえば視界も何処か晴れ晴れで、全てがクリアではっきりと世界が見える。
沸き上がる自信。
帰り道への第一歩。
開け放った黒服の部屋。
「終わったよ。報酬下さい」
期日に間に合った私に驚愕する黒服。
アワアワした黒服を見て満足したが、背後から現れた香水臭い女に顎を掴まれる私。
(……え?)
何故か私はそこで手錠を掛けられて、鉄格子の馬車に詰め込められた。




