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2/2 -落第魔術師が神殺しの魔剣になった件-  作者: 九条智樹
#2 リバース・デスパレート

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終章 いつか、また -2-


 雲一つなく、頭上には青々と抜けた蒼穹が広がっていた。


 五月晴れとはよく言ったものだが、ほんの数日前まで春先らしかった陽気は既に初夏の空気をまとい始めていた。ただ立っているだけでも、うっすらと汗が滲んでくるようであった。

 そんな空に僅かながらも近い学校の屋上で、少しざらついたフェンスに上崎結城はもたれかかっていた。

 その横には、いつかと同じようにアッシュブロンドの髪をなびかせて水凪六花が佇んでいた。――ただ違うところがあるとするなら、彼女はむぅっとハムスターもかくやと頬を膨らませたまま恨みがましく上崎を睨めつけ続けていたことか。


「……なぁ、六花。もうそろそろ機嫌直せよ」


「なんですか、尻軽先輩」


「いやそっちこそなんなんだよそのあだ名……」


 上崎のため息に対し、六花の方はふんと鼻息を荒げてそっぽを向いていた。

 原因ははっきりしている。――上崎結城が、自らのオルタアーツを水凪六花以外に使わせたことだ。

 上崎の剣が砕かれるということは、そのまま上崎の魂が砕かれることと同義だ。そんな危険な状態でなおも誰かに自分を預けて戦うというのは、想像を絶するほどの恐怖である。

 それを乗り越えて自分を託すことが出来るのは、今まで水凪六花しかいなかった。それが彼女にとっても自負であったのだろう。それを上崎が違えてしまったことで、ずっと機嫌を損ねているのだ。


「……先輩の節操なし。そんな先輩は他の人と一緒に戦ってればいいんです」


「あのなぁ……」


 結局ずっとこの調子であった。上崎としては、あれはアリサを救うために仕方なく取った手段だ。たとえレーネが相手でももう二度としたいとは思わないのだが、それをうまく伝えられるほどの語彙が上崎にはない。



「ふぅん、振られちゃったねぇダーリン。じゃあわたしがもらってあげよう」



 そんな甘い声音と共に、ふわりと蜂蜜のような香りがあった。

 いったいいつの間に屋上まで上がってきたのか、レーネ・リーゼフェルトが上崎の背後から抱きついていた。


「……何してんの?」


 その密着にドギマギすることもなく、ただただ呆れ果てて上崎は問う。その態度が不服だったのかレーネはレーネで若干唇を尖らせていた。


「ちょっと冷たくない? せっかくパートナーを失ったばかりのダーリンを慰めてあげようと思ったのに。あわよくばそのまま横取りしちゃおうかな、とは考えたけどさ」


 そんなレーネの言葉に、横に立った六花の方が露骨にうろたえていた。自分が言い出した手前レーネを否定できずにいるようだが、それでも上崎が他人に取られるというのは認められないのだろう。うっすら目に涙がにじんでいるほどだ。

 とはいえ、それは杞憂だと上崎はため息交じりにレーネへ答える。


「……悪いけど断るよ。俺は六花以外と組む気ないから」


 ひらひらと手を振ってすげなく断る上崎に、レーネはむぅっと一層拗ねた表情をする。その一方で、むくれていた六花の表情の方が崩れていくのが見えた。まだ怒っているていを保とうとしているようではあるが、緩みきった頬が全てを台無しにしている。


「……ダーリン、やっぱり悪女の才能があると思う」


「これはお前のせいだろ……」


 六花の脳内で迂遠な告白に変換されていそうな気もするが、とにかく機嫌が直ったらしいことだけは確かなので、上崎としてはこのまま放置しておくことにした。


「それで、お前はなんの用?」


 上崎の問いに対し、レーネの動きがぴしりと硬直する。

 昼休みとはいえわざわざ学校の屋上に用もなく来る理由はあまりない。白浜辺りから上崎たちの居場所を聞いて足を向けたのではと推察したのだが、当のレーネの視線はあちこち泳ぎはじめていた。


「アリサとの別れの挨拶、だよ」


 コンコン、とセリフに遅れてノックの音があった。

 見れば、屋上の入り口には白いダブルボタンの制服を着て柔和な笑みを浮かべる好青年と、それに連れられるようにして複雑な顔をしている蜂蜜色の髪の少女がいた。


「オリヴェルさんにアリサ。もう現世には帰れるはずって聞いたけど」


「帰るわよ。でもその前に、お世話になった人とか、迷惑かけた人には一言くらい言っておかなきゃかなって」


 それは律儀だな、と上崎はこぼしつつ、ふと後ろを見る。――そこでは、なぜか上崎を盾にするようにして縮こまっているレーネ・リーゼフェルトがいた。


「……もう一回聞くけど。お前、何してんの?」


 上崎の問いかけに、びくっと肩を振るわせるレーネだったが返答はなかった。いつもの無駄に明るい様子はなりを潜めていた。


「なぁ、何があったんだ?」


 レーネが答えないので、上崎は仕方なくアリサを見やって問い直す。それに対し、アリサは少しばかりばつが悪そうに苦笑を浮かべていた。


「あたしが魔獣に飲み込まれてる間に、妹がどうとかって聞こえたから、その辺りの話をしただけよ。ちなみにあたしは一人っ子です」


 いっそ清々しいほどの断言があった。それで全てが繋がった上崎はただただ苦笑を浮かべるばかりであった。

 確かにたまたま留学した先でたまたま臨死状態で出会った相手が血縁者であるなど、偶然としては出来すぎていた。証拠もない以上は年齢と出自に重なる部分があっただけ、と考えるのが普通ではあるだろう。


「…………つまり勘違いで命まで投げ出しちゃった自分に恥ずかしくなって、アリサの顔を見れず逃げ続けている、と」


「言語化しないで、ダーリン」


 恨みがましいレーネの視線に耐えかね、上崎もアリサの方を見やる。


「……お前、せめて本人がそう思ってるんだからそういうことにしようっていうのも優しさなんだぞ?」


「次からそうする」


 絶対に次などないと分かっていながらアリサはそう言って、哀れなレーネを捨て置いて上崎の傍に近寄った。――ちなみに、まるで反発する磁石のように、レーネはそそくさと上崎から離れて今度はオリヴェルを盾にし出す始末であった。

 そんなレーネに苦笑を浮かべながら、アリサは上崎にため息をつく。


「あんたこそ、人に優しさを説けるような立場じゃないでしょ。――がんばれ、だなんて勝手なこと言ってさ。あたしがこのまま現世に戻ったって何も解決なんてしてないのに、それでも投げ出すなだなんて、鬼畜もいいとこじゃない。アドバイスの一つも考えてないでしょ?」


「……考えてはないけど、考えなくてもいいだろ。だってお前ならがんばれるよ」


「それが勝手だって言ってるのよ、ばか」


 頬を膨らませたアリサがげしげしと上崎のすねを蹴飛ばす。そんな彼女がいまうっすらと笑みを浮かべていることに、彼女自身は気づいていないのだろう。


「……いつ、帰るんだ?」


「いまよ。オリヴェルさんには先に挨拶したし、あの先生とか警護の魔術師さんたちにもここに来る前に済ませた。――いいんじゃない、屋上の開けた空の下でお別れっていうのも」


 そう言って、彼女は胸の鎖を見せた。その鎖に以前のようなたわみはなく、先は透明になって見えないというのにまるで縫い付けているかのようにピンと張っていた。


「もう現世の肉体はすっかり回復してるみたいだし。人の目がなくなったら、たぶん呆気なく現世に引っ張られちゃう」


「……そうか」


 ほんの一週間ほどだった。まだアリサと出会ってそんな時間しか経っていない。だというのに、別れが来たということがどうしようもなく胸の奥を締めつけている。

 そんな上崎の心を見透かしたように、アリサは小さく笑みを浮かべて上崎の顔を覗きこんでいた。


「なに、寂しいの?」


「……うるさいな。そうだよ、悪いかよ」


「へぇ。まぁ悪い気はしないわね」


 顔をほころばせながらアリサは言う。なんとなく負けっぱなしになっているような気がして、上崎はついささやかな反撃に出ていた。


「……お前こそ寂しいんじゃねぇの?」


「あたしがあんたに対して? それは自意識過剰でしょ」


「俺はともかく、レーネとだよ」


 上崎の言葉に、うぐ、とアリサが声を詰まらせた。


「生え際の地毛の色なんて瓜二つじゃねぇか。――それに、自分が押し潰されるくらいに何でもかんでも一人で抱え込むところなんて、あんまりにも似すぎていると思うんだけど。それでも本当に一人っ子だって言い張る気か?」


「……結城、うっさい」


 そのリアクションだけで十分だった。そんな偶然あり得ない、などと言っておきながら、おそらく彼女はその偶然が事実だと知っていた。

 親から聞かされていたかもしれないし、そうでなくともひと一人が生きていた形跡が全く残っていないこともないだろう。どこかでアルバムを見つけるかもしれないし、あるいは両親以外の血縁者が口を滑らせるかもしれない。気づくきっかけはどこかにあった。


 レーネの発言から自分の姉だという確信を得ながら、彼女はそれを勘違いだと言って突き放した。それはひとえに、彼女の優しさ故だろう。

 ここで家族だと分かったところで、アリサの居場所は現世で、レーネはこれからも天界で過ごしていくしかない。決して交われない以上、本当のことを言って悶々とした日々を過ごさせる必要もない。そう思って、彼女はきっとそんな嘘でレーネを突き放したのだ。


「……お前、素直じゃないな」


「うっさいってば。いいから、黙っててよ」


「分かってるよ。――じゃあな。現世でもがんばって。それと、もうこっちには来るなよ」


 ぽんぽんと上崎はアリサの頭を撫でる。子供扱いしないで、なんて言いながら、彼女はその手を払いのけようとはしなかった。


「結城、さすがに言い方がひどいと思う」


「仕方ないだろ。どんなに言ったってこっちはあの世なんだよ。すぐ戻ってきたら口利いてやんないからな」


「……分かったわよ」


「幸せの形なんてそれぞれだけど、まぁたとえばそうだな。好きな人見つけて、結婚して、子供が出来て、孫が出来て、そいつらに囲まれた大往生とかさ。そういう幸せな人生を送ってからじゃないとこっちに来るのなんて認められないな」


「……へぇ。じゃあ、残念ながらそれは難しいかも」


 上崎の思い描く未来予想図を聞いた上で、アリサはどこか意地悪げな笑みを浮かべてそう答えていた。


「なんでだよ」


「あんたには教えてあげない。――それより、ほら目を閉じた閉じた。誰かに見られてるとあたし、現世に帰れないんでしょ?」


 急かすようにアリサは言う。軽く見渡せば、オリヴェルもレーネも六花も、既にそっと瞼を閉じていた。

 場所は屋上で、周囲に誰かが見下ろすような高い建物もない。ここで上崎が目を閉じれば、彼女を天界へと繋ぎ止める楔はなくなる。


 本当に、最後の別れだ。


「……元気でな」


「あんたも」


 そんなやりとりを残して、上崎もそっと目を閉じる。瞼の裏に焼き付いた、少し傷んだような蜂蜜色の髪の彼女の姿に思いを馳せて。


 ふいに。

 そんな上崎の前に、何かあたたかな気配があった。

 そして、彼の唇に何かが触れる。


「――っ」


「あ、こら。目を開けんなばか」


 何してんだという上崎の抗議を押さえつけるように、少女の手が上崎の視界を塞ぐ。

 下手に騒いで六花たちに勘ぐられても言い訳に困る上崎がそれ以上何も出来ずにいると、少し落ち着いた様子でアリサが上崎の頬を少しだけ撫でる。



「――好きだったよ、結城」



 そんな言葉が、上崎にだけ伝えるように耳元で囁かれた。


「……お前、やっぱすげぇよ。尊敬する」


「でしょ?」


 ふふ、と楽しそうに笑う声が少しだけ遠のいていく。それがどうしようもなく寂しくて、けれど、彼女が笑って生きていってくれることだけは、どうしようもなく嬉しくて。


「今度こそ。ばいばい、結城」


「……あぁ、またいつかな」


 上崎との別れは、それで終わり。

 そして、彼女は最後の最後に、少し照れたようにかすかに震える言葉を残していった。



「ばいばい、お姉ちゃん」



 それっきり、もう彼女の声は聞こえなくなった。

 きっともう目を開けてもどこにもいない。

 それが分かっているのに、どうしてもまだどこかに彼女がいてほしいと、そんなことを思ってしまって。

 上崎はしばらくの間、ただじっと瞼を閉じたまま天を仰ぎ続けていた。


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