終章 いつか、また -1-
開け放たれた窓から吹き込む一陣の風に、どことなく草木の青臭さと特有の湿り気が入り交じる。そんな初夏の訪れを感じながら、上崎は少しばかり長い息を吐く。
もはや見慣れた、古ぼけた赤本の並ぶ小さな部屋だった。チクタクと響く秒針の音が鼓膜に痛い。
「かーみさーきくーん?」
デジャブであった。
長机を挟んだ対面に座する教師は、にっこり笑顔で血が滲むほど固く拳を握り締め、ぎりぎりと歯を食いしばりながら上崎結城を睨みつけていた。何とか取りつくろっているらしい表情の下にあるのは、きっと般若か修羅の様相である。
「ありとあらゆる命令を無視して魔獣討伐に出向くとか何を考えているのかなぁ?」
「い、いやぁ。結局デスパレートの核は消滅、アリサも無事に救出できたわけで、これ以上ないハッピーエンドだったわけで……」
「命令違反がそれでお咎めなしになるとでも? ――分かっているとは思うけれど。どんなに良くても謹慎、普通なら退学処分です。それどころか、下手をすれば刑事罰もあり得るっていう自覚はあるのかな?」
「……ど、どうにかなりませんかね……?」
もはや平謝りでどうこうできる次元ではなさそうだった。もう涙目になるくらいしか出来ることのない惨めな上崎の様子に、怒り心頭の白浜も一周回って呆れたようにため息をつくばかりだった。
「まぁ今回に限って言えば、警戒呼集発令中ではあったものの、先の戦闘の治療で明確な命令を上崎くんたちが受け取る前ではあったからね。上手くごまかしておくことが出来ないこともないのは事実だよ」
「せ、先生……っ」
ぱぁっと破顔する上崎に対して、しかし白浜は冷ややかな目を向ける。
「でも一回これで見逃すと、上崎くんはもう絶対反省しないよね? 次も同じことする気満々だよね?」
「…………そ、そんなことはない、ですよ……?」
「せめて目を見て言いなさい、正直者」
取りつくろうこともしない上崎に、心底から頭を抱える担任教師であった。「育て方を間違えた気がする……」とそんな言葉を本気でかけられる日が来るとは上崎も思わなかった。
「ただ今回はそれに加えて、リーゼフェルトさんたちも関わっているからね。あんまり無慈悲な処分は外交にも響いてくるし、そもそも問題自体をうやむやにして終わることにはなるとは思います」
「分かりました、次からは気を付けます」
「気を付けるんじゃなくてやめなさいと言っているんだけど、もういいよ……」
上崎の言葉にいよいよ先に白浜の方が折れていた。白浜自身も、アリサを救うとした判断自体を間違っているとは言いづらいようで、あまり強く叱りつけることも出来ないらしい。
「まぁ今日上崎くんを呼び出したのは、お説教が九十九割で、一割は事後報告だからこれくらいでよしとしましょう」
「俺へのヘイトが毎回千パーセントに達しているのは……いえ、なんでもありません」
「よろしい」
コンシーラーで隠しているが、白浜の目の下にうっすらとくまが残っていることに気づいてしまった上崎は、素直に口を噤むことにした。上崎の独断専行のツケが担任である彼女に回ったことなど明白で、ディザスターに引き続いていったいどれほどの事後処理に追われたのか。想像するのも恐ろしい。
「まずは、冬城さんの治療は無事に終わって昼前には退院したと報告がありました」
「そうですか。それはよかったです」
その白浜の言葉に上崎は胸を撫で下ろす。左腕を斬り飛ばした直後からレーネが治療に当たっていたとはいえ、それでも重傷であることに変わりはない。無事に治ったという報せは素直に嬉しいものだった。
「それと、デスパレートの核が消滅したことで、臨死多発事件も終息したようです。昨晩から臨死者が次々と現世へと帰還していっています。冬城さんもじきに帰れるんじゃないかな」
「……そう、ですか」
「寂しくなるね」
「まぁ、一週間は一緒にいましたからね。……でも、いいんですよ。アリサがこんな天界に来るのなんてもっと後で。だから帰れるようになったなら喜ばないと」
「そうだね」
そんな上崎の強がりまで見透かしたようで、白浜はくすりと笑う。その面はゆさに居心地の悪くなった上崎は、半ばごまかすように「用が済んだなら戻りますね」と席を立つ。
「ところで」
「はい?」
そんな上崎を引き止めるように白浜が切り出す。その表情は、ようやくの仕返しの駒を見つけたのか、おもちゃを手にした子供のように爛々と輝いていた。
「最初は水凪さんも合わせてお説教をと思って彼女にも声をかけたんだけど。絶対に個別で、って言われちゃったんだよね。先輩と顔を合せたくないので、とかなんとか」
「……あー……」
白浜の言葉に、心当たりしかない上崎は天を仰ぐ。そんな様子に、白浜はくすりと笑みを浮かべる。
「喧嘩にしろ何にしろ、早めの対処が一番大事だよ? ちなみに、先に説教を終えた水凪さんは屋上で風に当ってくるって言ってた」
「……ほんと、先生は面倒見がよすぎなんですよ」
「褒めても何も出ないよ?」
「そういうつもりで言ったわけじゃないですよ。――さっきは適当にごまかしちゃいましたけど。これからは、先生にまで愛想を尽かされないように気を付けますから」
「うん、期待はしないでおくね」
「……あれ、その返答だともう愛想を尽かされちゃっているのでは……?」
そう言ってからからと笑う白浜を置いて、上崎は生徒指導室を後にする。
ゆっくりと、どうしたものかと頭を悩ませながらも屋上へとつま先を向けた。




