第四章 憧れ -2-
「――っだぁ!」
自棄を起こしたような声と共に、秋原佐奈は髪を振り乱して剣を地面に突き立てた。――その下で、黒光りした甲虫にも似た影が貫かれていた。
「これ何体潰せばいいの……っ!?」
「殲滅作戦だからいなくなるまでだなぁ」
そんな妹の様子をどこか楽しそうに笑いながら、秋原佑介もまたハルバートを振り回し、周囲に蠢くカテゴリー2の魔蟲をまとめてなぎ払う。
もう百はとうに超えて数百の魔力級や魔蟲級の魔獣を狩っているが、終わりが見える気配はない。いままで人に仇をなしていないため見逃されてきた魔獣がこんなにも潜んでいるのかという辟易と驚愕に押し流されて、魔獣の見た目の嫌悪感など最初の数匹を潰したっきりどこかへ消えてしまった。
秋原兄妹を囲う編纂結界のすぐ隣には、すでに別の結界が張られている。この街一帯、結界の張られていない空間を探す方が難しいだろう。その光景はあまりにも異質で、ことさらに非日常であることを突きつけてくる。そんな不安感に抗うようにか、佐奈は作戦中と理解しながらも平時の口調のままで、佑介もそれを咎めたりしなかった。
「そもそもお兄ちゃんとツーマンセルっていう時点で最悪なんだけど!」
「おいやめろ、イライラしてるからってお兄ちゃんに当たるなよ。こっそり泣いちゃうだろ」
そんな軽口を言いながら、佑介は結界の中にいるカテゴリー2の魔獣の気配を探知し、背を向けたまま切り伏せる。長物の武具で狙うにはあまりに小さく俊敏な獲物も、佑介にとっては止まった的と大差なかった。
「……お兄ちゃんが強いっていうのもちょっとむかつく」
「これでも一年先輩なんだから当たり前だろ」
理不尽な妹の嫉妬に、佑介は乾いた笑いで返す。言葉の内容はどうあれ兄らしい威厳は示せていたようなので、佑介としてはその評価もまんざらではない。
非常時のため、とにかく二年生と一年生を出席番号順に一人ずつのツーマンセルにし、カテゴリー2以下の討伐に当たらせている。三年生はプロと合同でカテゴリー3の相手だ。
被害の出る前に魔獣を殲滅すると空白地帯となり、浴槽の栓のようにそこに魔獣が流れ込んでいくことになる。本来であるなら避けるべき行動だが、いまはそんな将来的な危機を無視してでも、現世へ魔獣が渡る可能性自体を徹底して排除する必要がある。
「やっぱり、アリサちゃんになにかあったのかな」
「さぁな。なにせこっちに降りてくる情報が少なすぎる。とにかく俺たちは、目の前の蟲をぷちぷち潰していくだけだ」
そう言いながら、佐奈も佑介も迫る魔蟲級の群れに刃を向ける。かれこれ一時間以上はこうして戦い続けている。いくら身体強化術式を使用していても、疲労は溜まっていく一方だ。現世と天界を繋ぐというゲートを早急に鎖さなければ、事態が最悪の方向へ転がっていくのは目に見えている。
「そっちは結城と六花ちゃんに任せるしかねぇんだけど。――ただ親善試合を見た感じ、少し不安はあるんだよな……」
昨日のスタジアムで開かれていた上崎たちとリーゼフェルト兄妹の親善試合を思い出し、佑介は渋面を浮かべる。
カテゴリー5を討伐したという実績があるにしても、上崎たち自身の力量が図抜けて高いということはない。カテゴリー3の中位を単騎で討伐するのが関の山だろう。それでも在学生という枠組みで見れば十分すぎるほどだが、すでに国際的なプロ資格を得て『五大元素支配』などという領域にまで至ったオリヴェル・リーゼフェルトとは比較にもならない。
それを念頭に置いた上でなお、昨日の結果は散々なものだ。遠目で見ていても分かるほど、六花の動きは精彩を欠いていて、上崎の本領を一割も引き出せていない。あの状況が続いている限り、どんな魔獣を相手にしても勝つことは難しいだろう。
けれど。
「なら問題ないでしょ」
佐奈はその散々な結果を見てなおそう即断した。その言葉に、佑介は少しだけ目を丸くしていた。
「あれは自分に自信がなくなって、その不安から逃れるために虚勢を張って、勝手に自爆して空回りしてただけだもの。あれが六花の実力っていうわけじゃない」
「俺もその通りだとは思うが、そういう心因性のものの方が尾を引くもんだけど」
「六花を馬鹿にしないでくれる? ――あの子はカテゴリー5にだって真正面から立ち向かったのよ。こんなところで、大事なものを見失ったまま潰れるわけないでしょ」
その言葉は、きっと兄に向けたものではない。それを分かっているから、佑介は微笑むだけだ。小さく呟く佐奈の声は、結界をすり抜けるように風にさらわれて、夜の街を静かに吹き抜けていく。
「あたしの親友は、もっとずっと格好いいんだから」




