第一章 桜舞うころ -6-
教室前の廊下は、春先らしくまだ若干の肌寒さを残していた。
カーディガンでも着てくればよかったか、と軽く身震いする上崎の視線の先に、仁王立ちする少女が一人。
「待ってたわ」
始業までのわずかな時間だった。トイレから戻ろうとした上崎の前に、秋原佐奈が待ち構えていた。
「……なんの用だよ。俺と六花はずっと一緒にいるわけじゃないぞ」
「別に六花目当てであんたを待ってたわけじゃないし」
となると、わざわざ上崎個人と話をしに来たのだろう。てっきり嫌われていると思っていた上崎だが、話もしたくないほどではなかったらしい。
「あんた、お兄ちゃんの勝負に乗るのね」
「……どうでもいいけど、お兄ちゃんって呼ぶのな」
「それ以外絶対にお兄ちゃんが許してくれないの、放っておいて」
家庭で思春期の妹相手にあの図体で「お兄ちゃんって呼び方以外許さん!!」なんて叫んでいる佑介の姿が目に浮かぶようで、上崎も目を覆った。あれで自分はノーマルだと信じているが、傍から見れば完全完璧にシスコンである。
そんなことより、と本気で兄のことはどうでもよさそうに言い捨てて、佐奈は本題へと移る。
「意外だったのよ。あんた、自分がけなされても怒らないじゃない? だから、お兄ちゃんが提案した勝負だってあんまり乗り気じゃないんだと思ったの」
そう言われ、その話かと上崎も得心がいった。
確かに佐奈の疑問ももっともだ。上崎を馬鹿にして怒るのは六花であり、決して上崎本人ではない。彼女が代わりに怒ってくれているからいい、というのとはまた違う。そもそも沸点に達していないのだ。
「まぁ、お前の言うとおりだよ。俺は本当に他人からの評価は気にしてない。お前の言葉で傷ついたりもしないだろうよ。そもそも俺は、お前と同意見だからな」
上崎結城は、欠陥品だ。
オルタアーツの扱いが下手で、武器化のジェネレートを使用しようとすれば魂全てが剣となりただ転がるだけ。そんなもの、何をどう取りつくろったって魔術師とはとても呼べない。――彼女の言うとおりのポンコツだ。
「俺のジェネレートは、確かに原理上はカテゴリー5を討伐できるかもしれない。そういうふうに作られたからな。――けど、それは机上の空論ってやつだ。俺一人にそんな力はないよ」
それは謙遜でも何でもない。紛れもない事実だから。
「俺は壊れてるんだよ。歪で、ひび割れてて、とても醜い。魂が意志を無視して武器であるのを望むなんて、まともな人間じゃない。こんな俺じゃ、カテゴリー5どころか魔獣の一体も討伐できないだろうな」
「……じゃあ何であの勝負を引き受けたの? ――いや、そもそも、なんで魔術師になろうとしてんのよ?」
「そうだな。無理やりこんな魂にされて、子供の頃に抱いていた夢は全部砕け散った。魔術師なんて夢は捨てたってよかった。――だからまぁ、今の一番の理由は、六花だよ」
笑って、上崎はそう答えた。
「あいつが俺を『最高の魔術師』なんて呼ぶからさ。今じゃ人間もどきの俺だけど。戦う理由なんてとっくに失くした俺だけど」
それでも。
彼女が自分を『最高の魔術師』だと言ってくれるから。
「俺を救ってくれたあいつがそう呼ぶんなら、俺も六花の前ではそうありたいって思うんだ」
だから、上崎は魔術師を目指す。
留年なんてしてでも、魔術師の道を諦めることだけは絶対にしたくなかった。
「あいつの期待には全力で応える。何があっても、あいつの為ならがんばれる。だから俺は、六花がその吸血鬼事件ってのを調べろって言うんなら喜んでやるし――カテゴリー5を殺せっていうのなら、命だって懸けてやるさ」
そう言って上崎は佐奈の脇を通り抜ける。
「俺は最高の魔術師だって、あいつの為に、俺が証明してやるよ」