第三章 窮余の爪 -1-
薄藍色の結界越しに燦然と輝く西日に目が眩んで、上崎は手を庇代わりにする。
体育の授業でもないのに体育着に身を包み、延々とトラックを周回し続けてどれほど経ったか。身体強化術式の訓練を目的とした専門課程の授業のため、中距離走の速さでかれこれ数十キロは走っていた。
陽光から目をそらすように、ちらりと上崎はトラックの外を見やる。まだ入学してひと月程度だ。初歩的な授業とはいえペース配分をミスし、すでに脱落した生徒もちらほらいる。その姿を見て、上崎はまた少しだけ気を引き締めて前を見据えた。
カテゴリー5を討伐したと言っても、上崎が落第しているという事実は変わらない。上崎のオルタアーツの歪みの大半は武具生成術式だが、それでもかつてはそれなりに優秀だった身体強化術式も劣化している。気を抜けばトラックの外で寝そべる生徒の仲間入りだ。
「……真剣な顔する割に、ペースはずいぶん遅いわね」
そんな上崎の横に、ちょうど五周の差をつけたブラウンのショートヘアを揺らしながら女子が並んで声をかけてくる。秋原佐奈だった。
「テストでもなんでもないしな。さすがにまだ英雄だなんだともてはやされてるから脱落はみっともないだろうけど、無理に速く走る気はないよ」
「なるほど、まぁいいけど。――もう少しで時間も来るし、あたしもペース落とすわ」
そう言いながら、珍しく佐奈が上崎と並び続ける。留年生の上崎は同級生と接点を持とうとしないため孤独になりがちだが、佐奈はむしろ交友関係の多い方だ。こうして走りながら談笑するような相手は上崎以外にもいるはず。何か言いたいことでもあるのだろうが、普段から截然としている彼女らしからぬ様子に上崎は首をかしげる。そんな上崎を気にするでもなく、佐奈は話を続けた。
「あの臨死の子……アリサちゃんだっけ。経過はいいの?」
「仕事だから無闇に教えれないんだけど……」
「昨日の親善試合であの子に解説してたの、あたしとお兄ちゃんなの知ってるでしょ。一応、あたしたちも関係者扱いってことになってるわよ」
「ならいい、のか……?」
厳密にどこまでが守秘義務が課せられているかは不明瞭ではあるが、彼女のプライバシーに関わらない部分であればむしろ共有した方がいいだろうと判断して、上崎は素直に答えることにした。
「捜査っていう意味ならあんまり進展はないな。正直なところ、これ以上は進まないっていう気がしてる」
「……諦めたってこと?」
「違うよ。ただアリサが臨死状態になってもう一週間だ。その前の週から臨死は多発してたから、発端から見れば二週間。その間なんの情報も出てこない。加えて言えば、アリサ以降の臨死者も出てない。ならもう二択だろ」
この臨死の多発が人為的なものであるとしても、以降臨死が増えていないということは目的が達成されたか、あるいは頓挫したと見るべきだろう。そしてどちらにしても、現時点で何もないのであればこの先アリサ自身への危害は起こり得ないし、そもそもの臨死状態が永続するとも考えられない。じきに解決するだろうというのが上崎の見立てだった。
「それで、もう出し抜かれた後か勝手に頓挫したか、どっちだと思ってる?」
「頓挫に一票。まぁ悲観的に準備せよっていう理屈は分かってるつもりなんだけど」
楽観視せず冷静に状況を見極めようとしても、意図が見えて来ない。たとえそれがどれほど巧妙に隠匿されたものであったとしても、その『隠そうとする痕跡』自体を拭い去ることは出来ないのが常だ。それすら発見できないのであれば、そもそも現象と思惑が乖離していると考えるのは当然の帰結だろう。
「たとえば、魔獣の能力で現世との境界を平時より曖昧にしてたとかな。現世へ降りて腹を満たそうとしたくせに自分が境界を直接飛び越えるまでの結果は引き出せなくて、エネルギーだけ浪費して飢餓状態で身動きが取れない、なんて辺りがいい線だろ」
世界に干渉するほどの規模の能力だ。そこに消費されるエネルギーの総量は並大抵のものではあるまい。おそらくは、数万人もの核を捕食して初めて成し遂げられるかどうか。しかしプロの魔術師たちに目立った動きがないことを鑑みるに、やはりそれほどこの事象を危険視していないであろうことは明白だ。上崎の仮説もあながち外れではないだろう。
そんな上崎の憶測に納得したように頷いて、佐奈が小さく感嘆の声を漏らす。
「……さすがは一年先輩ってことかな」
「やめろよ、兄の元同級生が本気で泣くのが見たいのか?」
「その脅し方お兄ちゃんみたいでキモい……」
心底げんなりした様子の佐奈に言われ、上崎も肩をすくめる。半ば本気で嫌われていそうな親友を思って、上崎はそっと心の内で祈りを捧げるばかりだった。
「それに、俺のオルタアーツじゃもう自分で戦えるわけじゃないし。そうやってひたすら観察と考察することくらい出来ないと立つ瀬がない」
「へぇ、観察と考察ねぇ。本当に?」
「……なんだよ」
やたらと含みのある言い回しの佐奈に怪訝そうな目を向けると、顎で上崎の隣を指す。
まるでタイミングを見計らったかのように、もう何周差かも分からない中、アッシュブロンドの髪をなびかせて颯爽と追い抜いていく影がそこにあった。――水凪六花だ。
上崎たちにチラリとだけ視線を向けるが、しかし立ち止まることもなくそのまま駆け抜けていく。瞬く間にその背中はもうずいぶんと遠くなっていた。
「あのオーバーペースについて、何か思うことは?」
「……まぁ六花の場合、身体強化術式にはそれなりにプライドとかもあるんだろ。オリヴェルさんとの親善試合の後も自主練してたみたいだし」
「〇点の回答ね……」
呆れ返った佐奈の呟きがやけに心に刺さるが、さりとてほかに思い当たる節もないのは事実だった。そんな上崎に追い打ちをかけるように佐奈は続ける。
「じゃあもう一個。六花がいまもあたしたちに声もかけないで追い抜いてった理由は?」
「それに関しては、親善試合とかの前からずっと不機嫌みたいなんだよなぁ……。こっちから声をかける分にはリアクションはあるんだけど。たぶん、アリサとレーネに構い過ぎてるから機嫌を損ねてるとかかと思ってるんだけど」
「三点」
「なんでだよ……」
若干だけ点数は上がったものの及第点にはほど遠い。誤差の範囲内であった。
「女子が全員いついかなるときも乙女だと思ってる辺り、本当に乙女心が分かってないなって。――あれはそういうのじゃないわよ。放っておいたって大丈夫」
首をかしげる上崎だが、佐奈は答えを教えてはくれなかった。自分で気づけと言っているのか、そもそも気づかなくてもいいと思われているのか。それも分からずじまいだ。
「まぁ、あんまり他の子に構うとあんたの言うとおりになる可能性もなくはないだろうけど。それはそれであたしと遊んでくれるだろうし、あたしにとってはプラスだからよし」
「いやよくはないと思うんだけど……」
上崎のそんなぼやきは完全に黙殺されていた。冗談めかしているが、佐奈の眼光に本気の嫉妬が滲んでいるような気がしてならない。
「それで、あんたと六花は今日こそ業務があるの?」
「あぁ。今日はアリサの暇つぶしがメインだから、あいつの要望で市民体育館でバスケだ。意気揚々と当日に権力振りかざして貸し切りにした貴族様は、溜めに溜めてた公務の山と向き合わなきゃとかで欠席なのが笑えるけど」
「それが魔術師の仕事ってどうなのよ……?」
「やめろよ、俺も少し見失ってきてるんだから」
少なくとも、魔獣を討伐し人々の安寧を守るという魔術師のあるべき姿とはずいぶん遠いところに来てしまったと思う。
「まぁ何でもいいけど頑張りなさいよ。女子中学生相手にバスケで惨敗とか、いくら六花でも百年の恋も冷めると思うし。――いや、むしろその方があたし的にはお得なのでは……?」
「思いっきり心の声が漏れてんぞ……」
もはや隠すつもりもなさそうな佐奈の言葉に若干辟易し、走りながら器用に吐いた上崎のため息は、授業終了を告げる白浜のホイッスルにかき消されるのだった。




