第一章 桜舞うころ -5-
朝の日差しは温かく、歩いているのにうつらうつらとしてしまいかねないような、そんな魔力を秘めていた。
上崎も思わず、ふぁ、と大口を開けてあくびしてしまう。
「先輩、眠いんですか?」
「まぁ朝には弱い方だな……」
のんびり登校する上崎の横には六花の姿があった。寝ぼけ眼の彼とは対照的に、姿勢を正して歩く彼女の姿は凛として見えた。
そんな彼らの後ろに、じとっとジェラシーの混じった視線を送るスレンダーな女子と、それを横目で見て笑いを堪えている長身男子の姿もあった。
「お兄ちゃん……。あたしは六花と登校していたはずなんだけど」
「だなぁ。俺も結城と登校してたと思う。つっても、寮暮らしだから出る時間が被ればこんなの当たり前だろうけど」
「それが何で向こうは向こうで楽しそう、あたしのほうはお兄ちゃんと登校してる、みたいな形になってんの? シスコン? やめてマジでキモイ」
「お兄ちゃんが何を言われても傷つかないと思うなよ? それと、文句があるならまずはあの二人に言えよ」
しかしそんな二人の声は届いておらず、先を歩く上崎と六花は佑介や佐奈を気にすることもなく二人で会話を続けていた。
「先輩、去年は遅刻なんてないですよね?」
「……白浜先生ってな、涙目の生徒にはとても優しいんだよ」
「もういいです、察しました」
尊敬する先輩の必殺泣き落しは知りたくなかったのか、少しだけ六花の視線が冷たくなる。――ちなみに、白浜は今年も上崎の担任の女教師だ。
「先輩はそうやって女性をたらしこんでいくんですね」
「すごく語弊のある言い方だな……」
そもそも外見はともかくとして倍も歳が離れた白浜にまで嫉妬されても、上崎としてはどうしようもないと思う。そんな上崎の様子に六花がため息をもらす。
「なんなら今日からは私がモーニングコールでもしましょうか? 私、生前はかなり規則正しい生活をしていたので生活リズムには自信がありますし」
「なし崩し的にお前に依存していく未来が見えるんだけど、それが狙いではないよね……?」
「……お部屋の前までお迎えに行きましょうか?」
ぐいぐいとアプローチを続ける六花に、上崎は冷や汗を流しながら一歩引く。承諾も拒絶もできない辺りが実に上崎らしかった。
「がぁ! それ以上イチャイチャするんじゃないわよ、上崎!!」
とうとう見かねた佐奈がその間に割って入るように吠えた。本当に犬のような唸り声を上げてまで上崎を睨みつけている。
「イチャイチャなんてしてねぇよ……」
「イチャイチャだなんてそんな……っ」
げんなりする上崎に対し、六花はまんざらではない様子でぽっと頬を染めている。佐奈の発言を『お似合いだ』とでも誤変換してしまっているのだろう。
「くぅ……っ。上崎のことで喜んでいる六花を見ると腹の奥底からどす黒い感情が……っ」
「我が妹ながら馬鹿だなぁ」
半ば自分の発言のせいではあるはずなのに血涙を流す妹のショートヘアをくしゃくしゃと撫でながら、佑介は慈愛に満ちた声で慰めていた。
「とは言え、そうだな。妹が泣くのなんか見たくないし、お兄ちゃんがちょいと手助けをしてやるかな」
佑介はふふんと得意げに小鼻をうごめかす。
「そんなに言うなら勝負で証明すればいいんだよ。六花ちゃんと結城が勝てば、結城はすごい魔術師だ。逆に佐奈が勝てば結城はポンコツ。――公平だろ?」
「なに、お兄ちゃん。決闘すればいいの? それに乗じてこいつを殺せばいいの?」
「ヤンデレ化が進んでおるぞ、我が妹よ。あと校内の鍛錬場をそういう目的で借りると説教じゃ済まない。下手したらガチ退学だから。――そうじゃなくて、魔術師らしい勝負をしようぜ、って提案だ」
そう言って、佑介は指を一つ立てた。ここまで言うからには、何かちょうどいい話でも持っているのだろう。
「具体的になにで勝負するんだよ」
「魔獣討伐の手伝い、だよ。まぁ正確にはその前段階の捜査だな。いま二年生にプロから手伝いの依頼が来ててさ」
「……なるほど」
捜査への参加自体はよくある話だ。現場を体験させることで学生の意識と質を向上させようとする側面もあるし、プロからすれば人件費を多少なりとも削減できる。双方メリットがある為、昔からこの手の話は見聞きする。
――佑介の話はこうだった。
この近辺で、魔獣と思われる何者かに首筋を傷つけられるという事件が発生していた。それは核を捕食するでもなく、ただ牙らしきものを突き刺した痕だけを残して姿は見せていないという。――その特徴から、『吸血鬼』という俗称がつけられる程度には被害が拡大していた。
吸血された人間は、前触れなく外部からエネルギーを奪われ昏睡状態に陥るという。およそ一週間程度で回復し首筋の痕も消えるが、エネルギーの簒奪が始まらない場合はいつまでも傷痕は残り続けており、いつ来るかも分からぬ昏睡の恐怖に怯える日々を強いられている。
この一連の事件に関して魔獣の痕跡ないし何らかの手がかりを見つけること。それが東霞高校の生徒に宛てられた依頼内容だった。
佑介からの情報をしっかり飲み込んだ上で、上崎には一つの疑問が浮かんでいた。その答えまで察しはついているが、だからこそ気が滅入る。思わず問いかける声のトーンが下がってしまうのは仕方のないことだろう。
「……なぁ。これ報道されてないような気がするんだけど。まさか、そういうことか?」
「そう、これ規制がかかってるんだよ。――似てるからな。吸血行為なんて、あのカテゴリー5にさ」
佑介の想定通りの返答に上崎は天を仰いだ。
カテゴリー5。いまだにただの一体たりとも討伐の敵わない絶望の象徴。それが絡んでいるかもしれないという、ただそれだけでどっと汗が噴き出すような感覚があった。
「真祖/ブラッドか……」
「そう。吸血行為によって人間を吸血鬼へと変えて、眷属を増やし、そいつらからエネルギーを搾取することで自身は常に膨大なエネルギーを確保する。それがブラッドだ。――まぁ今回は吸血鬼化はしてない上に昏睡状態になっても一週間で魔獣とのリンクが切れるっていう話だから、本当に関わってるか議論の余地はあるだろうけど」
「魔獣の攻撃とか能力なら、固有のエネルギーの残滓があるだろ。オルタアーツで解析すれば辿れるはずだけど」
「ブラッド本体じゃなく、眷属によるものなら別なんだよ。眷属は眷属固有のエネルギー波形になるから、ブラッドと違うことは分かっても、本当に無関係かが分からない」
「だから可能性を否定しきれない、ってことか。……で、そんな危険なものの一端に学生を起用するのかよ?」
「逆だよ、逆。そもそも今回の事案がブラッドそのものなのかも分かっちゃいないけど、もしブラッドならっていう対策を取る以上、人手が足りなくなるからだろ」
そういうことか、と上崎は小さく呟く。
今回はそもそもブラッドが関わっているかどうかという議論はあるものの、仮に件のカテゴリー5だったとしたらこれは貴重な情報を蓄積するチャンスだ。情報さえ揃えられれば、初のカテゴリー5討伐の可能性だって見えるかもしれない。
だからこそ、万が一の本命に備えて些細な情報でも徹底して集めたいというのが魔術師の所属する防衛省の総意なのだろう。そしてその為に人手が必要となったから学生が駆り出される、という流れだ。
「今回は別に討伐に直接関わるわけじゃないから、カテゴリー5関連という触れ込みの割には危険度自体も高くならない。本格的に依頼を受領するわけでもないしな。――だから、何か一つこの事件に関して手がかりを見つけられた方が勝ち。そういうゲームでどうよ?」
もともとこれが佑介の提案する勝負の話であったことを思い出した上崎は、しかしカテゴリー5という対象に内心臆していた。即答でうなずくことはできない。
しかしその恐ろしさを知らないのか、あるいは佑介の言葉を鵜呑みにしたのか、彼の提案に一年生女子二人は手を打った。
「カテゴリー5だって大丈夫です。それで先輩のすごさを証明できるのなら!」
「最高じゃない! あたしが勝てば二度と上崎は六花に近づかない! 町も平和になる! 一石二鳥!」
そういう条件付けはなかった気がするけど、という上崎の指摘は黙殺された。はぁ、と疲れたようにため息をつくしかない。
だが、決闘のような形よりはよほど平和的な解決なのも事実だ。カテゴリー5に関わるかもしれないがそれもあくまで可能性の話でしかなく、一応年上の上崎と佑介もついているから、本当に危ない橋なら渡る前に止められるだろう。
――何より。
「……お前、分かっててこのやり方にしたな?」
「何のことだろうな」
とぼけてみせる佑介の様子に、上崎は確信した。
こうやって何でもないようなことに見せかけて、彼は上崎のことを気にかけてくれる。照れ隠しなのか笑いや祭りごとの中にごまかすように、彼はそういう優しさを潜ませる。その点には、やはり上崎も感謝するしかない。
だから仕方なく、上崎も腹をくくる。
「しょうがねぇな……」