第二章 縁 -13-
なんか騒がしいなと、そう思った時点で裏門から下校する選択肢を考えるべきであった。今さらながらに上崎結城は後悔する。
昇降口とロータリーを抜けたとき、正門の前になぜか人だかりが出来ていたのが見えた。――いや、なぜか、なんて言葉を濁す必要はどこにもない。
その中央はまるでドーナツの穴のようにぽっかりと開いている。そこに近づくことがはばかられるほど、その中心にあまりに眩い令嬢が佇んでいるからだ。
真っ白い、この東霞高校のものとは違う制服に身を包んだ少女だった。
キャラメル色の髪が風になびく。それを少し抑えるように梳かしながら耳にかけるその姿は、さながら一枚の絵画であった。
そんな彼女が学校銘板にもたれかかっているその様子は、まるで思い人との逢瀬の待ち合わせのようで、その待ち人の正体を求めて誰も彼もが遠巻きにその様子を眺めているのである。
「……今なら間に合う。裏へ回る」
風に漂う蜂蜜みたいな甘いにおいにびしびしと嫌な予感を感じた上崎は、その人だかりに紛れるような形でそっと踵を返す――が、その判断は数瞬遅かった。
「あ、ダーリン!」
絶対に広めてはいけなかった呼び方に周囲がどよめく。ぱぁと顔をほころばせていることが背中越しでも伝わるようなその明るい声音は、二人の間に親密な関係があることを周囲に悟らせるには十分すぎる。そこにどんな尾ひれがつくかまでは考えたくもない。
「…………何してんだよ」
もう森羅万象全てに諦観を込めて、上崎は臓腑も魂も吐き出すような長く重いため息をついた。そのまま、駆けよってくるレーネ・リーゼフェルトに死んだ魚のような目を向ける。
「なにって、ダーリンを待ってたんだよ?」
「そんな約束してないだろ……」
いぶかしむような上崎の言葉に「サプライズだよ?」とレーネは笑う。
「デート、しよ?」
その爆弾発言に周囲がいっそうざわめく。ちょっとした悪戯心なのか本気で外堀を埋めに来ているのか判断に迷ってしまう辺りが洒落にならない。
頭痛がし始めた上崎はそのまま頭を抱えて、心底からのため息交じりに怨言を漏らす。
「……そもそも俺が一人で帰る前提で声かけるなよ」
「でも一人だよね。リッカは今日の親善試合の結果に奮起して一人で自主練、いつものアリサちゃんとの交流会も今日はお昼の試合が業務の代わりっていうことで免除。つまりダーリンは暇なはずだけど」
「まず俺の交友関係をその二人に絞るな」
「あとはユースケとかサナだけど。色々あってお昼ご飯をおごらなきゃいけない日々だって聞いたし、友達と帰って寄り道したくてもお金がない、ってなれば声もかけないで一人で帰るのがダーリンかなって」
素晴らしい観察眼と推理力に上崎はまた嘆息を漏らす。オルタアーツもさることながら頭脳も明晰である、まさしく才色兼備のレーネ・リーゼフェルトだ。その才覚を遺憾なく発揮してまでこうして上崎を待ち伏せていたという事実が、既に不穏であった。
「……拒否権は」
「あると思ってたの?」
傍若無人な言葉とは裏腹に子供みたく無邪気な笑顔で、レーネは上崎の手を取って早足で歩き出した。四年前と少しも変わらないその距離感に、思わず上崎の方が面食らってしまう。
「お前な……」
「なに、手を握ったくらいで照れてるの? ダーリンかわいい」
「うるせ。分かってるなら放せよ」
「ヤだよー」
ことさら楽しげに、彼女は上崎の手を引いて街を歩く。いくら四年前に滞在していたと言えども、ほとんどは育成プログラムのためのカリキュラムに費やされていた。向かう場所もその道も分かっていないだろうに、彼女にためらいはなかった。
「そもそもどこに行く気なんだよ」
「さぁ。歩けば見つかるよ」
適当な調子で、迷うことなく彼女は歩いていく。
そんな彼女の様子が上崎の記憶の底を甘く刺激して、もうとっくに忘れかけていたはずの思い出の中の彼女の姿が重なった。
あぁ、だからか――と心の中で小さく呟いて、上崎は半ば諦めたように納得して、レーネの後ろをついて歩くのだった。




