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2/2 -落第魔術師が神殺しの魔剣になった件-  作者: 九条智樹
#2 リバース・デスパレート

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第二章 縁 -10-


 一陣の風に煽られるように砂塵が舞う。

 舗装も何もない大地を踏み締めてぐるりと辺りを見渡すが、しかし三六〇度景色が変わることはない。まるですり鉢の底にいるように、高い壁に全てを囲まれているのだ。

 その高い壁の奥はほとんど見えないが、長ベンチが無数に設置されていて、このすり鉢の底をどこからでも見下ろせるように出来ていることは知っている。――端的に言えば、コロッセオによく似た形状のスタジアムだ。


 本来の順位戦であれば、すり鉢の胴の部分いっぱいに観客が敷き詰められているのだが、いまは授業中の親善試合、殺風景なものだった。

 授業の受け持ちがないのか物見遊山で腕を組んだ教師が何名かと、あとは主賓と思しき蜂蜜色の頭がかすかに見えるくらい。その彼女を挟んでいるのは、どこか見覚えのある短髪の男子とショートヘアの女子の引率らしき二人組だった。上崎のオルタアーツに対してもある程度の事情を把握しているから、解説役として任命されたのだろうか。


「観客のことばかり気にしてる場合じゃないでしょ、ダーリン」


 そんな上崎の耳に、くすりと笑う声が届く。

 振り返れば、辺りを舞う砂埃さえひれ伏すような美貌をした、キャラメル色の髪の少女が佇んでいる。


()()()


 ざり、と。

 靴底が砂粒を砕く。ただその音一つに、ぞくりと背筋が震えた。


「待たせてしまったかな」


 夜の帳が降りる。まだ南の空で陽は高く輝いているというのに、それほどに異質な錯覚があった。いっそおぞましいまでの圧力が、石のすり鉢の底を重く重く満たしていく。

 敵意や殺意はおろか害意さえもそこにはない。ただひたすらに、彼我の力の差がことごとく五感を押し潰しているのだ。

 張り詰めたピアノ線のように鋭利な空気は、息をするにも痛みがあった。


「……大丈夫です、先輩。どんな相手だって二人なら」


 そんな上崎の怯えを見透かして、寄り添って、けれどなお、決して甘えることは許さずに。誰よりも上崎を慕う後輩は真っ直ぐな声音と共に、そっと彼の手を包み込む。


「……あぁ。分かってるよ」


 ただの親善試合で、勝ち負けに意味はない。どれほど足掻いたところで決して届かないほどに隔絶した力の差まである。それを正しく理解した上で、それでもなお、賢しらな諦観を上崎は捨て去った。

 ――彼女の手に応えることだけが、才能も未来も全て失った出来損ないの上崎結城が、今なお魔術師であり続けるたった一つの理由だから。


「――では、僭越ながらここからは私が審判を務めます」


 土気色の世界の中を白浜の声が静かに渡る。見れば、壁際でマイク片手に佇んでいる見覚えのある、いっそ学生にしか見えない教員が一人。


「ルールは基本ギブアップ制とします。制限時間は十五分。試合続行の可否は適宜私が判断し、ギブアップのコールがない場合でも私の裁量で試合を終了します。編纂結界の展開は審判の私が行いますが、直接的、間接的を問わず編纂結界への意図的な攻撃は反則とします。また、核への攻撃をはじめとした消滅(さつがい)、または過剰な損傷を狙った攻撃も同様に反則となります」


「えぇ、構いません」


「了解です」


 オリヴェルと上崎が各々頷き、同意を示す。

 延長やポイント制といった判定はない。勝敗を明確につけることは念頭になく、互いの手の内を見せ合うことを目的とした試合だ。編纂結界への配慮を強く強調したのは、担任として上崎のことを気づかってくれたからか。

 その優しさに心の中で礼を言って、上崎は一度、肺の奥深くにまで息を吸い込んだ。肌を突き刺すほどの緊張感が胸の内を満たし、馴染むようにじわりじわりと指の先、髪の毛の一本に至るまで浸透していく。


「結界の展開と同時にオルタアーツは使用可、ただし試合開始は電子ホイッスルの音とします。――準備はいいですね?」


 白浜の確認と同時、観客席と地面のステージを隔てるように、白藍色の結界が展開される。観客のざわめきはおろか、地面をさらう風の音さえもうこの薄い壁に阻まれ届かない。

 ひと呼吸を置いて、上崎結城は己のオルタアーツを発動した。

 その総身が光に包まれ、まるで編み物が解けるように形を失っていく。やがて空中でそれらはもう一度寄り集まり、全く新たな形を生み出していった。

 そこに現れたのは、周囲のかすかな光の一片さえ拒絶する、闇よりもなお暗い漆黒の剣だった。黒曜石にも似たその片刃の剣が、重々しい金属音を響かせて砂の地面へと突き刺さる。

 それが上崎のオルタアーツだった。

 本来であれば魂の一部分のみを再形成し武具とするジェネレートにおいて、意識や声を除いたその九分九厘を全て集約し、変換して生み出された剣だ。その重量だけでも四〇キロ以上。

 そんなおよそ刀剣とはかけ離れた武器を、水凪六花は軽々と抜き払った。


「――絶対に、勝ちますから」


 何に誓うでもない、そんな少女の呟きがあった。それを、亡霊のように意識だけの身体になった上崎は俯瞰で見つめることしか出来ない。


「……なるほど」


 そんな二人の、あまりにも歪な関係を前にして。

 なおも、オリヴェル・リーゼフェルトは表情一つ動かさなかった。ただただ貼り付けたような、紳士然とした笑み。それがいっそ不気味に見えた。


「本来なら武具生成術式(ジェネレート)身体強化術式フィジカルエンチャントで二分するリソースを、全て一つに割り振った訳か。常人の発想ではないね。――だからこそ、カテゴリー5にも届いたということかな」


 誰が見たって嘲笑か憐憫しか受けたことのない上崎のオルタアーツに対し、どこまでも冷静に、どこか感嘆すら込めてオリヴェルはそう呟く。その声音には一切の弛緩がない。


「レーネはしばらく下がっていてくれるかな。――少し、試したい」


「いいけど。やり過ぎちゃ駄目だよ」


 まるで新品のおもちゃを買い与えられた子供のような、無邪気な声音だった。オリヴェル・リーゼフェルトのそんな言葉に、レーネの方が珍しくため息をこぼしている。彼女はあっさりと背をひるがえし、結界の壁際まで後退した。本当に参戦する気はないようだった。

 それを確認し、オリヴェルは満足そうにうなずいてから黒剣を握る六花と対峙する。


「――さて、私も披露しておこう。これが、リーゼフェルトの魔術だ」


 虚空に手をかざす。瞬間、降り注ぐ陽光を撚り合わせていくかのように、その魂に由来するたった一つの武具を形作っていく。

 それは、槍だった。

 枝物ではなく薙刀に近い。芸術的なほどに輝かしい短剣をその穂先にたたえた、白銀の槍。二メートル近いその長物をくるりと回し、一分の隙もなく構えてみせる。

 いっそ美しいとさえ思った。そこに油断など微塵も存在しない。カテゴリー5すら屠った魔術師を相手に、その全霊をもって応えようとしている。


 言葉はなかった。

 ただ無言のまま、一合に全てを賭した二人の眼光が交差し続ける。

 静謐と緊迫感だけが、無機質な立方体の中をひたひたと満たしていく。

 満ちて、満ちて、溢れる、その刹那。


 静寂をブザーが破る。


 地面を蹴るとほぼ同時に、五メートル以上はあった互いの距離は消失した。

 身体強化だけに全てを注ぎ込んだ六花の最速の剣閃と、オリヴェル・リーゼフェルトの槍撃が真正面から衝突した。空気はおろか空間さえ爆ぜたかのような、途方もない衝撃が上崎の全身を射貫く。

 弾かれ合い、また二人の間に距離が生まれる。――だが、それは致命的なほどに六花にとって不利だった。

 一メートルほどしかない上崎の剣に対し、オリヴェルの槍は二メートル。その間合いの差は絶望的だ。ざりざりと靴底をすり減らしながら僅かでも遠ざかるまいとする六花に対し、たった一ステップで衝撃を殺したオリヴェルの追撃が間合いの外から迫る。

 刺突と剣閃を織り交ぜた、舞いを思わせる槍術。間断なく繰り出される数多の攻撃を前に、六花は防戦一方を強いられる。鍔の近くでどうにかいなすので手一杯。反撃に出るどころか、物打ちを振るうことさえ許されない。


「――っ」


 苦悶の表情を浮かべる六花に対し、オリヴェルはどこまでも涼しい顔だ。まだ何も能力らしい能力を使ってなどいないのに、これほどに圧倒されている。

 これが、オリヴェル・リーゼフェルト。

 英国最優の魔術師の名家、リーゼフェルト家の次期当主。

 その名に決して恥じることのない、紛う事なき最高峰の実力だ。ただの一度、奇跡と偶然に助けられてカテゴリー5に届いてしまっただけの上崎や六花とは、もはや格が違う。


 ――上崎結城のオルタアーツが持つ能力は『吸収』『貯蔵』『増幅』『性質反転』『放出』の五つだ。 通常、ジェネレートに付与できる能力はせいぜいが一つか二つ。それも原理も性質もまるきり違うものとなれば、それがどれほど異質か。その証明が、先のカテゴリー5:災厄/ディザスターの討伐だ。

 上崎の剣は相手の放った攻撃を吸収、増幅し、その対象が最も苦手とする性質へと変換させて解き放つ。このプロセスをもって、上崎結城は神殺しの魔剣へと昇華する。理論上、どれほど相手が強大であろうと、それを上回り続けるのだから上崎結城に討てない魔獣は存在しない。


 だが、その上崎にも欠点がある。その一つが物理攻撃だ。

 上崎結城が神殺したりうるために必要な初歩。吸収するものが何もなければ、それは無駄に重量のあるだけで、十把一絡げに出来るようなただの黒い剣でしかない。

 そして、それが今の状況だ。

 その能力を発揮できない以上、いまオリヴェルと六花の間にある差に、上崎結城は何一つ関与できない。――こうして六花が押されている現況は、そのまま、彼女が役者不足であったという証左でしかない。


「――この程度か?」


 歯噛みを続ける六花に対し、オリヴェルの声が降る。それは決して嘲りではなかった。その声音には、ただ落胆と憐憫があった。――だからこそ、その言葉は彼女の逆鱗に触れたのだ。


『待て、六花……っ』


 俯瞰する上崎の制止など無視した。六花はオリヴェルの刺突に対し、防ぐこともいなすこともせず、その間合いを縮めることだけに費やした。

 どこまでも鋭利なその槍撃を首のねじり一つで躱す。当然避けきれるはずもなく、その穂先が彼女の白磁のような頬を深く切りつけていた。

 赤い、赤い、血の珠が宙を舞う。

 だがその滴が地面に落ちるよりも、遙かに早く。

 六花の剣閃が、オリヴェル・リーゼフェルトの胸に届く。


「――ッ」


 とっさにオリヴェルは槍を引き、そのまま後退しながら六花の一閃を躱す。ボタンを留める糸の繊維だけが僅かに裂かれ、その軌跡に漂う。槍の間合いよりも遠くまで退いたその顔には、驚愕だけがあった。


「この程度ですか?」


 ぬちゃりと、頬の血を拭いながら六花は意趣返しとばかりに笑う。

 その姿に上崎は背筋に冷たい物が走るのを感じた。その戦い方は、あまりにも危うい。はじめから薄氷の勝利を望むかのような、そんな無謀の上に彼女は立っている。


「……これは確かに、恐ろしいね」


 カテゴリー5を討伐したという肩書きを除いてしまえば、六花も上崎もオリヴェルよりも遙かに格下だ。それにもかかわらず、彼は素直にそう呟いた。


「相打ち覚悟で来るとはね」


「死にたがりではないですよ。今のひと突きだけなら防ぐに値しないと判断しただけです。実際、頬が裂けた程度で済んでますし」


 他のどの刺突であってもこうはならなかったと、六花はどこまでも冷静に、あるいは冷徹に、オリヴェルの槍撃を見切っていた。

 確かに、挑発のために意識を割いたかすかな弛緩があったのかもしれない。だが仮にそうだとしても、そこにあった隙はあまりにも微少だ。とても身を委ね、反撃に転じるような類いのものではない。

 そんなこと、彼女自身が一番分かっているだろうに。


「さぁ、続けましょう。――私のせいで先輩まで軽く見られることは、我慢なりませんから」


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