第二章 縁 -9-
――上崎たちの通う東霞高校には、毎年夏季に開催される名物とも呼ぶべきとあるイベントがある。
それが、校内順位戦だ。
全校生徒が男女別、男女混合のシングル/ダブルスに団体戦を加えた合計七種目のいずれかにエントリーし、学年の垣根なくトーナメント形式でその雌雄を決する。一般市民にオルタアーツへ親しみを持ってもらうという名目もあり、大々的に中継・報道される一大行事でもある。決勝戦ともなればチケットは争奪戦、抽選の倍率は凄まじく、一般販売分などものの数秒で完売する。
必然、そのためだけに東霞高校には専用のスタジアムが併設されている。アイドルや歌手のライブ会場や地元の成人式に利用されることもあるが、基本的にはその校内順位戦以外で使用されることのない、箱の大きさに対して寂しい施設だ。
そんな東霞高校のスタジアム。
その控え室の一角に、重々しいため息が沈み込む。
「…………絶対に悪意がある」
ぶつくさと文句を言いながら、青いベンチに腰かけ靴紐をきつく結び直す上崎。昼休みの終わりを告げる予鈴が、狭い控え室の中でうるさいくらいに木霊する。
冬城アリサから『上崎結城が魔術師として戦う姿を見てみたい』と学校側へ依頼があったのが、金曜日の朝のことだったらしい。
その知らせを受け、休日返上サービス残業上等で適当な生徒を捕まえて模擬戦をセッティングしようとしていた白浜に接触したのが、オリヴェル・リーゼフェルトであった。せっかくの機会だからカテゴリー5を討伐したという実力をこの目で見たい、とかなんとか。それが土曜日のことで、そのままスタジアム利用に関する書類関係の下準備は日曜日に終えられていた。
そうして当人の与り知らぬところで、月曜日午後の授業を公欠扱いにしてまでリーゼフェルト兄妹との『親善試合』の開催が決定されたのである。
「そもそもなんで当日まで俺に確認の連絡も寄こさないんだ、あの先生……」
「それは、先輩には連絡しても無駄だと烙印を押されてしまっただけでは……?」
横の六花に言われ、心当たりしかなかった上崎は「うぐ」と言葉を詰まらせた。それを引き合いに出されてしまった時点で、上崎には愚痴を言う権利がないのである。白浜からの失った信用を取り戻せるのはまだまだ先のようだった。
「――で、だ」
「はい?」
仕切り直し、また別の意味で呆れたため息をつく上崎に対し、六花は可愛らしく小首をかしげている。上崎の言わんとしていることが分からないわけでもあるまいに。
「なんでお前がいるんだよ」
「その言い草はひどいと思います。撤回を求めます。――先輩と一緒に戦うんですから、一緒にいるのは当然だと思います」
言葉の足りない上崎にぷんすか怒る六花であったが、問題はそこではない。
「ここ控え室とはいえ、更衣室でもあるんだぞ。普通は男女別だろ。恥じらいとか持てよ、女の子だろ……」
「部屋自体は男女で区分されてはないので自由だと思いますよ。それに、着替えるわけでもありませんし」
そうまっすぐ答える六花の服装は、変わらず制服のままだ。――元よりプロの魔術師の制服とて、機能もデザインも特殊なものではない。魔獣相手には多少の強靱さでは誤差の範囲でしかない上に、物々しい姿を市民が見てしまうと、そこから来る恐怖や畏怖が魔獣の発生や出没に寄与してしまう恐れすらあるからだ。
その為、授業以外の場でもそれに倣い、制服で戦うことが基本となる。実際、中継される校内順位戦も制服の参加だ。準備に着替えなど要らないのだから、という六花の言い分も分からなくはない。
「先輩が過剰反応しすぎなんですよ」
「俺の感覚がおかしいのか……?」
乙女心への理解が乏しくどこが境界線なのかも分からない上崎は、もはや問答は諦めることにした。下手に続けて余計なことを言ってしまう可能性の方が恐かった。ラインが分からないということは、いつ地雷を踏み抜くかも定かではないのである。
そんな益体のないことばかりを話しながら、壁に掛けられた時計を上崎は見やる。じきに試合開始の時間だ。
緊張は、あまりない。六花とのこうした何気ない、いつもどおりの会話のおかげか。
「まぁいいけど。――それより、準備はいいのか」
「はい、万端です」
六花の真っ直ぐな言葉にうなずいて、上崎は重い腰を上げた。
いまの心境を吐露すれば、気が進まないというのが率直なところだった。
リーゼフェルト兄妹をはじめ、社会全体が上崎と六花に幻想を抱いている。しかしどれほどあがめ奉られたところで、上崎結城のオルタアーツは未来永劫呪われたままだ。人の姿さえ忘却した妄執の成れの果て。それが全て。
だからこんなものは親善試合になることさえない。ただの負け戦の、消化試合だ。
「……俺のオルタアーツは歪で、醜くて。――そのうえ、傷つくのはいつだって俺以外だ」
「はい、知っています」
上崎の独白に答える六花の眼差しは、いつもとなんら変わらない。
憧憬と期待だけをたたえた、恒星のように眩い瞳。いつだってその熱量に焼け焦げそうになりながら、それでも、その光がなくてはもう自分の魂は生きてもいけなかったのだと、あの日、何もかも手遅れになってから上崎はようやく気づかされて。
だから、その矛盾を飲み込むように、固く拳を握り締める。
そんな上崎の心をきっと上崎自身よりも深く理解していながら、水凪六花は、それでも。
「……それでも私は、先輩と一緒に戦いたいと思います。傷つく『先輩以外』が私ひとりであってほしいと、そう思います」
だから、と彼女は言う。
あるいはその言葉もまた、歪んだ信頼でしかないのだと、気づくこともなく。
「先輩は最高の魔術師なんだって、私が、この手で証明してみせますから」
*
ロッカーが三つとベンチが一つ。広さは個室のティールームほどだろうか。五人程度が入ればいっぱいになるだろう。壁には窓の対面に一枚だけ鏡があって、あとはキャスター付きのホワイトボードだけがぽつんとある。
そんなロッカールームに通されたオリヴェル・リーゼフェルトは、光のような金髪をさっと掻き上げ、長く息を吐いた。
「緊張してるの、ノル?」
その様子を横で見ながら、妹であるレーネがほほえみかけている。
「それはそうさ。あのディザスターを屠った魔術師が相手なんだ。親善試合と言えども、生半可な覚悟ではいられない」
「ノルだって十分強いと思うけどね。――うちの学校の制服が白いのって、汚れが目立つからでしょ。白ければ白いほど、土一つつけられずに勝ち続けている証になる。ノルのその白い制服はほとんど伝説みたいなものだよ。わたしでさえ膝を突かされることはあるのに、それもないって言うんだから」
「こんな白さはなんの自慢にもならないよ」
それは謙遜ではなく、心からのオリヴェルの言葉だった。
オリヴェル・リーゼフェルトは確かに成績だけは優秀だった。だがそんなものが役に立たないことを彼は嫌と言うほど知っている。
「けど、ノルも無茶をするよね。いくらアリサちゃんの要望があったからって、それに乗っかって無理矢理に親善試合をねじ込むなんてさ」
「カテゴリー5を討伐した世界で唯一の魔術師のその実力を間近で見られる機会なんて、願ったってそうあるものじゃない。そんな稀少な機会を得るのに、なりふりなんて構っていられないだろう」
そう当たり障りなく答えるオリヴェルだが、自分でもその行為がどれほど珍しく、無理を通したかも自覚している。奔放なレーネならともかく、品行方正の代名詞とさえ言われるほどのオリヴェルがこんな風なわがままを口にしたことなど、祖国でだって一度もない。
それほどに、彼はこの機会を渇望していたのだ。
その力を。
その根源を。
たとえ、どれほどに僅かな片鱗であったとしても。
「ただ知りたいんだ。――彼はいつだって、私には出来ないことを成し遂げてしまうからね」




