第二章 縁 -8-
せいぜいが赤本を並べた本棚と長机、ホワイトボード程度しか置かれていない殺風景な部屋に、窓ガラス越しの春の陽気が四角く降り注ぐ。
東霞高校の正式名称は降魔大学付属第二高等学校であるのだが、その名の通り基本的には魔術師/降魔官に就職するためにそのまま内部進学で大学へ進むのが基本だ。必然、生徒指導室の壁に敷き詰められた各大学の過去問は新品同様に手垢のつかないまま、ただただ日に焼けて背表紙だけがうっすら黄色く変色しているばかりだ。
そんな益体もない思考と共に背景を眺めながら、軋むパイプ椅子に各々腰かけた上崎と六花は、眼前の担任教師がぱらぱらと資料をめくり終えるのを待っていた。
臨死多発事件における上崎たちの報告書の確認だった。とはいえ、特筆して報告するようなことは何もない。まだ日も経っていないから、カウンセラーなどの話をベースに上崎たちの見解で色づけしただけの、冬城アリサの健康観察日誌のようなものだ。
ややあって、薄っぺらな紙束の最後の一枚をめくり終えた白浜は、その幼い顔立ちを渋く歪めていた。
「……なにかまずい部分でもありましたか?」
「それともあまりに内容がなさすぎるとかでしょうか……?」
上崎と一緒に六花も不安げな面持ちであったが、白浜は首を横に振った。
「内容としては現時点では十分だと思います。そもそも被害者が直接的に事件の中核にいない場合もあり得るんだから、『なにもなかった』は立派な一つの報告だよ」
ただ、と白浜は付け加え、じっと上崎の顔を見つめていた。
「……なんです?」
「上崎くんって、年下キラーだったりする?」
「本当になんの話なんですか……」
真面目くさった顔で何を言い出すんだと呆れるばかりの上崎に、白浜は「だって」と続ける。
「冬城さんと親しくなるの、早すぎない?」
「物で釣った感は否めないのでなんともですけれど」
「それにしても、だよ。やっぱり上崎くんに任せて正解だったね」
「先生の中で俺の評価どうなって――いえ、なんでもないです。言わないでください」
そもそも「年下」という冠詞がついた時点で前例があるだろうと暗に言われているわけで、横を見ろとばかりに顎で指し示された上崎はそこで思考を放棄した。察したところでいいことが一つもないこともあるのだ。
「まぁ年下に限った話じゃないよね。北条さんとかリーゼフェルトさんとか。年上にもきっちりと刺さっている様子だし」
「言わないでいいって言ってんのに続けないでくれませんかね……」
横から嫌疑の目を向ける後輩女子の視線の圧力に耐えかねて、上崎は疲れきったようにため息を漏らす。第一、彼女自身がキルされた側として数え上げられているのだが。
「まぁ、それはともかく。報告書は受領しました。あとで捜査本部にわたしのほうから提出しておきます。お疲れ様」
「ありがとうございます。一応、始業前にやることはこれで終わりですかね?」
「そうだけど、まだ時間余ってるしね。放課後でもいいかと思ってたけど、たぶん疲労でそれどころじゃなくなってるかもしれないし、先にブリーフィングでもしちゃいますか」
それどころじゃなくなる、というフレーズに心当たりのない上崎は首をかしげるが、白浜はそれに気づいた様子もない。がらごろとキャスター付きのホワイトボードを引っ張って、机越しの上崎たちに見えやすい位置へ移動させた。
「まずは冬城さんの検査結果の話だね。健康面に関してはプライバシーに関わるから伏せるけれど、特段上崎くんたちにも共有しなきゃいけないようなものはない、と思ってもらって差し支えないよ」
「健康以外の検査って、何かされたんですか?」
教室のように素直に挙手して質問する六花に、白浜はこくりと頷いた。
「そう。当然ながら、彼女は臨死多発事件に関わっている可能性が高いから、それなりに魔術的な検査をします。それが何かは上崎くんなら分かるかな」
「魂跡でしょう。魔獣やオルタアーツによる攻撃なら、その残滓――魂跡が必ず残る。だからそれを調べるのは捜査の初歩です」
魂跡とは、魔獣やオルタアーツの発動によって生じる固有の波形を持つエネルギーだ。その存在は通常なら観測できないが、特殊なオルタアーツを介することで解析することが出来る。一般に魔術師は、対象に残された魂跡を調べることで魔獣の特定を行うことになる。
実際、ひと月前に北条と捜査していた吸血鬼事件でもその魂跡を手がかりとして扱っていた。ただ、そのときは魔獣の魂跡に隠されて北条の暗躍に気づけなかったのだが。
「上崎くんの言うとおり。そして、冬城さんの身体からはなんの魂跡も検出されなかった」
きゅきゅっとホワイトボードにペンを走らせ、白浜は情報を整理していく。
「……あの、それじゃあつまり、臨死多発事件には魔獣もオルタアーツに関わっていない、ってことになりませんか?」
「ところがそうはならないんだよ。魂跡が残るには条件があるからね。はい、上崎くん」
「……その能力の直接の対象となること。この場合、何かの能力で臨死を引き起こすのであれば、アリサ個人を指定して能力の発動が行われていなきゃいけない」
「正解です。優秀な生徒を持って先生は嬉しい」
本当に嬉々として言いながら、白浜は上崎の回答をホワイトボードに書き加えていく。
冬城アリサに魂跡が何も残っていないということは、逆説的に、絡んでいる魔獣もしくはオルタアーツは、個人に作用するものではないことを意味している。
「明らかに魔獣やオルタアーツの手による事象にもかかわらず、魂跡が残らない。その原因はなんだと思う? ちなみに、魂跡を隠蔽するっていうのはなしね」
「……そうなると、副次的な効果、でしょうか。たとえば、温度を操作するような能力があったら、それで対象を直接凍えさせれば魂跡が残る。けれど、その能力で作った氷で傷つければ魂跡は残らない、とか」
「おぉ、大正解。さすがは水凪さん。二人揃って優等生だね」
その六花の回答も白浜は賛美と共にホワイトボードに書き足していく。
「今回の臨死多発事件も、その副次的な効果だってことですか」
「そうだね。他の臨死者も同じく魂跡はなかったし、カウンセリングの様子や臨死時の様子を聞く限りでも、やはり魔獣による直接的な接触はないと判断されました。それは今日もらった上崎くんたちの報告書でも裏付けされた事実です」
だとすれば、やはり少々面倒なことになっている。そう気づき、上崎はため息を漏らした。その様子に気づいた六花が、どこか不安げな面持ちで顔を覗きこむ。
「先輩、どうされたんですか」
「直接魂跡が残されてないときは、大抵、その対象となったものそのものを探すんだ。さっきの温度の例でいえば、氷の原料になった水だな」
作られた氷そのものでもいいし、あるいは、それの元となった水が貯められていたプールや湖でもいい。そういった直接的な干渉があったものを特定できれば、魂跡は解析できる。
だが、しかし。
「今回の臨死多発事件の場合、個人を特定した能力じゃないなら、その対象はなんだと思う?」
「えっと…………あれ、なんでしょう……?」
少し考えこんだ六花だったが、ぱっと思い付く答えはなかった。そして、それは当然だ。
「それでいいんだよ。この場合、そんなものはない、が正解だ」
上崎の言った答えに頷き、白浜がホワイトボードに書き加えていく。
「これまでの結果から、今回の臨死多発事件の場合は、おそらく『世界』っていう広い枠組みに作用する能力と推測されます。そうなると魂跡を辿ることは出来ないんだよね」
現実的な物質に作用する能力であるなら、魂跡の解析は可能だ。だが、世界や物理法則といった概念に作用するような能力である場合、魂跡はどこにも残らない。魂跡はあくまでエネルギーの残滓だ。物質に付着しているからその残滓を調べることが出来るのであって、どこにも付着しないで漂っている限りは、今の技術ではどんなに手を尽くそうと干渉すら出来ない。
だから、上崎はついため息を漏らしたのだ。
魂跡が辿れないということは、捜査が難航するフラグだ。そしてそれはそのまま、アリサが現世へ戻ることにさえ時間を要するということに他ならない。
現実で昏睡状態が長く続けば、当然、そこにリスクが生じる。数日であればまだいいが、一週間、あるいはひと月と臨死状態が延びるにつれて、現世の肉体はどうしたって衰弱していく。
アリサのことを思えばこの現状はかんばしくない。だが、いまの上崎には何も出来ることがない。その歯がゆさがいら立ちとなり、嘆息となって漏れ出たのだ。
「かなり厄介な状況、っていうことですね」
「そうだね。冬城さんの身もそうだし、臨死そのものの危険性もある。どっちも看過できないのに解決の糸口がないから苦しいところだよね」
白浜はそう言いながら、「でもね」と続けた。
「直接作用しない能力は、得てしてその効果が薄い傾向にあるの。とくに世界の法則を歪めているような今回の場合は、維持するだけでも相当なエネルギーを消費しているはず」
「……つまり?」
「臨死は多発しているけれど、それはあくまで『本来より臨死に陥るハードルが低い』っていうだけだと考えるべきってこと。実際、一週間で臨死者の発生が一〇件っていうと数字は多いけれど、その程度しかないっていう見方も出来るよね」
白浜の言うとおり、現状は無作為に手当たり次第に現世の魂を展開へと引き込んでいるわけではない。あくまで本来なら臨死になるはずのない軽傷者や心理的負荷の少ない者も、こうして天界へ引き寄せられてしまっているだけだと、そう見るべきなのだろう。
「だから、彼女のことを心配するなら、やることは変わらないね?」
「…………善処しますよ」
彼女が何かを抱えてこの天界に迷い込んだのであれば、それを少しでも和らげる。その手伝いだけであろうとも、現状の打破に直結しているのだ。だから、上崎のやることは何も変わることなく、彼女の傍に寄りそうことだけだと、そう言われていた。
「さて、私はそろそろ始業の準備しないとかな。上崎くんも、今日も色々あって大変だとは思うけど、授業も疎かにはしないでね」
「……色々、ですか……?」
先ほどから薄々と感じていた、認識の齟齬のようなものに上崎は眉をひそめた。たしかに留学生のおもてなしやアリサの世話など、平時よりはやることが多いのは確かだが、授業に影響が出るほど消耗するものではない。にもかかわらず出てくる気遣いの言葉に、そこはかとない嫌な予感がふつふつと上崎の延髄辺りで泡立っている。
「あれ、アリサちゃんから聞いてない? てっきり先に相談があったものだとばかり思ってたんだけど」
「……なんの話ですか」
上崎は口元が引きつるのを自覚しながら、それでも問わずにはいられなかった。そんな上崎の心境など彼女なら見透かしているであろうに、それでもどこか笑みを浮かべて、白浜はこう告げた。
「親善試合だよ。上崎くんたちと、リーゼフェルト兄妹でね」




