第二章 縁 -7-
耳慣れないアラームに叩かれて、重い瞼を押し上げる。
飛び込んでくる白い天井には見覚えがなく、一瞬心臓が縮む。一気に覚醒し布団をはね除けるようにして起き上がったところで、ようやく脳が現状を把握した。
何を慌ててるんだか、と自嘲気味に笑いながら、乱れた金色の髪を手ぐしで整えながら彼女――冬城アリサは一度深呼吸をした。
ここはホテルの一室だ。
たぶんビジネスホテルなんかとは違う、少し高級なホテルだ。ソファやテレビなど備え付けのものはどれもシンプルだが、それでも立派なものであることは中学生にだって分かる。風呂場もトイレ併設のユニットバスではなく、トイレや洗面所とは個別になっていて、洗い場と浴槽だって別々に用意されていた。
「……こんな生活、慣れないわよ」
思わずベッドの上で弱音に近い独り言を漏らしてしまうアリサ。どうせやることもないのだしこのまま二度寝でもしようかとも思ったが、とてもそんな気分にはなれず、仕方なくベッドから降りてスリッパに足を突っ込んだ。
自分は臨死という体験をしていて、ここは天界という場所らしい。詳しくは理解できていないが、ともあれしばらくはこうしてホテルで暮らしながら現世へ帰るのを待つことになる。
しばらくは検査の兼ね合いで病院に寝泊まりしていたので、こうして一人でホテルの部屋で目を覚ますのは初めての体験だった。現世での家族旅行や修学旅行でも一人部屋ということはまずなかった。見慣れない部屋で一人目を覚ますというのがこんなにも心臓に悪いのか、とアリサは朝から陰鬱な気分を味わっていた。
いつまでこんな生活が続くのだろう。
そんな思考が過ぎって、さらに気分が落ち込んでいくのを自覚した。だがそれでも自分の思考を自分でコントロールできるわけではない。
帰りたい。――帰りたくない。
家族に会いたい。――あいつらには会いたくない
誰かの邪魔になりたくない。――もう一人でがんばりたくない。
あんな真似をするんじゃなかった。――あれのおかげで離れられた。
そんなぐちゃぐちゃの思考が延々と頭の中で渦を巻いていて、どうしようもなくなってしまう。鏡の前に立ってみれば随分と不細工な顔が映っていた。一瞬それを自分だと認めたくなくなるくらいの陰気さに満ちていて、思わずコップに注いだ水を鏡にぶっかけて像を掻き消してしまう。
「……何やってんだろ」
そんな行為に意味があるわけもない。水が滴れば、先ほどと同じ顔がそこにあるだけだ。
けれど、ふと、目に止まった。
今まで散々見てきたはずのその蜂蜜のような色に、自ずと焦点が合っていく。
「……髪、か」
鏡の前でその色を見ながら、毛先をくるくると弄ぶ。
こんな髪色にしたところで、誰もそれを褒めてくれたりなんかしなかった。また何かやっていると、そんな嘲笑にも似た下卑た笑みを向けられたくらいだ。
だから、似合っている、とそんな風に言われたのは初めてだった。
「まぁ、いい色よね」
目的はほとんど現実逃避ではあったけれど、動画サイトを見ながら買ってきたカラーリング剤でいい色になるようにあれこれと試行錯誤した結果だ。自覚はなかったが、自分でも気に入っていたのだろう。――一言褒められたくらいで、こんなにも浮き足立つくらいには。
「――……結城」
気づけば、その名を呼んでいた。
あの少し気怠げな少年の姿に、いったい自分で何を重ねているのか。それを明瞭な言葉に出来るだけの語彙が彼女にはない。
だがそれでも、彼の言葉は信じてもいいんじゃないかと、そう思えた。髪色一つ取っても、世辞ではなく、彼が本当にそう思ってくれているんじゃないかとそう思わせてくれた。
だから。
もっと知りたいと、そんな欲求が鎌首をもたげる。
彼の目は自分に似ていると思った。無様に抗い続けながらも、それでもどこかで自身の限界に打ちのめされて挫折した、そんな目だ。だから勝手に親近感を覚えて、彼の傍に居心地の良さを覚えはじめていた。
けれど、やはり彼は自分とは違う。
劣っている自分を自覚しながら、心の根はまだ折れたまま、それでもなお、世界で類を見ない偉業を成し遂げた。そんな魔術師が上崎結城という人間だ。
だから、憧憬の念を抱くのだ。
その姿に、自分がこんな世界に来てまで目を逸らし続けた答えがあると、そんな気がした。
「……よし」
小さく呟き、彼女はある決意を固めた。
そんなことを願い出たところで何が変わるでもないかもしれないが、あるいは、何かが好転することだってあるかもしれない。
いつまでも腐っているわけにはいかないと、冬城アリサは自分を叱咤するように両手で自分の頬を挟むように張った。
鏡に映る血色の悪い不細工な顔は、それで簡単に吹き飛んだ。




