第二章 縁 -5-
――それから約一時間。
「さぁ、次はどこにしようか」
「まだ見て回る気……?」
うんざりした様子のアリサの呟きは黙殺され、レーネは商業施設のフロアマップを見ながら顎に手を当てて考えこんでいる。――もはやこの時点で相当な量の服を買い込んだはずなのだが、貴族様の懐は底が見える気配さえなくいっそ恐怖が募っていく。
「もう適当にアクセサリーとかで終わりにしてよ……」
これ以上服ばかり揃えたところで着れないし、とアリサはレーネも待たず近くにあったアクセサリーショップへと足を踏み入れていた。さすがに初対面の相手にこれほど物を買い与えられると申し訳なさが立つのか、三〇〇円均一のいわゆるプチプライスの店だ。
「アリサちゃんなら○・五カラットまでのダイヤならオッケーなのに」
「見ず知らずの中学生の子供に買い与える額じゃないのよ……」
なぜか唇を尖らせるレーネを捨て置いて、アリサは壁や棚に並べられたアクセサリーを適当に眺めていた。
「手に取ったっていいんだぞ」
「そしたらあの貴族様が片っ端からカゴに突っ込んでいくから絶対に駄目」
この短い間に、アリサはレーネの行動を完全に把握していた。基本的に金銭感覚が壊れているのは、上崎もよく知る四年前から変わっていないらしい。
「……ねぇ、聞いてもいい?」
「何についてかが分からないからなんとも言えないけど、答えられる範囲でなら」
「結城って、六花とレーネのどっちと付き合ってるの?」
無邪気な中学生女子らしい質問に、上崎はげんなりとした。どちらの少女も飛びついてくるようなことはなかったのが幸いであるが、ちらりと横目でうかがう限り、どちらも器用に耳をピクピクと動かして耳をそばだてていることだけは分かる。
迂闊な回答は身を滅ぼすと理解して、上崎はため息交じりにいつもと変わらぬ返答をする。
「……別にどっちとも付き合ってないよ。レーネに関しては四年ぶりの再会だし、六花はパートナーとして信頼はしてるけど、そういうのじゃない」
「でも好意はあるんじゃないの?」
「好意と恋愛感情を結びつけるなよ、思春期」
「高校生だって思春期でしょ。――まぁ、下手に否定するとここのお代の請求が結城に行きそうだから仕方ないのは分かる」
「やめろよ、キープでヒモ活する最低な男のレッテル貼るの」
「違うの?」
「………………違う、はず」
「自分でも自信なくすのやめなさいよ……」
いっそアリサからさえ憐れまれてしまう始末であった。とはいえ現状を第三者が客観視した場合、言い逃れの余地がどこにもないように思えるのは事実で、上崎としても頭を抱えるほかなかった。
「……ねぇ。もう一個聞いてもいい?」
「俺の沽券に関わらない範囲でならな」
「もうそんなのないと思うけど。――朝にさ。病院のテレビでニュースを見たのよね」
さらりと上崎のプライドをへし折りながら、アリサはそんな風な前置きで話し始めた。
「今まで一体も討伐できなかったカテゴリー5? とかいう魔獣が倒されたっていう話題。あれを討伐した魔術師っていうのが、高校生の男女だって聞いたんだけど」
「……らしいな」
「なんでも一人は留年してるという噂があるとか」
「…………らしいな」
「六花は先輩って結城のこと呼ぶけど、学年が違うのに一緒に行動するのっておかしな話だなぁって思ってたんだけど」
「………………、」
もはや質問ではなくただの確認であった。上崎は黙秘権を行使するばかりで、否定することもままならない。それどころかアリサが上崎越しに六花の顔色をうかがっていて、それに気づいていない六花が満面の笑みで「そうです、先輩はすごい魔術師なんです」と声帯を使わず表情筋の全てを総動員して訴えかけているものだから、なんの黙秘にもなりはしない。
「もしかしてそのすごい魔術師が、って聞こうと思ったけど、やっぱいい。結城は答えたくなさそうだし、聞かなくても分かったし」
「まぁ俺の後ろで無言で答え合わせしてるのがいるからな……」
「結城がそういう魔術師なら、あんなブラックカード振りかざす貴族様と知り合いでもおかしくはないなって納得したかな。誰も討伐できなかったってことは、オリンピックの金メダルとかノーベル賞とか、そういうのと同じくらいすごい人なんだろうし」
中学生らしい『すごい人』のカテゴリーにほほえましさを感じながらも、上崎はどこか他人事のようにそんなアリサの評価を聞いていた。
やはり、まだどこかで現実として受け止め切れていないのだろう。
あの絶望の象徴は、紛れもなく災禍の権化であった。まともな編隊を組んだところで一蹴されて消滅する。そんな化け物を相手に、たった二人で挑みあまつさえ勝利を掴むなど、夢物語にしたって出来すぎている。あまりにも現実離れしすぎていて、どれだけ時間が経っても実感が湧く気配がなかった。
――だって。
――そもそもそんな才能を、上崎結城は奪われていたはずなのだから。
「結城?」
アリサからの呼びかけにはっとして、上崎は小さく頭を振って、過ぎった思考を掻き消そうとした。もう決して届かない過去の自らの才覚に、未だに眠る妬みが鎌首をもたげそうになっている。
「……結城って、すごい魔術師なのね」
「すごい魔術師は金に困って貴族のヒモ活なんてしないだろ」
「まぁそれはそうなんだけど」
否定が欲しかったのだがあっさりと肯定されて肩を落とす結城に、アリサはくすりと笑う。
「でも、なんか、結城には同じにおいみたいなのを感じてたから」
「……におい?」
「気にしないでいい。ただの感覚的な話だから。――まぁあたしとしては、そんな結城がすごい魔術師をやってるんだっていうことだけで、ちょっとだけ、心が軽くなったかも」
そのにおいというのが、具体的に何を指すかまでは上崎には分からなかった。ただそれでも、あの病室で上崎が四年前の自らの姿を重ねて見たことと、きっと根は同じくするものなのだろうことだけは分かる。
どこか通じ合うものがあって、傷をなめ合うように、ただ何も言わずに寄り添っている。
それが歪だと知りながら、踏みこむこともさらけ出すことも出来ず、怯えているのだ。
「俺の話はいいだろ。それより、さっさと買う物でも決めろよ」
「それもそうね。そろそろあたしの興味に関わらずレーネが片っ端からカゴに商品を突っ込みそうだし……」
ちらりと後ろを見やったアリサの視線を追うと、その先ではうずうずと何かを買い与えたくて仕方がない様子のレーネ・リーゼフェルトが小さな買い物カゴをぎゅっと握り締めていた。どうせこれくらいの値段なら、と全商品一つずつ買い込むという暴挙に出かねない勢いである。
「まぁでも、安いからって入ったけど、あたしメイクとかアクセサリーとかあんまり興味ないのよね。休みの日くらいしかつけれないけど、休みは休みで部活あるから、アクセもメイクも結局タイミングないし」
そう言いながらきょろきょろと壁一面の装飾品を眺めていたアリサであったが、それでも気になるものがあったか。
ふと、彼女の視線が一つのアクセサリーで止まっていた。
「なんだ、それがほしいのか?」
手に取ると買い与えられてしまうと怯えているアリサに代わり、上崎がそれに手を伸ばした。
それは、三日月とハートをかたどったトップのネックレスだった。
「レーネにおごられるのが気になるなら、金欠とは言え三〇〇円くらいなら俺が出そうか?」
「そういうのじゃないから。――ただ、向こうで持ってたのに似てただけ。親が御守にって握らせてたものだから、ちょっとだけ気になったの。傷だらけでメッキも剥げてたから、なんかいわれはあるんだろうなって思うけど、深くは知らないし。だから別にこれがほしいわけじゃない」
向こう、という言葉が此岸を指していることは鈍い上崎にだって分かった。そのアクセサリーの奥に彼女が何を思ったのかまでは察することは出来ないが、彼女もまたそれを望んでいないことくらいは。
まるで目を逸らすように、アリサは上崎の手からそのネックレスを取り、そっと壁へとかけ直した。そして、何もなかったかのようにまた他のアクセサリーへと視線を移した。だから上崎もそれ以上は触れようとはしなかった。
ただ、その後ろで、レーネが「……やっぱり」と、そう呟いた声だけが空調の風に乗ってかすかに上崎の鼓膜を震わせた。




