第一章 桜舞うころ -4-
「そりゃひどい目にあったもんだ」
昼休みの人のごった返す食堂にて。
上崎の目の前に座った男子はラーメンをすすりながら、そんな様子でからからと笑っていた。
座っていても分かる体格のよさだが威圧感は微塵もない。清潔感のあるかなり短めの髪に朗らかな笑顔が合わさって、誰彼構わず引き寄せるような親しみやすさだけがあった。
秋原佑介。上崎の数少ない友人の一人で、現在無事に進級して二年生になったばかりの『先輩』だった。
「ひどい目っていうほどでもないけど」
「要するに、六花ちゃんと触れ合えなくなって寂しいって話だろ?」
「全然違うっての……。ただでさえ留年ってことで敬遠されがちなのに、誰かに嫌われるってファクター増えたらもっとヤバいだろ、っていう話だよ」
「いいじゃねぇかよ。理解者は一人いれば十分だって聞くぜ? 六花ちゃんって理解者がいるんだからお前の人生はハッピーだよ」
「七歳で死んだ時点で大分アンハッピーだろ……」
上崎の言葉に彼は「違いねぇな」とまた笑う。
「しっかし、その委員長っ子が邪魔してちゃ、やっぱり六花ちゃんとは仲良くできねぇな」
「だからそれは別にどうでもいいよ……」
「その言い草はひどいと思います。断固抗議します」
背後からむっとした声がして、上崎は口にハンバーグを含んだ状態でむせそうになる。
振り返れば、足りるのだろうかと心配になるくらい小さなお茶碗に入ったご飯とサラダメインのおかずをトレイに載せた、水凪六花が仁王のように立っていた。
「……なんでいるの」
「先輩がどこにいても見つけるのが私の使命なんですよ?」
「一歩間違うとストーカーっぽいよな、それ……」
若干の恐怖を覚えて乾いた笑みで返すしかない上崎をよそに、佑介はひらひらと六花に手を振った。
「六花ちゃん。おひさー。制服似合ってんね」
「秋原先輩お久しぶりです。誉めても何も出ませんよ」
六花は社交辞令のように彼の挨拶を返し、それからちらりと上崎を見た。
「……どうした?」
「そう言えば、先輩から制服の感想を聞いてないなと思いまして」
「一人か?」
露骨に話題を切り替えると「……先輩は意地悪です」と少ししょげたように唇を尖らせる。しかし上崎にそれ以上の対応を求めるのは諦めたか、彼女はため息交じりに続けた。
「二人ですよ。本当は先輩を誘おうと思ったんですけど、早々に消えちゃったので」
「ちょっと、六花ー。席空いてたの――って、げ」
嫌な予感がしたが、口を挟む間もなく予想は的中し、六花の後ろから件の委員長女子が姿を見せた。上崎と目が合うと、二人してはばかることなく眉根を寄せた。
しかしその気配に気づく様子もなく、秋原佑介はへらへらと間の抜けたような笑みを浮かべて手を振った。
「おーっす、佐奈。どったの?」
「お兄ちゃん……?」
その言葉に、上崎の思考が一瞬止まった。
いま、彼女は何と言ったか。
「……まさかと思うけどこの委員長女子、お前の妹?」
「そうそう。秋原佐奈。正真正銘、俺の実妹だ。俺の家、家族旅行中に事故ったから一家揃って天界来てるんだよ」
上崎は頭を抱える。その様子を見て、佑介は「あ、お前の言ってた委員長っ子って佐奈のことか。あっはっは。そりゃ当たりがキツイわけだ」なんて笑っていた。
「佐奈も六花ちゃんも、席が空いてねぇなら一緒にどうよ?」
「お兄ちゃんと一緒とか嫌すぎるんだけど」
「可愛げのない妹め。もう六花ちゃんが結城の横に座っちまったからその抵抗は無意味だぞ」
佑介の言葉にはっとして佐奈が見れば、もう既に六花は上崎の横に腰を降ろした後だった。今さら席を移動するのも難しいだろう。
「……最悪」
「はは。嫌われてんな、結城」
「たぶんお前もだぞ……」
それを証明するように、佐奈の視線はどんどん鋭くなっていく。それだけでハムスターくらいなら殺せそうな勢いだ。
「お前、妹と全然似てないな」
「そうか? でも身長なんかは俺が一八〇、佐奈が一六〇後半でどっちも高いし。遺伝的なところは結構近いと思うけど」
「いや、言われると確かに兄妹なんだろうなって見た目はしてるんだけど、やっぱ雰囲気が全然違うんだよな」
同じ高身長でも、人懐っこそうな佑介と当たりのキツイ佐奈とでは受ける印象がまるで違う。見た目やしゃべり方だけで二人が兄妹だとすぐに看破できないのも当然だろう。
よく見れば顔のパーツなんかでも似ているところは探せそうだが、まじまじと見ている間に佐奈に睨まれたのでそれ以上はやめておくことにした。
「なんかめちゃくちゃ嫌われてんな、俺」
「佐奈ちゃん、今日は機嫌が悪いみたいです。――あ、口にソースついてますよ」
六花が上崎の口元を紙ナプキンで拭う。上崎もそれを「あ、サンキュ」とだけ言って当然のように受け入れてしまう。
それを見て、なおさら佐奈は青筋を立てていた。
「お兄ちゃん。この女たらし何なの?」
「お前が六花ちゃんの一番の親友を自負してるのは知ってるけどさ。それより仲いい奴がいるのだって当たり前だろ。将来、六花ちゃんが結婚とかしたらどうするんだ」
「どうするも何も、まずはあたしに挨拶に来なさいと」
「親父かお前」
結局、佐奈が上崎を目の敵にしているのもそういう理由なのだろう。横合いから聞いていた上崎もそれで合点がいった。だからと言って、これからも罵詈雑言を浴びせられたいか、と言われると話は違うが。
「……六花。いい加減に目を覚ましてってば。絶対騙されてるって。そんなポンコツに入れ込んだって何にも――」
「佐奈ちゃん」
ぞっとするほど冷たい声だった。
その笑顔のままに怒りが煮えたぎっている表情に、真横に座っていた上崎はぎょっとしてしまう。
「あのー、六花さん? とりあえず落ち着いて?」
「先輩は黙っててください」
ぴしゃりと言われ、上崎は小さくなって気配を殺すしかなかった。こうなると六花はどうにもならないことを、上崎は短い付き合いだがよく知っている。
自分が慕っている人をそう何度も悪し様に言われて気分がいいはずもなかった。だから六花の怒りも間違ってはおらず、なおさら上崎には止めようがない。
「佐奈ちゃん。先輩をそれ以上悪く言わないで」
「だ、だって、どう考えたって六花が騙されて――」
「先輩はすごい魔術師なの。――それ以上先輩に失礼なこと言うなら、私も怒るんだから」
そう言って、いつの間にか食べ終わっていた六花はトレイを右手に立ち上がり、左手で佐奈の首根っこを掴んでずるずると引きずっていく。
「先輩、ちょっと失礼しますね」
「え、あ、うん。ほどほどにね……」
にっこり笑顔で人ごみの中に消えていく六花を見送りながら、上崎は小さく震えていた。去り際の佐奈の真っ青な顔が気の毒でならない。
しかし一人、佑介は腹を抱えて笑っていた。実妹の危機だというのになかなか薄情だった。
「あれじゃ、お前も将来尻に敷かれるんじゃねぇの?」
「俺と六花はそういう関係じゃねぇよ……」
「じゃ、どういう関係なんだよ」
その問いに、上崎は目を丸くした。そんなの決まっていると言おうとして、言葉が喉よりもっと奥でつかえた。
恋人なんてもってのほか。友達のような気軽な関係でもないだろう。先輩後輩とも何かが違う。部活の関係性などではなかったし、何より上崎は彼女にものを教えられるようなレベルにはいない。
――俺と六花は、何なんだろう。
その疑問を抱えたまま、昼休みの終了を告げる予鈴が鳴り響いた。