第二章 縁 -2-
――そして。
「……なんで?」
もう考えることを放棄して、目の前の状況に対し上崎は素直に疑問を口にした。
豪奢な調度品の並べられた応接室の革張りのソファだった。
にこにこと小悪魔な笑顔を浮かべるレーネ・リーゼフェルトと、すました顔で紅茶をすするオリヴェル・リーゼフェルトの姿がそこにはあった。
思えば、おかしいことはあったのだ。呼び出された部屋が応接室であった時点で、違和感を覚えるべきだった。二週間前の吸血鬼事件での打ち合わせはもっぱら生徒指導室で、他の実習に関しても同じような空き教室や資料室といった部屋だと聞く。こんな豪華な部屋をあてがわれるなど聞いたこともない。ならば、そこには相応の理由があってしかるべきなのだ。
「日本の魔術師について学ぶ以上、こうした実習にも積極的に参加した方がいいと思ってね。せっかくの機会だからと志願させてもらったんだ。よろしくね」
さらりと言うオリヴェルに、上崎は乾いた笑みで応えるばかりだ。
「英国でもプロの応援の制度はあるけど、やっぱり日本とは意味合いが違ったりするしね。こういうのは経験しておきたいなって」
「……本音は?」
「アリサちゃんがめちゃくちゃかわいかったのでわたしももっと関わりたいなって」
どうしようもないくらいに私情しかなかった。
てへ、と小首をかしげるレーネに心底から上崎はため息をこぼす。
おそらくはオリヴェルの言葉も建前だろう。レーネのような私情一〇〇パーセントでないにしても、上崎と六花の実力を間近で見極めるためだとか、そういった視察や査察といった意味合いの方が強いように思う。
「……白浜先生はそれでいいんですか?」
「もうなんでもいいんじゃないかな……」
ほとんど投げやりな様子で、白浜がどこか遠い目をして呟く。
討伐の絡まない一案件に対して四人はどう考えても過剰投入だろうと思うのだが、英国貴族のリーゼフェルト兄妹からの要望だ。偉い人から出来る限り聞き入れるようにと白浜にまで指示があったのだろう。
上崎も散々迷惑をかけてきた身だ。これ以上の抵抗は白浜に無用な心労をかけさせるだけだと判断し、仕方なく状況を受け入れることにした。
――が。
「……先輩、幼なじみと仲良くしたいからって公私混同はよくないと思います」
「もう理不尽すぎるだろ……」
どんどん不機嫌さを増す隣の相棒に、上崎は思わず天を仰いだ。どこにも上崎の意思が介在する余地などなかったのだが、そんな当たり前の理屈を信じてもらうのも難しそうだ。
もはや状況への抵抗はおろか六花への言い訳さえ諦めて、上崎は本題を進めようと白浜へ声をかけた。
「……それで、具体的に今後の方針は?」
「冬城さんの臨死時の状況を詳しく調査して、報告書としてまとめること。これが当面の仕事だね」
具体的なフォーマットとかは後で展開しとくよ、と白浜は付け足す。
確かにその程度であれば、歪なオルタアーツしか使えない上崎たちでもこなせる業務だろう。なにせオルタアーツ自体を使用しない、あくまでその周辺知識を活かす頭脳労働だ。
まずは危険のないものから少しずつ経験を積み上げていこうとする、白浜の優しさをひしひしと感じるような内容であった。
「……あの、先生」
「なにかな水凪さん」
「アリサちゃん本人が、臨死時の記憶は飛んでるって言っていたように思いますけど」
おずおずと手を上げて質問する六花に、上崎も同調する意味で小さくうなずいた。
アリサの言葉の真偽を確認する術は上崎たちにない。だが真であればそもそも報告に上げることは出来ないし、偽であれば嘘をつかざるを得ない事情があったということになる。少なくとも素人の上崎が土足で踏み入れることではないだろう。
「もちろん、それはそれで一つの報告です。死にまつわる重要な情報の一つなので、真偽を明らかにした上で報告すべき。――ただ、無理はしないこと」
そう言って、白浜はどこか慈しむような遠い目をしていた。
「人の心は傷つきやすい。ましてや、それが思春期の君たちや、冬城さんならなおさら」
「…………、」
その言葉が何を意味しているのか。それを上崎は少しだけ悟ったような気がした。
それはアリサへの心配であり――そして同時に、上崎個人へも向けられているのだと。
「プロのカウンセラーが専任でついていて、一日に一度きちんとしたカウンセリングを冬城さんには受けてもらうことになります。臨死時の状況や体験などは、そのときにも聞けると思います。プライバシーを伏せた上でその内容を私たちにも報告してもらうので、提出する報告書に引用して盛り込んでくれればいいよ」
「はい」
「オルタアーツの知識はともかく、メンタルケアに関しては素人の上崎くんたちは、決して無理に問い質すような真似はしないこと。聞きたいことがあるようならカウンセラーを経由するようにお願いします」
死亡時の魂が現れるのは現世の同じ座標だ。混乱を避けるため基本的に現世と天界で建造物は同じように建設されるが、東霞高校の校舎は魔術教育という性質上、天界独自の配置にせざるを得ない。アリサが転移してきたその座標は、現世で中学校の校舎があった場所だという。
何かの拍子で転落してのことであれば、死亡地点は地上になるため空から降ってくることはない。突発的な病気も即死とはなりがたく、救急搬送された先か早くともその道中での転移だ。
突然朝の教室で命を落とす。そんな状況にいろいろな憶測はあれども、いずれにしても非常にデリケートな問題を孕んでいるのは想像に難くない。素人が無遠慮に踏み込んでいいことはないだろう。
そんなもっともな白浜の忠告にしかと頷いて、上崎は小さく呟く。
「…………それ、結局のところ俺たちに何が出来るんですかね……?」
臨死のアリサを救うためには、事件の全容を明らかにし、彼女の心の傷を癒やすことが必要だと考えていた。しかし、上崎たちには事件の核心に迫ることはおろか、被害者とでも呼ぶべき冬城アリサに対してさえしてあげられることはあまりない、とそう告げられたに等しい。
そんな上崎の素直な疑問に、なぜか白浜は目をぱちくりとさせていた。
「…………なんです?」
「いや、うん。ちょっとらしくないかなって驚いちゃっただけ。――言ったでしょう? 報告書を書くのが仕事だって。そういう間接的な業務だって立派なお仕事のはずだけれど」
白浜の言うとおりではある。図書の作成は確かに立派な業務だ。むしろ経験の浅い学生がそういった雑務を引き受け、本職の魔術師には現場での本格的な捜査や討伐に取り組んでもらう方が効率的だろう。
それを仕事ともカウントせずに、事件にぐいぐいと首を突っ込むことだけを考えていた。それは確かに、上崎らしくない行為だろう。
「……ちょっと前に出すぎてましたね。考えをあらためます」
白浜の指摘に、何を思い上がっているんだ、と自分を叱責して上崎は小さく呟く。
カテゴリー5を討伐できたのは奇跡だなんだと言っておいて、どこか自分の中には過信が生じていたのだろうか。だから自分が中心になって事件に取り組まなければならないなどと、そんな風に自惚れたのか。
しかし、自省する上崎の言葉を聞いて、なぜか白浜は首を横に振った。
「いや、いいんだよ。むしろ先生が変な先入観で上崎くんを見てたね。ごめんなさい。――上崎くん。その気持ちは大事にして」
彼女は柔和な笑みを浮かべて、だって、と続けた。
「冬城さんのために何かをしてあげたいと、本当に心からそう思ったから出た言葉でしょう? それは魔術師以前に、人としてとてもとても大切で、立派な気持ちだと思う。だからそれを恥じるようなことだけはしなくていい。――胸を張りなさい、上崎くん」
「……はい」
真っ直ぐな白浜の言葉に、上崎は目を逸らして頷いた。肯定される言葉はいつだってどこかむず痒く、素直に受け取れない。けれど、視界の端でくすりと笑う先生の姿が見えたから、そんな上崎の心の内まできっと見透かされてしまったのだろう。
「――それに、まだなにも出来ないと決まったわけでもないと思うよ」
ソファに腰かけ、そんな気恥ずかしいやり取りを眺めていたオリヴェルは、紅茶をすすりながらそう言った。
「えっと……?」
突然のオリヴェルの言葉に、上崎はきょとんと小首をかしげた。彼女の心を傷つけないように配慮する以上、事件に直接的な関与は上崎たちには出来ないはず。しかしオリヴェルはどこか自信を持って指を立てた。
「確かに無遠慮にこちらから聞くのは悪手だ。けれど、彼女の方から進んで話す分にはカウンセリングの有無は関係ない。違うかな」
「まぁ、そうですね」
「なら簡単さ」
言って、オリヴェルは英国紳士然とした輝くような笑みを浮かべてこう続けた。
「彼女が自分から相談したくなるほどの、そんな信頼関係を築けばいいだけだろう?」




