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2/2 -落第魔術師が神殺しの魔剣になった件-  作者: 九条智樹
#2 リバース・デスパレート

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断章 オリヴェル・リーゼフェルトの場合 -1-


 生前の記憶というものをほとんど持たないまま、私は天界に来た。

 物心のつく前に父は他界していたし、私自身も病弱な身体故に、その生涯のほとんどを病室で送っていた。実の母親の顔をまともに覚えることも出来ないまま、私の一生は病室の白いベッドの上でひっそりと閉じていった。

 それを悲しいとは思えない。

 そう思うことが出来るほど、私は外の世界との繋がりを持ってすらいなかったから。


 だから。

 私が生まれた日は、現世に生を受けた日ではなく。

 死して天界に舞い降りた、その日に他ならないのだ。


     *


「――はじめまして、オリヴェル・リーゼフェルトです」


 なんて言ったらいいか分からず、私はそんな挨拶をしたのを今でも覚えている。

 見たこともないくらいに豪奢な屋敷の広間だった。

 見上げれば首が痛いほど高い天井に、クリスタルと見紛うほど透き通ったガラスのシャンデリア。黒い革張りのソファは、私が現世でずっと寝ていた病室のベッドいくつ分だろうか。

 その入り口でほとんど困ったように立ち尽くす私を、目一杯に抱き締める人がいた。


「あぁ。あぁ――……っ」


 言葉にならない声を上げて、必死に嗚咽を噛み殺して、その人はただ私を熱く抱擁し続けた。

 無菌室では決して感じることの出来ない、肌が焼けてしまったのではないかと思うほどの熱が、心臓まで届くのを感じる。

 記憶なんてなにもない。だけど、その温度が、私の細胞全てに訴えかけてくるみたいだった。


「おとう、さん……」


 顔を覚えるより先に逝ってしまった、私の家族。

 その人が、いま私の目の前にいる。


 ――まるで夢の国に来てしまったかのようだった。

 立ち上がっても息は上がらないし、深く息を吸っても咳が出ることだってない。

 病室はおろか、久しく見ていない母親の待つ家とも比べものにもならない豪邸。

 そして、もう二度と会うことは叶わないと思っていた、たった一人の父親との再会。

 これが夢でないのなら、いったいなんだというのか。


 ――ややあって、父親は昂ぶりすぎた感情を冷ましたいと言って、一度洗面所へと向かっていった。

 そうして残されたのは、私と、もう一人。

 私のものとよく似た、光のような金色の髪をした女性だった。


「はじめまして。私はヒルダ・リーゼフェルトです。――あなたのお父さんの結婚相手、と言って伝わりますか?」


 幼い私に合わせるように膝を折って、彼女はそんな風に挨拶をしてくれた。

 まだ子供で、世間の常識もなにも学べるような境遇にはいなかったけれど、それでも、彼女の言う言葉は理解できた。

 お父さんの結婚相手――だから、彼女が新しいお母さんなのだ、と。


「はい、だいじょうぶ、です」


 戸惑いのないはずがない。それでも、私は無理矢理に笑顔を作った。

 不安を表に出してはいけない。困らせてはいけない。

 だって、ここは夢のような世界だ。この世界を取り上げられることだけは、絶対にいやだ。

 だから、何があっても『いい子』でいなければいけない。

 そんな強迫観念じみたものに支配されていたのかもしれない。

 だから、どんなに自分の心が拒否したってきちんとした呼び方をしなければいけない。


「おかあ――……」


「駄目ですよ」


 胸の奥にあるぐちゃぐちゃに絡まってしまった感情に蓋をして、私はどうにかそう呼ぼうとしたのに。

 彼女――ヒルダさんは立てた人差し指を私の唇に当ててその先を口にすることを制した。


「その呼び方をされるべきなのは、この世でも、あの世でも、たった一人しかいないはずです。あなたを生み、あなたを育て、あなたを愛し、あなたの死に悲しんでくれている。その人だけがそう呼んでもらえるんですよ」


 ぁ、と、喉から音が漏れた。


「ましてや、あなたがそのたった一人のお母様を大切に想っているのに、その思い出を無理矢理に塗り潰そうとなんてしてはいけません。私はそんな風に、無理矢理にあなたの心の中の大切な場所を奪いたいのではないのです」


 そう優しくほほえんで、彼女は私の頭をゆっくりと、あたたかく撫でてくれた。


「私はあなたの新しい家族ですけれど、お母さんと無理に呼ぶ必要はありません。呼びたいように呼んでくれれば、それであなたが本当に笑っていてくれるなら、それで私は満足です」


「いいん、でしょうか……」


「えぇ、もちろん。あなたは自由でいい」


「そんなふうにしたら、お父さんが悲しまない、でしょうか……」


「えぇ、それも大丈夫。それにもしあなたのお父さんが呼び方に文句を言うようなら、私がお父さんのお尻を叩いておいてあげます」


 ふふ、とそう言ってほほえむ彼女に私はようやくのように、ぽろぽろと涙をこぼしていた。

 悲しいことなんて、なにもない。

 だけど、どうしようもなく嬉しくて。

 だけど、どうしようもなく寂しくて。

 そのまま私を包み込むように抱き締めてくれるもう一人の母の胸の中で、私はただわんわんと泣きじゃくり続けていた。



 ――その日、そのとき、その瞬間から。

 私は彼女――ヒルダ・リーゼフェルトに憧憬を抱いている。

 いつだって正しくて、何よりも理知的で、誰よりも優しくあたたかい。

 だから。

 そんな彼女のようになりたいと願って。


 ――私は魔術師になることを決めたのだ。



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