第一章 臨死の鎖 -6-
「いやぁ、懐かしいね。こうして二人で歩くの」
からからと笑うレーネ・リーゼフェルトの横で、上崎は深い嘆息を漏らす。思えば四年前の特別育成プログラムの頃からこうして振り回されっぱなしだった気がする。
「ため息をつくと幸せが逃げるよ?」
「お前のせいだからな?」
悪びれる様子もないレーネをじろりと睨む上崎だったが、当の彼女は楽しそうに笑っているばかりだ。反省を求めても無駄だろうと、またため息が増えるだけである。
「――それで、俺を連れ出して何がしたかったんだよ」
「校内案内って言ったよね?」
「……特別育成プログラムのときにこの学校使ってたのに、案内なんかいらないだろ」
上崎とレーネが出会った特別育成プログラムの会場は、この東霞高校だった。オルタアーツを自由に扱うことができる場所が限られる上、やはりきちんとした指導者や万一の事故に備えた設備なども必要になる。そうなれば、必然的に会場の候補など国内でさえほとんど残らないのだから偶然ではなく当然だろう。
特別育成プログラムの三ヶ月弱の期間中、休憩時間になる度に散々っぱらこの校内の隅々冒険してきたレーネに、いまさら案内が必要とはとても思えない。
「まぁそうだよねぇ。――だって、ただダーリンと二人きりでお話ししたかっただけだもん」
小悪魔チックに笑うレーネに、上崎はただただ嘆息する。四年という歳月を経ても変わらない、あるいはいっそ破壊力の増したその笑みには敵う気がしない。
「……本当、お前は変わらないな」
ぽつりと上崎はそんな本音をこぼす。――その裏で、どうしても上崎は自分と彼女を比較せずにはいられなかった。
あの頃は楽しかったと、いまでも素直にそう思う。
幼少の頃にはあまりに長い三ヶ月という貴重な時間が、けれどあっという間に過ぎ去っていった。その間の様々な思い出が、ただ並んで歩いているだけなのにフラッシュバックするように思い返されていく。
本当に無邪気な日々だった。選抜された正真正銘のエリート揃いの中で、それでもトップを維持して上崎とレーネは競い合い続けていた。寝ても覚めても魔術のことばかりで、悔しくて涙を流したことだって少なくなかった。だけど、それでも楽しかったのだ。
中学時代は『神童』などともてはやされて、胸に抱いた夢は希望に満ちていて、未来は無数に開かれていた。レーネと過ごした短い時間は、まさにその象徴のようだった。
だから、その眼球が潰れてしまうほどの輝かしい日々から思わず目を逸らしたくなる。――いまの上崎には、あの頃の才覚など欠片ほども残ってはいないから。
まともなオルタアーツはもう使えない。たった一人で戦うことも出来ない。全ての傷を大切な人に押しつけて、ただ傍観するしかない。それがいまの上崎結城の有り様だ。
「ダーリン、どうかした?」
「なんでもねぇよ」
首をかしげるレーネに上崎はそううそぶく。
――おそらくは彼女だって気づいているはずだ。
過去の上崎にどれほどの幻想を抱いていたとしても、カテゴリー5を討伐するなどという常軌を逸した無茶ができるような次元ではなかった。彼女と切磋琢磨していたということは、それはそのまま彼女と同じ次元にいたということに他ならない。まともな方法だけにたった四年を費やす程度でカテゴリー5を討伐できるのであれば、今ごろ魔神は七体も残ってはいないだろう。
その無理を通し道理を引っ込めたのであれば、相応の対価が必要になる。たとえいまの上崎の詳細を知らずとも、想像の一つや二つは付くに決まっている。
それでも、彼女は知らない振りをしてくれているのだ。その優しさを無碍にする必要はないだろう。
「案内がいらないなら応接室に戻るぞ。怒りのピークって六秒とか聞くし。まだ怒ってたらそれは正当な説教だろ」
「えぇ、やだよ。絶対まだノルがうるさそう……」
「そう言えばさっきもそう呼んでたけど、ノルって?」
「うん? オリヴェルの愛称だよ。お兄ちゃんとかって呼び方は向こうじゃしないし。アレクサンダーをアレックス、みたいなのかな。母音で始まる名前だとNとかTとかが付くのはよくあることだよ」
「あー、エドワードがテッド、みたいなことか」
「そうそう。――で、そんな雑談に見せかけてさりげなく応接室に戻ろうとするのはやめよ? まだわたしは同意してないし怒られたくもないよ?」
渡り廊下を駆使しつつ左折二回で来た道を引き換えそうとしていたのだが、さすがにすぐにレーネにバレた。まるでバスケのディフェンスみたいに上崎の前に立ち塞がる英国のお嬢様に、上崎はただただ頭を抱えた。
「だから俺を巻き込むなよ、お前がちゃんと怒られれば済む話だろ……」
「ダーリンひどい! もっとわたしを大事にしようよ!」
「まず四年前から再三その呼び方やめろって言ってんだろ。大事にされたいなら俺の意思は尊重しろよ」
「それは難しい」
「なんでそんな暴君なのお前……?」
これが英国随一の魔術師の貴族様だというのだから、世界は間違っている気がする。
「でも」
そんなわがままな彼女の気配がふっと変わる。
「本気でダーリンが嫌がるならやめるけど」
ぼそりと、囁くように彼女は言う。その声音に上崎は思わず天を仰いだ。
昔からそうだ。強引に上崎を連れ回すくせに、どこかで自分に自信がなくて、だから途中で急制動をかけて顔色をうかがう。
好きだと好きなだけ好き勝手に叫ぶくせに、嫌われることだけは人一倍臆病で。
そういう表情をさせてしまう自分が悪かったんじゃないか、なんて罪悪感が芽生えてしまうのだからたちが悪い。
「……お前、それずるいからな」
「そう言って、なんだかんだ許してくれるのがダーリンなんだよね」
そうして見透かしたようにレーネは笑う。結局、いいように掌の上で転がされているだけなのだろう。本心が見えないのが彼女らしいと言えばらしいところだ。
四年ぶりの再会だというのに、何も変わらないレーネのペース。つい昨日もそうやって過ごしていたかのような妙にしっくりとくる感覚に、上崎は不思議な居心地の良さを覚えていた。
だからどうしても強気に出られず、ため息と共に踵を返すのだ。
「まぁ六花の腕を治してくれたことがきっかけだから、俺も強くは言えないしな」
「でしょ? だからもう少しくらい遠回りしても許されると思うな」
「別に俺はいいんだけど。そもそもオリヴェルさんに怒られるのお前だけだし……」
謀らずともレーネと二人きりになっていることで六花の怒りを買っていなければ、という話ではあるが、技術的にも難度が高く本来なら非常に高価な治療を、ただのボランティアで施してもらった恩がある。上崎の身に降りかかる罵詈雑言に目を瞑る程度の譲歩は必要経費だろう。
「それで、どこか行きたい場所でもあるのか?」
「うん。ちゃんとあるから、エスコート、よろしくね?」




