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2/2 -落第魔術師が神殺しの魔剣になった件-  作者: 九条智樹
#1 アンコール・ディザスター

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第二章 絶望の災厄 -14-


 思えば、違和感の正体とは何だったのか。

 それは吸血鬼事件が全て解決したかどうか、だ。

 呪いの拡散はブラッディゲートが自身をカテゴリー5へと、真祖へと至るための計画の一部だった。それを討伐したのだから全てが終わったと判断した。

 だが、果たしてそれは適当だっただろうか。

 一連の全ての事件がブラッディゲートによるものかどうか、などという証拠は何もないというのに。


 魔獣による攻撃の残滓――魂跡を解析しても、その中に見ず知らずの別の魂跡が一つ混じった程度はノイズとして処理されるだけだ。それこそ、犯罪現場の無数にある指紋のように。

 つまり、吸血鬼に紛れて別の誰かが暗躍することは可能だった。

 このカテゴリー4を隠れ蓑にすれば、大抵の些細な証拠は隠し通せる。目的は不明だが、わざわざブラッディゲートを隠れ蓑に選ぶからには、それと同様の『大量のエネルギーの搾取』あたりがもっともあり得る線だろう。


 では、仮にそんな犯人がいたとして、そんな真似が可能な人物は誰か。

 吸血鬼の魂跡の影に隠れるのであれば、もしもブラッディゲートが呪いを付与していない相手からエネルギーを搾取してしまうと隠れ蓑が機能しない。つまり、その魂跡で自分の罪を覆い隠すためにも、被害者だけを狙って追い打ちをかける必要がある。

 ブラッディゲートの動きも捜査に関わる人間の動きも、同時に逐一把握できる必要がある。――つまりは魔術師に限られる。はじめに魔術師の可能性を排除した理由は、編纂結界の観測されなかった場所でも被害があったから。裏を返せば、編纂結界を観測した場所にも被害はあったということなのだから。

 吸血鬼の呪いのようにエネルギーを搾取する『儀式』を企てていたのであれば、効率的に大人数を一カ所に集められる人間でなければならない。


 そんな人間など、一人しかいない。

 観客動員数は二万を超える現代の歌姫にして、カテゴリー3や4の魔獣などお手玉のように弄びながら屠ることのできるプロの魔術師。

 北条愛歌。

 ――いま、上崎たちの目の前にいる少女だった。


     *


 二万人もの人を抱えた暗闇のコンサートホールは、耳が痛いほどに静謐に呑まれていた。誰も彼も、まるで眠ったかのように動かない。

 そんな異様な光景の中に、まるでスポットライトを当てたみたいに光り輝く姿があった。

 頭には銀の花のカチューシャを載せ、黒と紫を基調としたドレス風の衣装に身を包んでいた。ラメの入った長い手袋とチョーカーは夜空のようだった。

 どこまでもきらびやかな出で立ちで、彼女は恐ろしく鋭い銀の槍を構え困ったような笑みを浮かべていた。


「どこで気づいたの?」


『……直前だよ。最初はただの胸騒ぎみたいなものだったし、それにこのライブに来たのは偶然だった』


 幽霊のように漂う上崎の姿は見えていないだろうに、北条の視線は鋭く射貫くようだった。思わず気圧されてしまいそうになる。


「やっぱり、これは上崎くんの能力だよね。さっきのあれは空間変革術式(オーバーライド)、発動すればエネルギーはきちんと蓄えられるはずなのに、途中までの分さえ霧散している。吸血鬼(ブラッディゲート)の呪いと違って、発動中の術式だから吸収されちゃったってところかな」


 残念そうに語る北条と上崎の間に挟まれるように、漆黒の刀を構えた儚い少女の顔は、ただ困惑に覆われていた。


「どういう、ことなんですか……?」


「見ての通りだよ。――わたしが全ての犯人。ブラッディゲートの影に隠れて、観客の魂をエネルギーに変換、搾取して、あるオーバーライドを試みていたってところかな」


『奪うだけじゃないのか……?』


 上崎の問いかけに、ふと、六花は察したらしい。


「ディザスター、ですか?」


「よく気づいたね。そうだよ。三年前に現れたディザスターに、わたしのお姉ちゃんは消された。――そんなの、堪え切れないじゃない?」


 彼女の顔に悲痛さはなかった。ただ、そこにあったのは覚悟だけだ。


「わたしのオルタアーツの能力は『時間操作』。これを使えば、過去だって塗り替えられる。でもわたし一人じゃエネルギーが足りなくてね。外部からエネルギーを取り込む手段も限られる。だから、オーバーライドで無理やりに掻き集めるしかなかった」


 それが、吸血鬼事件を隠れ蓑にするのに適していたのだろう。

 何でもないように彼女は話しているが、条件は相当厳しいはずだ。例えば、オーバーライドの術式を補助する何らかのアイテムは必須になる。今回それは、この配布されたコンサートライトだったのだろう。これを持つ人間からエネルギーを奪うという術式が編まれていたはずだ。

 あるいは、それ以上に彼女の能力の性質として、この会場でなければならない何かがあるのかもしれない。そうであれば機会は一度きり。失敗はできない状況だからこそ、丁寧に、そして慎重にその術式を確かめる必要があった。その実験台にされた人々が、今までの被害者だ。


「二万人の魂全てをエネルギーに変えて、わたしは記憶を過去の自分へと送る。そうすることで、わたしはお姉ちゃんをディザスターから救う機会を得る。――お姉ちゃんを救えれば、わたしはきょう観客のみんなを消滅させる必要がなくなる。その世界線では、彼らは守られるんだよ。何か問題があるかな」


『あるに決まってるだろ……っ』


 上崎は北条に噛みついた。


『そんなのただの虐殺だ。それじゃあんたが憎んでるディザスターと何ら変わらねぇだろ!』


「討伐できないはずの魔獣を討伐できるんだよ? 彼らの魂は平和への礎になる。そういうのは、尊ぶべき犠牲なんじゃないかな?」


『詭弁だ、そんなの……っ』


 何をどんなに取りつくろったところで、彼女が二万もの魂を消そうとしたことに変わりはない。そして、それは裁かれるべき大罪だ。

 だから上崎はそれを否定する。言葉ではなく、行動で。


『……止めるぞ、六花』


「はい、先輩。北条先輩にこれ以上罪を重ねさせるわけにはいきません」


「止める? どうして?」


 頓狂な声を出して、北条はそう言った。威圧するわけでもなく、ただ疑問を口にしただけのようなそんな気軽な声だった。――なのにそれは、覚悟を決めて対峙しようとした上崎たちを、真正面からねじ伏せるようですらあった。


「お姉ちゃんを救うことを、どうして君たちに咎められなきゃいけないの? どうしてお姉ちゃんが消えることをよしとするの?」


 漆黒の双眸が上崎の心臓を冷たく凍てつかせる。


『消えてもいいなんて言ってない。でも、仕方ないだろ。みんなそうやって乗り越えるんだ。死んでも、消えても、それでも大切な人の記憶には残るんだよ』


「残らないんだよ」


 断言すらした。


「本当に大切な人を失ったら、そんな言葉は口が裂けても言えないよ」


 睨まれただけで上崎は声を殺され、六花は呼吸を奪われた。この場の空気そのものを握り潰すみたいな力の奔流だった。


「わたしが歌うのは、お姉ちゃんの声とわたしの歌声がそっくりだったから。歌えば、ずっと傍にお姉ちゃんがいるような気がした」


 だけど、と彼女は続けた。


「気がつけば、わたしの歌声はわたしの声でしかなくなった。お姉ちゃんの面影なんかなくなった。どんなに頑張って思い出そうとしても、記憶っていうのはひび割れたグラスの中の水みたいに、思い出すどころか流れ出ていってしまう」


 肩を抱き、震える声で、涙と共に彼女は叫んでいた。その叫喚は、何よりも上崎の身を叩いていた。


『……だから、他の奴を犠牲にしたっていいって言うのかよ。あんたの一番辛い記憶を他の誰かに押しつけるのを良しとするのかよ。それであんたのお姉ちゃんが――』


「だから、見捨てろって?」


 上崎の言葉を押し潰して、北条愛歌は拳を握る。


「救う手段はあるけれど、それを捨てて墓石の前にでもひざまずけって? そんなの偽善だ。それこそ詭弁だ。救えるのにそれをしないだなんて、絶対に間違ってる。――ふざけないでよ、上崎結城」


 決して大きな声ではなかった。威圧する気など初めからないのだろう。ただそれでも、その声音に刻まれた怨嗟が、上崎を貫き縛りつける。

 そして。

 彼女は真っ黒な瞳を向けて、何かに気づいたようにうなずいた。



「あぁ、そうか。君たちも大切な者を失えば、この絶望に共感してくれるのかな」



 激突があった。

 北条愛歌の振り降ろした白銀の槍が、六花の眼前で漆黒の刀に阻まれる。

 ぎちぎちとせめぎ合いながら、北条と六花の視線が交差する。


「わたしを止めるというのなら構わない。わたしだって、自分のやってることが悪だという自覚はあるからね。――けれど、誰かに決められた価値観で力を振りかざすような君たちを、正義だとは思わない」


「いいえ、北条先輩。私は正義の為に戦っていません。――ただ先輩を守る為だけに。私の全ては、そこにありますから」


 鍔迫り合いに持ち込まれながら、なおも六花が一歩を踏み込んだ。

 フィジカルエンチャントだけで言えば、彼女のそれはプロにすら届く。

 弾かれた北条を六花の刺突が追いかける。またしても鋭い金属音と共に火花が迸り、ゼロ距離での睨み合いが続く。


「あなたが先輩を消そうと言うのなら、私はそれを全力で止める。ただそれだけなんです」


「言葉は立派だ。信頼の言葉はとても美しいと思うよ。――だけど、そんなものでこのわたしに勝てると思っているの?」


 冷ややかな声に刃向うように六花は無数の斬撃を重ねた。だがその全てを北条愛歌は受止めてみせる。

 槍と剣、どちらが有利かは自明ではあるが、しかしそれはリーチの差故にだ。もし剣の間合いにまで踏みこむことができれば、槍のリーチの長さは一転してデメリットになる。

 しかし、今は六花が自分の得意とする間合いに踏みこんでいる。それにもかかわらず、長大な武器を振り回さなければいけない北条は、六花を相手にまるで稽古でもつけるみたいに弄んでいた。


「わたしは過去に戻ってディザスターを倒す。そのわたしを阻もうというのなら、それだけの力は示してもらおうか」


 防御に徹していた北条が、一歩を踏み込んだ。それと同時、六花の剣閃が弾かれ体勢が大きく崩される。

 流れるような動きで槍を構えた北条は、そのまま六花を切り裂いた。

 珠のような血を撒き散らしながら、六花が遥か後方へと吹き飛ばされていく。


『六花!?』


「心配いりません……っ。――それに、次が来ます」


 ステージの上を転がりながらどうにか体勢を立て直した六花の眼前には既に、白銀に輝く刃があった。

 真っ赤な火花を散らせながら、どうにか彼女はその一撃を受け止める。

 本来の魔術師ならジェネレートに割く分のリソースも回して身体強化を施した六花ですら、防戦一方を強いられる。それだけ北条愛歌は練達者ということなのだろう。六花が追い抜いたフィジカルエンチャントすらカバーするだけの技術が、彼女にはある。


『……そうか、これが時間操作か……っ』


「ご明察」


 上崎の辿り着いた原因に、北条は躊躇なく正否を答えた。

 北条愛歌のオルタアーツが持つ能力は、光操作だけではなく時間制御もある。それを用いることで彼女は自身に流れる時間を倍加している。そうすれば単純に彼女の身体能力は二倍、こちらからの物理的な攻撃の威力は半減する。六花のフィジカルエンチャント頼みの上崎たちとは、どうしようもなく相性が悪い。

 六花がフィジカルエンチャントをどれだけ極めようと、それで北条の上に行こうと思うのなら、純粋に彼女の倍以上の速度が求められる。並の魔術師ならいざ知らず、カテゴリー5討伐を本気で掲げている彼女を相手に、そこまで水をあけるだけの実力はまだない。

 手玉に取られていることは、俯瞰している上崎でなくとも分かっただろう。

 六花が繰り出すいかなる斬撃も北条は防ぎ、躱し、往なしてみせる。たまに突き出される反撃は致命的なほどに鋭く抉り、全力で後退する六花の服をなおも赤く染める。


 これほど自分の存在をもどかしく思ったことなど上崎にはなかった。

 自分がジェネレートをしても身体を維持できていれば、傷つくのは上崎一人だ。それならいくらだって耐えられた。

 だが、上崎にそれはできない。動くこともできず、ただ目の前で傷つけられていく少女を眺めるしかない。

 上崎結城のジェネレートはカテゴリー5すら討伐できるよう作られている。だがそれは、敵の攻撃を吸収することから始まるのだ。

 今の北条のように徹底して物理攻撃に頼られれば、エネルギーを吸収することもできない。上崎の利にならないようあのレーザー光のような攻撃を意図して避けているのだろう。これではただの剣と変わりない。


 ――思考を止めるな。


 実体のない歯を食いしばりながら、上崎はそれでも血まみれの六花から視線を外さなかった。僅かでも北条の隙を見抜き、六花の力になる為に。

 目を凝らす。

 耳を澄ませる。

 神経の一本、ニューロンの一片まで焼きつくような極限の中で、ただ己の感覚へ全霊を注ぐ。

 しかしどれだけ集中したところで、北条の動きには隙などなかった。これが本当にたった一個上の先輩の動きなのかと、そんな驚嘆しか浮かんでこない。

 時間操作によって倍加したかどうかなど関係なかった。そもそものスペックが、あらゆる面で六花たちの上だ。もはやそれには、()()()()()()()()


 そして、上崎は気づいた。

 何の解決にもならない、ただただ絶望的な事実に。


『……何回目だ』


 震える声で、上崎はそれでも問わずにはいられなかった。

 彼女の呟いた言葉が、脳裏に蘇る。


 ――この展開は珍しいね。


 嘘であってほしいと、そう思った。



()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!?』



 ただ北条は、曖昧に笑う。

 それが答えだった。


「どういうことですか……?」


『北条先輩の強さは、どうしたって異常だ。あり得ないんだよ。たった一歳上の先輩が、あそこまで強いだなんて』


 彼女のその力量は、天才の一言で済ませられる次元を逸脱している。

 ジェネレートに注ぐべき力の全てをフィジカルエンチャントに回した六花の動きを凌駕し、全てと引き換えに魂を剣にジェネレートした上崎と真正面から渡り合う槍を生み出している。それが今の北条だ。たった一年の差がここまで絶望的に広がることなどあり得ない。

 ならば、一年でないとしたら?


『今回が初めてじゃない。何度もライブで魂をエネルギーに変えて、自分の記憶を過去に送っていたんだ。そうやって何度もディザスターに挑み続けた。だとしたら、ここまで強いことにも納得がいく』


「その通りだよ」


 攻撃の手を決して緩めず、北条愛歌は言った。


「オルタアーツは編纂結界の中でしか使えない。だから過去へ記憶を飛ばすのなら、過去に向かって編纂結界を展開しなきゃいけない。それも、わたしが過去のその時点でいる場所を特定して」


 一分一秒でもずれてしまえば、そこで終わり。

 そんな綱渡りのようなオーバーライドをもってして、北条愛歌は過去を何度も塗り替えようとした。


「だからこのライブを選んだの。ここなら人がたくさん呼べるし、それに、ディザスターと遭遇する直前にわたしとお姉ちゃんはここにコンサートを見に来ているから。時間がずれることもない」


 そして、北条は突き飛ばすような一撃を浴びせる。その重さに六花の構えが崩れた。


「三年かかるの。これだけの条件を整える為には、わたしがアイドルになって、上手くなって、この場所を満員にするだけの実力が要る。でもそれだけじゃない。過去に戻ったってディザスターを倒せなきゃ意味がない」


 そのインターバルを、彼女は何度経験したのだろう。

 たった十度でも三十年分だ。百、千と数を増していくにつれ、彼女の魂や記憶は歪んでいく。


「もう、思い出せないんだよ……っ」


 彼女の頬を、冷たい滴が伝う。


「どうやったって思い出せない。お姉ちゃんの声も、表情も、何もかもが薄れて消えていく。わたしの中に残ってるのは、お姉ちゃんが好きだったっていう感情だけ。もう思い出だって残ってない!!」


 彼女の槍の一撃が、真っ直ぐに六花へと突き出される。

 駄目だと、上崎は悟った。

 物理攻撃は上崎にも吸収できない。魂全てを費やした剣は並のジェネレートより遥かに堅いが、それでも全てを防ぐ無敵の盾(イージス)というわけでは決してない。あの渾身の一撃では、折れないまでも致命に近い損傷が目に見えていた。

 だが、上崎の剣は折れるどころか傷つくことさえなかった。


 ――何故なら。

 ――六花が剣で防ぐことすらせず、左手を殺す形でその槍を受け止めたから。


「な――っ!?」


 ぼたぼたと血が滴る。左手で掴んで止めることなど叶うはずもなく、その一撃は彼女の肩すら抉っている。下手をすれば骨まで断たれているかもしれない。


『何をやってんだ!?』


「先輩が傷つくくらいなら、私が代わりに傷つきます……。先輩はこの状態で折れたら核が壊れてしまいますが、私の腕くらいなら平気ですから……っ」


『ふざけんなよ、そんな怪我で――っ』


 上崎の叱責は続かなかった。

 まるで光が吸い込まれるように、彼女の傷口を塞いでいったから。


『自己回復、か……?』


「はい。こういうこともあろうかと、少しがんばりました……」


 六花は何でもないように言うが、そんな言葉で片付けられる領域ではない。回復などフィジカルエンチャントの極致だ。それもただ努力を重ねるだけではない。医学的にも造詣を深める必要がある。

 しかしまだ六花の血は止まらない。そもそも医療専門の魔術師でもない限り治療などまず無理だし、いくら六花の腕前があっても治療はおろか止血にすら相当の時間を要するはずだ。気休め程度にしかならないだろう。


「先輩は、私の心配なんかしなくていいんです」


『でも――っ』


「北条先輩を止めるんでしょう? ただ過去を改変するだけじゃないんです。あの人はいま、私たちのどちらかを手にかけて理解者を得ようとしているんです。それだけは、絶対に許しちゃいけないんです」


 まだ血の滴る腕で、それでも六花は漆黒の剣を握り締めた。


「もうそこまで歪んでいるんです。大切な人を失った絶望を知っているのなら、それを他者に押しつけようとは絶対にしない。――あの人は、それすら忘れてしまっているんです」


『……あぁ』


 勝てる見込みなんてなかった。

 彼我の実力差なんて誰が見たって明らかだ。自己回復という裏技があったからどうにかなっているだけで、それがなければ失血で六花は動けなくなっていた。

 それでも、立ち止まるわけにはいかなかった。

 過去を改変するだけなら六花や上崎にこだわる必要などない。一度離脱して、別の場所で術式を使えばいい。この場所でなければならないのは三年前に飛ぶからであって、他の場所で『上崎と六花が北条の思惑に気づいていない時間』まで巻き戻せばそれでいいはずなのだ。

 これは彼女の目的から逸脱している。それに気づいていないはずがないのに、気づかない振りをして暴れている。そこまで彼女は壊れてしまっているのだ。何百、何千と繰り返した悲劇の果てに、彼女の魂は歪んでしまったのだ。


『勝てる要素なんか見当たらない。あの人に俺たちは何もかもが劣っている。――だけど、それでも止めるぞ。理屈なんかぶち破ってやる。これ以上悲劇を繰り返させてたまるかよ』


「はい。先輩が望むのなら私は全霊をお貸しします。――だって先輩は、カテゴリー5すら討伐できる最高の魔術師なんですから」


 その信頼の言葉が、上崎の背中を押してくれる。

 二人の迸るような眼光を前に、北条愛歌はただ立ち尽くしていた。


「……カテゴリー5すら討伐できる? だったら、だったらどうして――ッ!!」


 叫びがあった。

 その槍を振るいもしない。

 ただ幾千年抱えた苦しみを吐き出すように、彼女は慟哭した。


「だったらどうして、あの日、お姉ちゃんを助けてくれなかったの!? 本当にそんな力があったなら、君たちがディザスターを殺してくれればよかった!! 何もわたしが頑張る必要なんてなかったのに!!」


 何も上崎たちには言い返せなかった。そんな空隙すら彼女の言葉にはなかった。


「分かってる。あんな化け物、誰にだって倒せない!! こんなの八つ当たりだって。それでも、もう引き返せないじゃない!! わたしは何もかもを忘れてしまったから。だからせめて、お姉ちゃんだけは取り戻さないといけない!! そうじゃなきゃ、何の為にわたしはお姉ちゃんとの思い出も、お姉ちゃんの声も、全部全部忘れてしまったって言うの!?」


 後戻りはもうできなかった。それすらできないほどに彼女は世界を何度もやり直し、その度にディザスターに姉を奪われた。

 彼女の内側に蓄積された怨嗟は、とっくに彼女の許容量を超えていた。

 だから。


 ()()は、やって来た。


「――え?」


 その声は六花のものだったかもしれないし、北条のものだったかもしれない。

 異様な光景があった。

 北条愛歌の胸の中心から、薔薇や血にも似た赤色の腕が生えていた。重厚な鎧の鱗に覆われ、鉈や蛮刀のごとく武骨に研がれた爪がぎらりと光る。太さは人間のそれよりも何倍もあり、一薙ぎで車さえひしゃげそうだ。

 それが魔獣のものであることに、疑いなどなかった。


「な、んで……ッ!?」


 その腕に触れながら、北条は涙を零す。その顔にあったのは先程までの悲痛や、突如魔獣の腕が現れたことに対する恐怖ではない。

 それは紛れもなく、憎悪と怨讐に満ちていた。



「何で、ディザスターがここにいるの!?」


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