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2/2 -落第魔術師が神殺しの魔剣になった件-  作者: 九条智樹
#1 アンコール・ディザスター

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第二章 絶望の災厄 -10-

 

――その瞬間。

 引き裂かれるように空気が一変する。



 上崎の動体視力が、自身の横をすり抜けて背後の六花へ迫る影をかすかに捉えた。



 どくり、と心臓の鼓動さえ遅れて聞こえた。


「六花!!」


 叫ぶより先に身体は動いていた。

 世界の全てがスローになる。眼球の動きさえ加速した思考の前ではあまりに遅い。振り返りながら焦点を合わせ、流れるように周囲の人間を巻き込まないサイズの編纂結界を展開する。

 コンマ数秒、その間に既に黒い影は六花へとその爪を振り下ろそうとしていた。結界を張るので手一杯で、上崎にはそれ以上、どうすることもできない。

 ――だが。


「助かりました」


 結界の展開と同時に六花の身体能力強化フィジカルエンチャントが発動する。ほんの三センチのところまで迫ったその爪を、手首ごと弾くような形で六花は防いでみせる。


「はじめまして、ではないですね」


 静かに拳を構えながら、水凪六花は向かい合ったその黒い影に挨拶をする。

 ほとんど人のような風貌だった。体長は二メートルほど。病的なまでに白い肌に、色素のほとんどない長めの金髪。人間に当てはめるなら日系とはほど遠く、ゲルマン系が近いか。

 だが、それでもそれは決して人ではない。

 本来白いはずの眼球は黒く、瞳は血のように赤い。

 口からはまるで獣のように長い犬歯が突き出ている。

 体表には影のようなマントをまとっている。

 その異形の姿は、まさしく魔獣のそれだ。


「マーキングに干渉があったことを察知して、状況の確認と邪魔者を排除するために襲いかかった、というところでしょうか。デメリットを少し軽く見積もりすぎましたね」


 幽体化していれば物質は無視できる。直線距離だけで考えていい以上、魔獣の身体能力があれば十キロや二十キロ程度の距離などあってないようなものだ。

 ましてそのカテゴリーが4やそれ以上であるなら、なおのこと。


「カテゴリー5、か……?」


 心臓が掴まれたような感覚は続いている。目の前の魔獣が件の吸血鬼であることには違いないだろう。そしてそれが真祖であったなら、上崎たちの命はもはや風前の灯火に等しい。


「そうであればよかったのだがな」


 かすれた声で、しかし流暢な日本語が返ってきた。――その時点で知性を持った魔獣(カテゴリー4)であることは確定した。だが、所詮はそこ止まりだという自白でしかない。

 カテゴリー5ではない。

 真祖/ブラッドではない。

 その確証が得られただけで、チリチリと焼け付くように脳髄をかすめていた消滅への恐怖が薄らいでいくのが分かる。眼前の魔獣の強さの底が知れたわけでもないのに、勝てる見込みができたとそんな錯覚が生まれてしまう。


「気を抜く余裕があるとはな」


 その弛緩を、目の前の魔獣は見逃さなかった。

 一瞬だった。

 それだけで、六花が弾いて開いていたはずの数メートルの間合いが消えた。

 まるでナイフのように鋭い爪を振りかざして、上崎の眼前に影をまとった男が迫る。六花の悲鳴にも似た泣きそうな叫びは聞こえたが、もう間に合う速度ではない。

 ――ただし。

 それは、上崎たちが二人だけであったなら、の話だ。


「――ッ!?」


 吸血鬼の顔が一転して驚愕と恐怖に染まる。マントをはためかせ、全力で上崎たちの頭上すら越えて()()を回避する。


「惜しい。随分高慢そうだったから、本能も捨て去ったかと思ってたんだけど」


 吸血鬼の立っていた位置に、銀色の金属が光る。

 雪の結晶にも似た三つ叉の穂先。いっそ芸術的な美しさすら併せ持った銀槍を構えた一人の少女が残念そうに呟いた。


「ゴメンね、上崎くん、六花ちゃん。囮にするような真似になっちゃって」


 ざっ、とアスファルトを踏み締めて、北条愛歌は小さく舌を出す。

 気づけば上崎の結界は一回り大きく上書きされていた。北条が現場に着いた瞬間に、なんの意思疎通も出来ない中で状況を察知して飛び込んだのだろう。


「貴様ら……ッ」


「ここ最近の襲撃事件は君のもの、と考えていいのかな」


 目の前の吸血鬼の反応を見る気もなく、北条は事務的な口調でそう問いかける。


「……それを聞いて何が変わる」


「確かに変わらないね。どちらにしても魔獣は討つもの」


 温度の消えた声でそう答えて、北条は冷笑を浮かべる。


「上崎くん、六花ちゃん。ここから先はわたしの補佐に徹して。とにかく、この場でこのカテゴリー4――仮称、吸血鬼を討伐します」


「了解」


 答え、上崎は自らの前身を漆黒の剣へとジェネレートする。それを六花は空中で掴み、数十キロあるその剣を難なく構えてみせる。


『――俺に遠慮はしなくていい。全力でいけ』


「はい」


 意識と視覚や聴覚、そして声だけを切り離した幽霊のような状態で上崎は六花に声をかけ、それに六花は真っ直ぐに答える。彼女の指先の震えは、もうとっくに収まっていた。


 ――カテゴリー4との戦闘が、本格的に幕を開ける。

 背後からの奇襲に気づききれなかったことがいら立ちを増幅させているのだろう。六花の首を取ろうとしていた初撃よりもなお速く、吸血鬼は走るように跳躍する。

 しかし、それは六花が上崎の剣で真正面から受け止めてみせた。全身全てをジェネレートしたその剣は、ただの爪の一撃程度では軋み一つ上げはしない。


「むぅ――ッ!?」


「遅い」


 そして六花たちに手を止められたわずかな隙を突くように、北条の銀槍が走る。

 吸血鬼のいまの体勢からでは回避は間に合わない。いくらカテゴリー4となり体表の硬度を上げようとも、北条クラスの一閃となれば全くの無傷では済まないだろう。

 それはきっと、吸血鬼自身が一番理解していた。

 だから、彼は躊躇なくその()()()を取り出した。


「――ッ」


 耳障りな鈍い金属音が響く。だがそこで北条の穂先は阻まれ、吸血鬼の身へは届かない。

 見れば、そこには漆黒の円錐が浮いていた。それが空中でピタリと止まり、北条の槍撃を防いでいる。

 長さはせいぜい十センチ程度の、細長いドリル状だった。まるで吸血鬼が体表にまとう黒い影を切り取って作ったように、それは歪さを残したまま裾をはためかせていた。


「これがあなたの能力かな」


「余裕ぶっている場合か? 我が()()を前に人間ごときが生き延びる道などありはしないぞ」


 にやりと魔獣は愉悦に顔を歪ませる。

 同時、彼の全身の黒い影から増殖するようにその円錐が次々と空中へ放たれる。それが彼の言う『眷属』なのだろう。

 人間を眷属にするという真祖(ブラッド)のそれと比べれば明らかに矮小だが、それでもカテゴリー4の一部だ。その一つ一つの威力は決して侮れない。


「六花ちゃん」


「大丈夫です。――だってここには、最高の魔術師の先輩がいますから」


 北条の心配など無意味だと六花が笑うと同時。

 迫る円錐の眷属を、北条と六花はまるで舞うように叩き落とし、かすめることさえ許さずに完封していく。それがカテゴリー4の攻撃であることを、当事者の一人でもある上崎すら一瞬忘れそうになっていた。

 初年度どころか学生とは思えないほど仕上げられたフィジカルエンチャントで、六花は北条の動きに合せられていた。それは六花の実力があってこそという面もあるだろう。

 だがそれ以上に彼女のミスを全てカバーできるだけの技量が北条にはあった。


「このまま攻め落とせたら楽――なんだけど」


 そんな状況で、北条は歯噛みするように否定の言葉を繋げた。

 傍から見れば、これだけの数の眷属を従えた吸血鬼に攻撃を許していない六花たちに分があるように見えたかもしれない。

 しかしそれは違う。


『攻め入る隙がないか……っ』


 防戦一方。それが現状の正しい説明だった。

 六花も善戦しているが、それでも蜂の大群に棒きれで挑んで叩き落とし続けるようなものだ。どれだけ手練れでもそうそう対処できるものではないし、六花の取りこぼした分を北条がカバーするために、彼女自身も攻めの機会を逸している。


「よく耐えるな、人間風情が」


 吸血鬼のその血の気のない顔には、その見下した人間と対等の状況に追い込まれていることへの悔しさも、状況に対する焦燥さえない。

 それは、どこかに絶対的な自信があるからか。

 答えなんて分からない。だがきっと本能が理解したのだろう。何かそこはかとなくおぞましい予感があって、上崎は震える声音で聞いていた。


『……わざわざ呪いを付与してエネルギーを奪う理由はなんだ。そんなことするくらいなら、はじめから核を喰らった方がいい。一週間程度で呪いが解けるんなら、どうしたって効率的じゃないだろ』


「面白いことを聞くな、不可視の人間。――我がいつ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」


 どっ、と心臓が早鐘を打つように暴れる。

 一週間で呪いが解ける。それはこの事件の前提条件でもあった。だから誰もが表面上はともかく深層心理では危機感を抱ききれずにいた。

 だが、それをこの吸血鬼はたった一言で突き崩した。


「今までのいくつかの呪いは我が自身の眷属の調子を慣らすために発動していただけだ。一度止めれば呪いも消えるが、止めるかどうかに時間など関係ない」


 その事実は、下手をすれば一生涯、昏睡状態に陥ったままこの吸血鬼のエサにされるということだ。そしてそれは、六花に及ぶ危険度が跳ね上がったというだけに止まらない。


『……もう一度、聞く。お前の目的はなんだ……ッ!?』


 核を残し呪いからエネルギーを奪うということは、その魂は無限にエネルギーを供給し続けることになる。核を喰らうより、よほど大きなエネルギー源となり得る。

 もし、それこそが目の前の吸血鬼の狙いだとすれば。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「それは愚問だな。我らの目的などただ一つだろう」


 トーンの一段落ちたその言葉に、上崎は背筋を震わせた。

 続く言葉など、考えるまでもなかった。



「第二の真祖となる。それが我の望みだよ」



 その不遜な言葉に、心臓が縮むような感覚が襲う。

 たった七体しか確認されていない魔獣の頂点。それがカテゴリー5だ。そんなものの一角に名を連ねるには、どれだけの人間のエネルギーが必要になるか。そしてそれが成功してしまえば、その何倍の人間が犠牲になるのか。

 そこに繋がる惨状を想像して、上崎結城は震えた。これはもはやただのカテゴリー4などではない。いまこの瞬間にでも討ち滅ぼさなければならない絶対悪だ。


『止めるぞ、六花……っ!』


「分かってます、せんぱ――……」


 打てば響くような、いつもの六花の返事が途切れた。

 それは。

 耳をつんざく無数の破砕音と共に、周囲を蠢いていた眷属が一つ残らず打ち落とされていたからだ。


「カテゴリー5になる? あなたが?」


 温度を失った声があった。それは、六花の横に立つ北条が放ったものだった。

 幾条もの光の束が北条の周囲で渦を巻く。

 様子を見ていたのか手を抜いていたのか。そんなリミッターを破った北条が、ただの一合で全ての眷属を打ち払った。その事実が、吸血鬼だけでなく六花たちまで臆させていた。


「冗談にしても笑えない。――そんな妄言を吐くのなら、塵も残さず消し飛ばしてあげる」


 ぞっとした。

 その声音だけではない。あれほど勝機の見えなかった状況で、刹那の内に全てを一掃してのけたその実力に対してもだ。たった一つ年上の先輩のその隔絶した力量に、彼女が味方でよかったと心の底からそう思えてしまう。

 なのに。


「粋がるなよ、人間が。――その程度で我の上を行った気か?」


「――っ!?」


 嘲笑と同時。

 打ち落とされたはずの眷属は、ほとんど無傷のまままた北条たちへと牙を剥いていた。

 北条の感情の放つ圧に気づいていないわけでもないはずだ。その実力だって目の当たりにしている。それでも吸血鬼は嘲りを返している。

 それがカテゴリー4だ。

 今さらのようにその脅威を自覚して、六花にも上崎にも焦りが浮かぶ。

 だが現状はそれで変わってはくれない。周囲に浮かぶ無数の眷属は、叩き落としても同じ数だけ復活してくる。蟻地獄で砂をすくうようなその感覚に、心が疲弊していくのが分かる。


「実体がほとんどない……っ。再生というより、スライムか何かを相手にしていると思った方がいいかもしれません」


「なら本体を潰せばいいだけだよ」


 何でもないように北条は言い捨てて、槍の穂先から無数のレーザー光を放ち、眷属を打ち払いながら突き進んでいく。


「カテゴリー4には無理に進化したのかな。知性や眷属なんていう特殊な能力を得るのにエネルギーの大半を持って行かれて、身体能力へ割り振れていない。だからこんなからめ手に頼るしかないんでしょう。――でもこれじゃそこらのカテゴリー3と大差ないよ。こんな眷属を得るためだけに費やす代償じゃない」


 足取りは遅い。だがそれでも、攻撃に転じるための隙をうかがうことさえせず力業で押し切れている。それはそのまま力量の差を示していた。

 この差が縮まることはありえない。吸血鬼が消えるのは紛れもなく時間の問題だ。

 だが、吸血鬼に焦りの色は微塵もなかった。


「我を潰すとほざき、あまつさえ理性さえ持たない獣と同じと見下すか。不敬も甚だしいが、まぁいい。殺せるというならやってみるといい」


 鼻で笑う。

 そして、吸血鬼は無抵抗を示すように両手を広げて、そのまま眷属を打ち払う六花たちの剣閃の、その渦中へと躊躇なく身を投げた。


「なっ――!?」


 理解ができない。

 だがそれでも、二人の刃は止まることも鈍ることさえなく、六花の振るう剣戟は吸血鬼の下半身を斬り飛ばし、北条の槍撃は胸を正面から刺し穿った。

 あまりにも意味のない、呆気ない幕切れだった。

 随分と小さくなった体が、北条の槍に串刺しになって掲げられている。


「どういうつもり」


「この程度で我を殺せると思い上がった人間風情に、現実を見せてやるだけだ」


 痛覚を捨てているのか、血を吐きながらも犬歯を釣り上げて嗤う。

 ――その異様さに、反応がわずかに遅れた。

 ずるり、と。

 滑り落ちるように吸血鬼の体が槍から離れる。

 その針のような牙の輝きが、やけにスローモーションに見えた。

 がり、と、その牙は槍を握る北条の腕へと突き刺さる。


「ッこの!!」


 六花が援護するように腕に張りついた吸血鬼の頭蓋へ刺突を繰り出すが、それより早く吸血鬼は飛び退っていた。六花の一閃は、虚しく空を切るだけだ。

 吹き飛んだ下半身を拾い、魔獣はそれを自身に接着する。それだけでまるで初めから何もなかったかのように、吸血鬼は五体を取り戻していた。


『身体能力に割り振ってなかった分はこの再生能力にも当ててたってことか……っ』


 今さらのように気づいても、もうどうにもならない。全て吸血鬼の思惑どおりの展開で、結果だけを見れば、ほとんど無傷で吸血鬼は北条にそのマーキングを植えつけている。


「――この展開は珍しいね」


 北条が小さく呟くが、意味は分からない。

 それよりも大きな危機感めいたものが、上崎の心臓の辺りを締め上げていた。

 理解が追いつくより先に訪れた本能や直感に近い危機感に、上崎は心臓のあたりが締め上げられていくのを感じていた。

 そしてその直感は、すぐに論理的な思考を伴っていく。

 いくら再生できるとはいえ半身を犠牲にしてまで北条にマーキングをしながらも、今まで既に噛まれてマーキングされている六花からはエネルギーを吸う素振りすら見せなかった。

 それはなぜか。

 簡単だ。

 六花からエネルギーを奪っている間に北条に襲われることを危惧したから。

 なら、ここで吸血鬼がマーキングを済ませたということは――……


『ま、ずい――ッ!!』


 上崎は気づく。だが、一拍間に合わない。

 彼が動くより先に、吸血鬼は能力を発動し終えていた。


「我が牙は隷属の証。平伏せよ、献上せよ。貴様らの全ては、我が血肉となる!!」


 目に見える変化はなかった。エネルギーの流れが人間に視認できるはずもない。ただ、北条も六花も、苦悶の表情を浮かべてその場に膝をついている。それが結果だ。


「クソ!」


 即座に人間へと戻った上崎が、編纂結界を上書きする。

 それは上崎たちを外に追い出すような形で、吸血鬼だけを閉じ込める檻となった。病的で不気味な印象のあるその顔は激昂し、幾度となく爪を青い結界の壁面に振り下ろしている。

 エネルギーの収奪は途絶えたはずの二人の呼吸がまだ荒い。北条も六花も、地面に手をついてどうにかその苦しみを耐え凌いでいるありさまだ。


「無事か!?」


「なんとかね……。上崎くんの機転のおかげ、かな」


 北条は笑みを浮かべて答えるが、それが強がりであることなど一目瞭然だった。まるでマラソンでもしたみたいに、体中の筋肉が痙攣している。

 一瞬の収奪でこのありさまだ。エネルギーのパスを一時的に遮断している結界が破壊されれば、その時点で上崎たちの敗北は確定だ。


「……上崎くん。結界はどれくらい持ちそう……? 応援の要請は一応してはあるんだけど、到着まで持つ保証はあるかな」


「すぐに壊されるっていうことはないですよ。俺のは特別固いんで。ただそれでも、耐久力を実際に測ったわけじゃないですから……」


「やっぱり、最悪のケースを想定するならわたしたちだけで仕留めきる算段が必要になるか。――いまの問題は三つ。眷属の数の多さ。吸血鬼の再生能力の高さ。そして、エネルギーを吸うマーキングを六花ちゃんもわたしも受けてしまっていること」


 幸いと言うべきか、吸血鬼自身の身体能力はさほど高くない。だが近づこうにも無数の眷属がそれを阻む上に、近づけたとしてもその再生能力の高さからまともな斬り合いではこちらが圧倒的に不利になる。

 そして何より、吸血鬼と戦うには隔壁代わりに使っている編纂結界を再度上書きして対峙する必要がある。そうなればまたエネルギー収奪の餌食だ。

 最後の一つだけでも八方塞がりだった。実質的に戦闘行為はできないに等しい。

 なのに、北条は笑ってこう言った。


「解決策は一つ。――結界を上書きし直すと同時に一撃で核を貫く」


 あまりにも荒唐無稽な立案に、上崎も六花も目を丸くしていた。

 なるほどそれなら条件全てをクリアしている。エネルギーを吸収されようとそれと同時に核を貫いてしまえば勝負は決する。エネルギーの吸収を恐れないのなら無数の眷属もまた恐れる必要はないし、核を貫くのなら再生能力も関係ない。

 理屈は通っている。だがそれはどう考えても屁理屈の類いだ。


「本気で言ってますか……?」


 それがどれだけ無茶かなんて上崎にだって分かる。結界を上書きすると同時にと言っても、その瞬間からまたエネルギーは吸血鬼に奪われていく。ほんの一瞬でもあれだけ疲弊を強いられた中で、オルタアーツを展開して吸血鬼が動くより速く屠らなければいけない。


「もちろん危険な賭けではあるけれど、わたしたちだけで吸血鬼を仕留めるならこれしかないと思う。それに乗っかってくれる?」


 まだ学生の上崎たちに北条は命令権を厳密には持っていない。だからこんな聞き方をしてくれているのだろう。だが応援が駆けつけるまで上崎の結界が持つ可能性は、残念ながらかなり低いと言わざるを得ない。実際にはおそらく北条の提案以外の選択肢はない。

 チャンスは一度、やり直しは絶対にできない。


 そして。

 失敗とはそのまま、上崎たちの消滅を意味している。


「――っ」


 だから北条は賭けと言ったのだろう。上崎の見立てでは成功率は五分五分だが、二人で同時に狙えば単純計算で七割五分まで上がる。危険ではあるが、この状況でその確率の増分は無視できない。

 既に六花はあの吸血鬼にマーキングされている。討伐しない限り彼女に安寧はない。ならばやるべきことなど決まっている。

 決まっているのに、ただ一言うなずくのがどうしようもなく恐かった。


「……大丈夫ですよ」


 不安に押し潰されそうになっている上崎を慰めるみたいに、水凪六花は笑顔で言った。


「だって、ここには先輩がいますから」


 いつもと何ら変わりのない、信頼の言葉だ。

 その信頼が、上崎の背を押した。


「――やるよ。六花の呪いを解くのはそれしかないんだ」


「六花ちゃんのためだけじゃなくて、嘘でもいいからここは『公共の利益のため』と言って欲しかったかなぁ。あと呪いを受けたのわたしもだからね? ――まぁ、覚悟が決まったならそれでいいけど」


 北条は笑い、何もない虚空で構えを取る。――その洗練された動きは、オルタアーツを発動していない今の状態でさえ槍があるかのように錯覚してしまうほどだ。

 それに倣うように、六花は上崎の手に触れた。握った右手が後ろになるように、腰を落として居合いのように構えている。

 上崎がカウントダウンを担う。焦点を合わせ結界の用意をし、瞼を下ろす。

 ゼロ、と口に出すと同時、薄藍色の結界が展開される。

 上崎の全身は漆黒の剣となり、その瞬間には地面を蹴った六花の手で吸血鬼へと振りかぶられていた。

 その魔獣を挟むように、北条愛歌の銀槍も同時に構えられていた。まるで弓でも射るかのように胸を反らし、限界まで引き絞った状態で吸血鬼の背後に立つ。――周囲の眷属は、もはや動き出すことも間に合っていない。

 目の前のカテゴリー4はそれを認識すると同時、眷属の操作を放棄し二人からのエネルギーの収奪を起動していた。六花と北条の動きがわずかでも鈍れば対処できると踏んだのだろう。

 実際、完全に核を切り落とすつもりで振り抜いた六花の斬撃は、吸血鬼の左腕で受け止められている。

 失敗したと、そう思った。六花の動きはほとんど今できる最速に近い。無駄な動きなどなかったし、エネルギーを奪われながらの中でむしろいつも以上に剣閃は研ぎ澄まされていた。――それでも受け止められてしまった。


 だから、何が起きたのか。

 それが上崎にも、そしてきっと六花にも分からなかった。


 ただ、ごとり、と。

 色素のほとんどない金髪を乱れさせた異形のその頭蓋が、六花たちの前に転がった。


「――ッ!?」


「な、にが……っ」


 それはカテゴリー4の吸血鬼も同様だったのだろう。生首一つになりながら、病的なほどに白い肌をなお青ざめさせて彼は驚愕に顔を歪め北条を睨みつけていた。


「わたしのオルタアーツの能力はレーザー兵器さながらの『光操作』だけじゃない。わたしのとっておきは『時間操作』だよ。端的に言えばただの加速ではあるけれど、あなた程度を討つには十分だったね」


 にっこりと笑顔で言って、まるでサッカーボールみたいに靴でその頭を押さえた。


「カテゴリー5は古今東西、七体しか確認されていない。そこに名を連ねるということの意味を、あなたはもっと考えるべきだよ。――あなたはその器じゃなかった。あなたが負けたのは、ただそれだけの話かな」


「き、さまぁぁぁああああああ!!」


 カテゴリー4の魔獣が激昂し、持てる眷属の全てを北条へと解き放つ。

 だがそれより早く、くるりと銀槍が回る。

 もはや能力を駆使することさえない。振り下ろされたその穂先は易々と吸血鬼の頭蓋を貫く。周囲の眷属はヘドロのようになってぼとぼととアスファルトへ落ち、残された肉体は黒い塵と霧散し消えていく。

 カテゴリー4、名称未定の吸血鬼はその瞬間をもって討伐せしめられた。


「――ふぅ。無事だったかな? 六花ちゃん、上崎くん」


 まるで何もなかったかのように軽い口調でそう言って、北条は黒い血の滴る銀槍を振り回して滴を払っていた。


「は、はい……」


「わたしもだけど、これで六花ちゃんの呪いも消えたはず。あとで検査は受けておいてね?」


 そう言って北条はひらひらと手を振る。それはまるで、放課後に別れるただの先輩のようだった。――上崎たちがどうにか倒したあのゴートヘッドよりもなお強力な、その呪いの付与にすら気づけないほど狡猾だったカテゴリー4を倒したあとだというのに。

 そのあまりの強さに、上崎は憧れよりも何よりも先に、背筋が凍るほどの恐怖を覚えていた。


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