第二章 絶望の災厄 -8-
昼の食堂はいつも人で溢れ返っていて、空いた席を探すのも一苦労だった。
だが何事にもそれが得意な人間というものは存在していて、この食堂では秋原佑介がその人物だった。
まるで何でもないように四人席を陣取って、上崎、六花、佐奈が一緒に昼食を取っている。
「……相変わらず、こういうの上手いよな。人ごみの中で空いてる場所を探すっていうか。お前、気づいたら満員電車でも普通に座ってるし」
「誇るべき俺の特技だからな」
「こんなんしか誇れない駄目駄目を極めたお兄ちゃんとか恥ずかしすぎて距離を取りたい」
これ見よがしに呆れたようなため息をつく佐奈に、佑介が傷ついたような顔で落ち込む――という流れが、いつもの光景だった。
だが、今日は様子が違った。
「ふふん、いいのかい妹よ。この俺をそんなに邪険に扱っても」
どういうわけか不敵な笑みを浮かべたままで、佑介はどこか勝ち誇ってすらいる。いぶかしむ面々をよそに、彼ははブレザーの内ポケットから何かを取り出した。
それはレシートにも似た、何かの紙片だった。
「何だよ、それ。妹をブラコンにする魔法のお札か?」
「まぁあながち間違ってもいないな」
佑介の解説を聞かずとも、佐奈は何かを察したらしい。その眼は波が打ち寄せるように歓喜に輝き始めている。
「なんとMaNAの週末のライブチケットが、連番でこの手に――」
「よし、六花一緒に行こうね」
一瞬だった。
佑介は何か交渉にでも持ち込みたかったのだろうが、それよりも遥か速く佐奈の手がチケット二枚をかすめ取り、隣の六花に満面の笑みを向けていた。
「さ、佐奈ちゃん。それは流石にひどいんじゃないかな……」
「ん? 別にいいんじゃない? お兄ちゃんがMaNAのファンじゃないのは知ってるし。どうせ初めからあたしにくれる為に用意してくれたんでしょ」
「もっと感謝しろよお前さぁ……」
今にも泣きそうな顔で訴える佑介に、少し鬱陶しそうに佐奈は手を振る。ただ少しばかり頬が赤いのは、憧れの歌手のチケットが目の前にあるから、なんて理由だけではないのだろう。
「素直じゃないな」
「うるさい。あんたも似たようなもんでしょ」
上崎の大人ぶった笑みを含んだ指摘に、佐奈は噛みつくように返した。
「そうですね、先輩はもっと素直になってください」
「別にひねくれてねぇよ……」
六花の屈託のない笑顔と眩しすぎるほどの好意に、上崎は思わず視線を逸らした。
いつだって六花は上崎を慕ってくれる。まるで崇めるようですらあった。
それをおかしいと思わなかったわけではない。ただ、上崎はその理由を聞くことを恐れた。だからずるずると、まるで友達みたいな顔をしてこんな関係を続けてきた。
どこかで、区切りをつけなければいけない。
きちんと声に出して問い質す。ただそれだけ。そんなことすらしてこなかったのだから、当然だろう。
ただ、それが怖かった。
好きな相手に好きと言う方がよほど気楽のように思えた。それ以外に方法がないと分かっていて、それを今朝、北条から面と向かって突きつけられたのに。
未だに逃げ道を探そうとしてしまう自分の弱さに、心の底から嫌気が差した。内心ではこんな無様な上崎を、彼女はこれからも慕ってくれるのだろうか。そんな恐怖がぐるぐると渦巻いて、抜け出す未来が見えてくれない。
「どうした、結城。難しい顔して」
「……何でもねぇよシスコン」
気取られまいと適当な罵詈を織り交ぜて、上崎は自分の表情をごまかした。
「誰がシスコンだ。あんな可愛げのない妹なんざ大っ嫌いだ」
嫌いだとかなんだとか言っていたが、それでも佑介は佐奈に甘すぎるくらい甘い。だからあんな暴言を吐かれても優しく流すし、佐奈がファンだという歌手のチケットを必死になって入手してくれた。
それはただの兄妹愛――ではないのだろう。
それは、一度死んでしまったが故に。
この天界に来た者からすればこの世界そのものが途方もない幸運のようなものだ。自分が死んだと理解し、そしてまだ魂だけでも生きる道があるのだと悟ったとき、人々は感涙にむせぶ。
それと同時に、知ってしまうのだ。
死や終わりは突然、前触れもなくやってくると。
自分がそうして死んだから、悟るのではなく『知る』。自分のその身で体験した事柄だから否定することすらできない。
だから、佑介は佐奈に甘い。別れという恐怖が刻まれてしまっているからこそ、最大限の愛情を表現したいと欲張っているのかもしれない。――佐奈が『お兄ちゃん』という呼称を嫌がらずに使っているのも、もしかしたら。
それは上崎にだって言えることだ。
世界は何も待ってくれない。白い雪山の中で凍えながら、上崎はそれを知ったはずだ。
いつか。
また今度。
そういう言葉に意味はないのだと。
「……ちゃんと、聞かなきゃな」
誰の耳にも届かないくらい小さな声で、上崎はそう呟いた。




