第二章 絶望の災厄 -6-
「それは災難だったねぇ」
上品な笑い声と共に北条愛歌はそんな感想を漏らす。彼女にも半ば責任はあると思う上崎だったが、北条のそれは完全に他人事だった。
放課後のこと。
第一回捜査会議、ということで生徒指導室を借りる形で、上崎たちは顔を突き合わせていた。
この数日で、あまり使われていないこの部屋にも見なれてしまっていた。初めはあれほど入るのをためらってさえいたというのに、今では秘密基地をもらったような気分だ。
「サインくらいは書いてあげるから、今度色紙でも持ってきてよ。――とりえあず、今日の捜査会を始めようか。まずは情報のすり合わせかな。昨日渡した資料にまとめてはあるけれど、誤解のないようにあらためて説明した方がいい部分も多いし」
「……その前に根本的な質問なんですけど、これ本当にカテゴリー5の仕業なんですかね? 楽観視したいだけかもしれませんが、俺には関係があるようには思えないんですけど」
それがどれだけ考えても上崎には分からなかった。確かに手口は似ているかもしれない。普通の魔獣がただエネルギーを得るだけなら核から得ればいいだけなのだから、こんなおかしな手口をする魔獣はブラッド以外にいない、と考えるまでは分かる。――だが、そう判断しきるにはどうしても違和感の方が大きいのだ。
「上崎くんの言うことももっともで、まだ特定はできてない。正直、捜査本部でもいろんな意見が出てるし、本当にブラッドだと思ってるのは実は少数派かもね。あくまで、最悪の事態に備えようとしているだけっていうか」
人数は大きく割いていても、個々人がどこまで緊張感を持っているかは別問題だ。
実際、マーキングをつけられたのちに呪いを発動された場合は昏睡状態に陥っているものの、一週間でそのエネルギーの収奪は解けている。裏を返せば一週間で確実に回復する以上、そこまで危険視されてはいないのかもしれない。
「だとしたらその魔獣は何を考えてるんですかね」
「残念ながら分からないね。意図的にブラッドの手口に似せているようには思うけれど、カテゴリー5は魔神級とも呼ばれていて、実際に目の当たりにしてカテゴリー5の狂信者になってしまった人もいる。魔獣にしろ魔術師にしろ、それに近づきたいと思う者がいてもおかしくない。それほどの『力』を秘めているんだよ、魔神は」
この奥にいる首謀者が真にカテゴリー5であるかどうかは、実のところ問題ではなかったのだ。直接動いていなくとも、そうして他の存在さえ突き動かしてしまう。――ならばこれもまたカテゴリー5の一端と言えるだろう。そういう規格外の化け物と相対しているのだと気づかされて、背筋に冷たいものが走った。
それが顔にも出ていたのだろう。北条はくすりと笑っていた。
「うん、気が引き締まるのはいいことだ。けど、上崎くんたちは肩の力を抜いていていいよ」
「……普通、逆じゃないですか? 私が言うことじゃないかもですけど、学生気分じゃ困るとか、そういう話なのかと」
「わたしだって学生だし、ずっと気張られたらこっちが滅入るっていうのもあるかな」
六花の問いかけに、北条は笑顔のまま答えている。だがその言い回しの些細な部分に、上崎は気にかかる部分があった。
「も、っていうことは、他に理由があるんですか?」
「そうだね。――今回の件は、わたしの方に力が入りすぎてる。だから君たちには、そのわたしを程よくガス抜きさせつつ止めてくれるような、そういう役割を期待してるの」
そこで初めて上崎は気づいた。笑みを浮かべているその奥で、北条がひりつくような気迫を滲ませていたことに。
「どんな形であれこの件にカテゴリー5が関わっているのかもしれないなら、わたしは絶対にそれを止めなきゃいけない。――カテゴリー5の討伐。それだけが、わたしが魔術師になった理由だから」
その北条の瞳にあった覚悟の炎。それはただ見詰めた上崎すら焼き殺しかねないような、おぞましいほどの熱量を秘めていた。
人が土足で踏み込んでいい領域ではないことは、誰にだって分かる。それは北条愛歌の最も深い部分に根づいた何かであり、理解も共感もできやしないと。
それでも。
彼女が捜査協力の依頼をしたということは。
上崎たちはその炎に寄り添い、応えていく必要があるはずだ。彼女だってそのつもりがないのに巻き込むなら、もっと上手く話をごまかしたはずだ。
「……聞いてもいいんですか?」
「隠してはないから。――それに、そろそろちゃんと誰かに話せるようになった方がいいって、自分でも思うし」
そして、北条は切り出した。。
「わたしは、三年前に発生したカテゴリー5のディザスターにお姉ちゃんを消滅されたの」
努めて明るく喋ろうとする彼女の様子が、なおさら上崎の胸を締めつける。
カテゴリー5:災厄/ディザスター。それは、カテゴリー5の中でも特に破壊を象徴する存在だ。知性らしいものはなく、ただ破壊だけを繰り返す。魂の捕食さえしない。持てる力が尽きるまで暴れ尽くし、街一つを瓦礫の山に変えて姿を消す。まさしく災厄の名に相応しい化け物だ。
上崎たちだって三年前の顕現も報道越しではあるが知っている。人もろともに街が潰され、あらゆる魔術師が何も対処できずにただディザスターがどこかへ消えるのを待つしかなかった。未だに爪痕は消えていないし、復興だってままならない状態だ。
「わたしにとって、お姉ちゃんはたった一人の家族だった。わたしが死んだのは物心がつく前だったから、親の顔も分からないし、天界しか世界は知らなくてね。――そう言えば、そのお姉ちゃんが歌を好きだったから、わたしも歌が好きになったの。単純でしょ?」
笑顔で語られる思い出話に、上崎たちは何も言えなかった。悲しみがその声に乗せられていないことが、どうしてか上崎にはひどく悲しいことのように思えた。
「そのたった一人の家族も、三年前に現れたディザスターに奪われた。それは憎かったよ。だから、ディザスターについて調べられるだけ全部の情報を集めた。――けど、分かったのは、復讐なんてできっこないってことだけ。いつ現れるかも分からないしね」
その声音で、ようやく上崎は悟った。
入学式の日。屋上で聞いた彼女の生の歌声はどこか物寂しく、そして、決して共感のできない感情があった。――今の彼女の声音のように。
彼女の声は、もはやあの世すら超えて消滅した姉の魂への手向けだったのだろう。
それは想いであり、諦観でもある。
復讐すらできないと理解しているからこそ、ただ己の無力を嘆く、そんな歌声だ。
「わたしが歌手なんかやってるのも、たぶんそういうことなんだろうね。ディザスターに直接恨みは晴らせない。だから、せめて、お姉ちゃんのことは思っていようって」
そんな彼女にどんな言葉をかければいいのか、上崎には分からなかった。たとえ上崎でなくとも、理解できるなんて、そんな高慢なことは口が裂けても言ってはいけないとすら思う。
「普通の魔獣は幽体化していてもその場所には存在しているから、ある程度は出現位置とか活動範囲っていうのは絞られるんだけどね。だけどディザスターにはそれが当てはまらない。『姿を隠す間、人の中に寄生している』なんて説もあるし、『時空間を超えて破壊を繰り返している』とか突飛なものもあるくらいね。これじゃ追いかけようもないでしょ?」
それは流石に無理があるだろう、と上崎も思う。いくら魔獣や魔術師でも物理法則を凌駕するのは並大抵のことではない。時空を超えるとなれば必要なエネルギーはいかほどか。少なくとも、捕食もせずに破壊して回るディザスターで集められる量ではないだろう。
だが一方で、そんな説が出るのもうなずける。それだけカテゴリー5という存在は規格外なのだ。彼らの前では理屈や法則すら平伏してしまう。
「けど今回の件は、そんなカテゴリー5の一端に近づけるかもしれない貴重なもの。だったら、ディザスターとは違っていても構わない。――まぁ、そういう個人的な意気込みがあるんだよ、わたしにはさ」
何でもないような言葉に乗せられたその彼女の覚悟がどれほどのものかなんて、上崎に推し量れるはずもない。
「……何があっても、討伐しないといけませんね」
口を結んだ上崎に代わって、六花が口を開いた。
北条が失ってしまった、上崎にとっての『誰よりも信頼できる』人だ。そんな彼女が信頼と期待を込めて、屈託のない笑顔を上崎へと向ける。
「大丈夫です。――だって先輩がなんとかしてくれるんですよね?」
彼女は、またそんな言葉を上崎へ送る。
彼女自身、吸血鬼に襲われた身だ。いまはまだ症状が出ていないとしても、その身には確かに呪いが刻まれている。なのに彼女がそれを気にした様子を、上崎は一度だって見ていない。
強がって隠しているのなら、短い付き合いの上崎にだって分かっただろう。だが彼女はそうではない。――それは、彼女が本当にそれを気にしていないからだ。
上崎結城が絶対に六花の呪いを取り去ってくれると、そんな信頼を寄せているから。
彼のオルタアーツは歪められている。それはまるで呪縛のようで、上崎がそのことをどれほど嘆いたか分からない。自身の努力では覆らない理不尽に、上崎は本当の挫折を見た。
けれど、六花のその言葉が、その信頼が、上崎を救ってくれた。
自分に期待していない彼の代わりに彼女が期待してくれているから、だから、落ちこぼれの上崎結城はそれでも戦える。
――ただ。
ふと、疑問に思ってしまった。
彼女はどうして、そこまで自分を信頼してくれるのか。
親友の佐奈に自慢するだけではない。ほとんど初対面みたいな北条愛歌にさえ、彼女は『上崎結城』を認めてほしいみたいに、信頼の言葉を口にした。
ディザスターを憎む彼女を慰める為という側面もあるかもしれない。しかし、それ以上の意味があるように上崎には思えた。
「……、」
声に出そうとして、できなかった。
その意味を知ることが、なぜか、どうしようもなく怖かったのだ。




