第二章 絶望の災厄 -4-
ようやく一年生の中にも授業に慣れが見え始めた、二度目の月曜の放課後。上崎結城と水凪六花は、金曜の朝に引き続いて生徒指導室に呼び出されていた。
パイプ椅子に上崎と六花二人が並んで座り、長机を挟んで白浜も席に着く。
「こうやって対面に座るとお見合いみたいね」
「生徒に色目を使うのはどうかと思います!」
冗談とはいえウィンクを飛ばす白浜へ食ってかかる六花に、横で上崎は呆れてため息をつく。
「別に使われてねぇし、使われたって倍も歳が離れてると流石に――……」
それ以上続ける前に、長机の下で白浜のローキックが炸裂した。
「そ、それで、今日は何の話です?」
涙目で本題に入る上崎に、白浜は少し真面目な様子で困った顔をした。
「んー。その前に、簡単なクイズみたいなのに参加してもらえるかな。私はあんまりこういうのしたくないし、させたくもないんだけど」
白浜の意図が見えず頭上に疑問符を浮かべる二人だったが、彼女はそれを気にせずに続けた。
「あなたたちが倒した魔獣――ゴートヘッド。あれは吸血鬼事件と関わりがあったと思う?」
「……どういう意味です?」
「とりあえず質問に応えてくれないと本題に入れないの。新人教師の苦悩を分かって、ね?」
もう新人という歳でもないどころか勤続十年のベテランだろう、とは思ったが、スネの痛みを思い出しそれは呑み込んでおくことにして、上崎は真面目にその問いに答えた。
「カテゴリー4が3を率いるなんてことはざらにありますし、ましてや真祖の眷属っていう可能性があるのも分かりますけどね。でも今回に限って言えば、それはないと思います」
「判断理由は?」
「あのゴートヘッドは俺たちに追い詰められても、命がけの一撃で戦闘続行を選んでます。あれは飢餓状態の判断でしょう。負けはもちろん逃げてもエネルギー不足で消滅しかないから、無理をしてでも押し通ろうとした。――何かに従う魔獣はその恩恵でエネルギーを分けてもらうのが常です。逆説的に、飢餓状態になってる時点でアレは単独の魔獣だと思いますよ」
そもそも上崎たちだけでも討伐できるようなレベルだ。カテゴリー5の真祖が裏にいるなら、あんな低レベルな魔獣を眷属にするはずがない。
そう自分の推論を並べながらもまだ質問の意図が分からない上崎ではあったが、白浜は構わず続けてくる。
「それじゃあ、あの場で吸血鬼によるマーキングが多発したのは?」
「狩り場として初めから狙われてたんじゃないかと思ってます。派手に暴れる魔獣がいれば、それに乗じてマーキングができるんですから」
件の吸血鬼がどうやって呪いの付与を行うかはまだ分かっていないが、それでも牙のサイズから見るに最低でも甲虫程度の大きさのマーカーは必要だ。何もない状況下でそんな物が首筋に一瞬でも近づけば確実に気づかれる。
だが魔獣が暴れているというパニック下では別だ。六花とて幾人も逃げ遅れた人を抱えていたから、その間に首に何かが触れたところで気づけないのも当然だろう。――それを狙って、吸血鬼はあの場にいたと上崎は見ている。
魔獣は悪感情を持つ者が多い場所に出現する傾向がある。ダウンタウンのような場所は自然発生しやすいし、何か大災害でもあればそこは多くの魔獣が跋扈するようになるのだ。あのショッピングモールでも、以前に吸血鬼に襲われた現場という負のイメージが呼び水になったのだろう、というのは当然の帰結だ。
そんな上崎の意見を聞いて、白浜は小さくうなずいていた。
「よく見てるね。やっぱり北条さんの目に狂いはなかったってことなのかなぁ……」
「……北条先輩、ですか?」
突然出てきたその名前に、上崎は首を傾げる他なかった。確かプロの出撃要請を出したとき、ゴートヘッド討伐に呼ばれたのが彼女だったらしいが、それ以外に接点らしい接点もない。
「さて、本題に入ります。北条さんからあなたたちへ、一連の吸血鬼事件について、捜査への参加が要請されています」
居住まいを正し、白浜優子はそう切り出した。
捜査への参加。それそのものはおかしくない。佑介はそれを通して仕入れた情報を上崎に伝えていたのだから。
ただ。
「――俺たち、一年生ですよ?」
入学したて、それもまだ一週間しか経っていない生徒を起用するなんて、上崎も聞いたことがない。まして上崎自身は留年するような落ちこぼれだ。わざわざ足を引っ張るような人選をするなど理屈に合わない。
「それは私の方からも確認したんだけど、あなたたちがいい、と北条さんが名指しでね。――上崎くん、どうやってあんなアイドルをたらしこんだの?」
「人聞きの悪いことを言わないでください……」
隣の六花が笑顔のまま睨んでくるので、上崎は何も悪いことをした覚えはないのに視線を逸らさずにはいられなかった。
「えぇ、わたしは上崎くんに魅了されちゃってるのになぁ」
と、そんなソプラノボイスが聞こえた。
上崎の耳元で。
「――ッ!?」
がたがたとパイプ椅子を鳴らして飛びのくように上崎は振り返った。その視線の先には、栗毛の少女が小悪魔チックな笑顔と共に佇んでいた。
北条愛歌であった。
対面だった白浜は当然気づいていたようだが、隣の六花など驚愕のあまり動けくこともできず、ただ口だけを池の鯉みたいにパクパクさせている。
上崎や六花だって一年生とは言え魔術師を目指す者だ。気配には敏感であるのにそれをすり抜けて背後に回れる北条のステータスの高さに、上崎はただただ舌を巻いた。
「今日は可愛い声を出さないんだね。でも、耳は弱いのかな」
「勘弁してくださいよ……」
声をかけられた左耳をとっさに庇うように塞ぐ上崎を見て、北条はまたくすりと笑った。
「さてさて、本人も登場したわけで軽く紹介を。今回、最近の吸血鬼事件の捜査を担当している北条愛歌さんです」
「よろしくね」
手を差し伸べる北条に上崎は応えながらも、首をかしげる。
「……先輩が吸血鬼事件の担当なんですか?」
「意外かな? でもアイドル業で忙しいからね。突発的な討伐より、こういうスケジュール管理のしやすい捜査業の方がメインだよ。今回のはカテゴリー5が関わっているかもしれないからって、駆り出されている人数も桁違いだしね。――わたしとしては魔獣を倒す方が楽で好きなんだけど」
そう言いながら北条も席に着いて、参加するかの判断の為に守秘義務のある部分を除いて今回の依頼内容についての詳細が説明され始めた。
北条の口からなされたそれは、ほとんどが佑介から聞かされていた話と一致する。結局のところは補足説明が大半だ。
ただ、そこで六花は小首をかしげた。
「魔術師の可能性を排除する――ってありますけど。もともと、魔術師が犯人の可能性があったんですか……?」
六花が確認すると、それに北条はうなずいた。
「そう。まぁ別に今回が特殊って言うわけじゃなくて、魔獣が捕食以外に何らかの目的を持って行動しているとき、いつも考えなきゃいけない可能性なんだけどね。オルタアーツは便利で優秀な技術ではあるけれど、その分悪用の幅も広いし」
「オルタアーツが、ですか?」
「そうね、六花さんは入学したばかりで、まだ習ってないはずだし。オルタアーツは編纂結界内で扱う武器っていう印象が強くて、便利っていう言葉とはかけ離れて感じるかも」
「はい。基本的には自分の魂を個人の意志で自在に扱うもの、ですよね? あまり広く使えないと思うんですけど……?」
その問いかけに教師としてのスイッチが入ったのか、白浜は立ち上がって、すみに寄せてあったホワイトボードを引っ張り出して講義を始めた。
「オルタアーツには、実は三種類あります。一つ目は、フィジカルエンチャントと言われる身体強化術式。二つ目は、ジェネレートと呼ばれる武具生成術式。これらは、中学生向けの体験講義でも見られる至極一般的なオルタアーツで、六花さんにも馴染みがあると思います」
キュキュッと白板に文字を滑らせる白浜に「はい、先生」ときちんと応える六花。まともな授業に見えるが、白浜がほとんど生徒と変わらない外見年齢という時点で、どこかごっこ遊びのようだった。
「そして最後の一つが『オーバーライド』という、空間変革術式です」
オーバーライドの特徴は二つ。
先に挙げた二つがどちらも『自身の魂を変化させるもの』であるのに対し、オーバーライドは『自分以外の魂、物質を変化させるもの』であるという点。
そしてもう一つが、一つ目の特徴故に『意志だけでなく、魔法陣や詠唱などを用いた術式の展開』が必要になる点だ。
自身の魂だけなら自分の魂で完結できるのは道理だろう。それ以外に伸ばすのであれば、その為のパスを繋ぐ必要がある。
「オーバーライドは非常に高度なオルタアーツです。誰にでも使えるように一般化されたものは非常に少なく、両手で数えられる程度。それ以外は、使用者の力量にも左右されてしまう。魔術師であるなら誰もが一度編み出したいと望む、到達点の一つですね」
そう締めくくり、白浜はホワイトボードマーカーのキャップをしてパイプ椅子に座り直す。何故か六花が拍手しているがそこはスルーして、上崎は北条の方を向いた。
「この吸血鬼事件でも、ブラッドに見せかけるようなオーバーライドが使われていたかもしれない、と?」
「そう考えて調査をしてみたけど、それは『あり得ない、または非常に可能性が低い』っていう判断に至った、ってことだね。エネルギーの残滓――魂跡って言ったりもするんだけど、それは被害者みんな同一のものだった。その上、陣を刻んだアイテムも見つかっていないし、編纂結界自体が確認されていない現場もある。つまり、単独犯なのに常にオーバーライドを発動できる環境はなかったってこと」
「そこまでは捜査が進んでるんですね」
「逆に言えば、そういう大前提を抑えるくらいまでしか進んでいないとも言えるよね。――だから、あなたたちにわたしから捜査協力の依頼をしたの。姿は見えていないとしても、一度襲われたあなたたちだから気づくことがあるかもしれないからね」
筋は通っているように聞こえる。
だがそれは、あくまでそう聞こえるだけだ。
その違和感に気づいていたのは上崎だけではなく、六花の方も同様のようだった。
「……理に適っているようで、適っていないですよね。その、嫌だというわけではないんですけど、そういうのはただの事情聴取で事足りることじゃないんですか?」
「まぁ確かにあなたたちを抜擢したのはそれだけじゃないよ。学生プロのわたしのパートナーは同じ学生の方が気楽、っていうのもあるし、元々打診していた秋原くんの推薦もあるし」
いつの間に……、と上崎が親友の勝手な真似に小さく舌打ちをする。
「それに、決め手はこの前のゴートヘッド戦だね。あれを目の前で見て、万が一戦闘になっても君たちなら大丈夫だって安心したの。他の子の紙の上での成績なんて、現場じゃ信用ならないし。――あとは、もう面識があるから気兼ねしなくていいかなって」
そんなトリプルコンボとエクストラが北条愛歌に決まり、上崎たちに白羽の矢が立った、ということらしい。そう言われれば、なるほどと思わず上崎も納得してしまった。
「それで、上崎くんと六花さんはこの件を引き受けますか?」
白浜が事務的に問いかける。担任としてはあまり乗り気ではないのだろう。それを気取られまいと公的な態度でごまかしているように上崎には見えた。
「どうしますか、先輩」
六花に問いかけられて、上崎は息を吐く。
白浜はこの東霞高校の教師だ。現場で腕を磨くことは彼女だって推奨している。なのに、その彼女が今回に関しては渋っている。その理由を察したから、上崎は嘆息するしかなかった。
先日のショッピングモールでの魔獣討伐、正確にはその為のオルタアーツの無断使用。その具体的な処罰が下る前にこんな話が来た。それがヒントだ。
引き受ければ、多少時間が前後してしまうものの、『捜査中での魔獣遭遇時のオルタアーツ使用』という形になり、合法的であったと言い張れる。時間は手続き的な遅れとごまかしておけば問題は残らない。
つまりは、軽い脅迫だ。これを引き受ければお咎めなしにしてやろう、という。だから白浜が嫌々にこんな説明をしているのだろう。
とは言え。
白浜の心配は空しく、上崎の結論など決まっていた。
「断る理由があるかよ」
そんな脅迫など関係ない。
そもそも、六花がその吸血鬼に襲われた時点で上崎の沸点を超えているのだから。
「六花に呪術をかけたコウモリをぶっ飛ばせばいいんだろ? 一度噛まれた六花からいつエネルギーが奪われるかも分からない以上、頼まれなくたってやるつもりだったんだし」
それが、彼女を危険に晒した上崎の唯一の贖罪だから。
どれだけ不出来な魂であろうと、上崎結城の進む道は変わらない。
「うん、ありがとう。――まぁ六花ちゃんの騎士としては、どうせそういう結論になるとは思ってたけどね」
再度差し伸べられた北条の手に上崎が応える間、六花はぽっと頬を染めていた。
「騎士とお姫様だなんて、そこまで私を想っていてくださったんですね!」
「北条先輩の言葉を俺の言葉みたいに改竄するんじゃねぇよ……」
感動しているのか何なのか目に涙をためる六花をあしらいつつ、上崎は格好つけた覚悟をごまかすみたいに、何度目かも分からないため息でそれを隠した。




