第四章 よすが -6-
撥ねた血が頬を濡らす。
どろりとまとわりつくような人肌の温かさに、心底不快そうに立里京香は眉根を寄せてため息をつく。
「まぁ学生としては優秀でしたね」
深紅の剣をだらりと下げ、彼女は侮蔑を込めて倒れ伏した少年を見下ろした。
瓦礫の山があった。
その頂で力尽きた少年は、もはや無事なところを探す方が困難なありさまだ。肉は裂け骨は折れ、血に塗れた身体は辛うじて息をしているだけ。
それでも。
なおも、右手に握りしめたハルバートを手放そうとはしなかった。
「……手心を加えた覚えはないんですけれど」
「うる、せぇよ……っ」
かすれた声で、しかし笑みすら浮かべて秋原佑介は言う。ひゅーひゅー、と呼吸に笛のような音が混じっているような有り様だというのに、まるで勝ち誇っているかのように。
「……あなたが時間を稼ごうとしているのは分かります。事実、それは確かに有効ですよ。彼がこの場から逃げ保護されると少々面倒ですから」
その表情に、京香はまた嘆息を漏らす。
「ですがもういいでしょう。そろそろ退場してください」
キメラと人狼のカテゴリー3二体は、無傷のまま京香の傍らに侍っている。時折うなりを上げながら、すぐにでも捕食できそうなほど近くの餌に、だらだらとよだれをこぼしていた。
だと、言うのに、
佑介はなおも、笑みを浮かべていた。
「……まだ、何か策があるとでも?」
「策……? あぁ、本当に何も分かっちゃいねぇんだな……っ」
血を吐きながら、しかし、佑介は耐えきれないとでも言うように吹き出して笑う。
「俺が時間を稼ごうとしてたのは、あんたの言うとおり本当だ……。だけど別に、それは結城を逃がすためじゃねぇよ……」
「……おかしなことを言いますね。では何のために時間を稼ぐ、と? まさか痛めつけられすぎて、私の言葉を忘れたわけではないですよね」
周囲に大量発生した魔獣の対処に追われ、魔術師が駆けつけられる状況にはない。応援が来ない以上、ここで彼が時間を稼ぐ意味などない。
しかし、彼の笑みは消えない。
その瞳に宿る、希望の色さえ。
「あんたこそ、おかしなこと言ってんなよ……っ。――応援なんか要るかよ。もうとっくに、ここにいるだろうが」
もはや白の槍斧を持ち上げる力もなく、代わりに、佑介は左手の中指を立てた。
「俺の親友を甘く見んなよ、ばーか」
その言葉に、京香は露骨に眉をひそめた。
「俺の親友、ですか」
ぞっと凍えるような声があった。
傍に侍らせた魔獣を下がらせ、深紅の剣を掲げ前へと踏み出す。
「一度目は許しましたが、二度目はありませんよ。――あれはクイーンへの献上品です。間違っても、俺の、だなんて言わないように」
血のように紅い刀身が光を返す。
それを見上げながら、なおも、佑介の笑みは変わらない。
その表情を断つべく、彼女は容赦なくその剣を振り下ろし――……
その刃は、薄藍色の壁に阻まれた。
「――ッ!?」
壁越しに京香の顔が驚愕に染まる。だがもはや声も何も聞こえない。
それを見ながら、佑介は安堵と共に後ろを見やる。
「遅ぇよ……。遅刻した分、奢らせんぞ」
そんな佑介の言葉に、その視線の先に立つ少年はただ笑っていた。