第三章 嘘 -4-
会計を済ませた上崎たちは、店を出た。
商業ビルの一角のため、ドアのない出入り口をくぐっても外に出られるわけではない。すぐ脇にあった自販機前の三人掛けベンチへ進み、わざわざプレゼント用の包装までしてもらったその起動装具を、上崎は手ずから彼女へと差し出した。
「改めて。俺から六花へ起動装具のプレゼントだ」
中身を知っているであろうに、包みを受け取った六花は本当に嬉しそうに顔をほころばせた。
「はい。大切に使います」
「そうしてくれると贈った甲斐があるよ」
大事そうに胸に抱く六花に、上崎はどこか照れくさく視線を泳がせていた。そんな上崎の心を見透かしたようにくすりと笑うような声が聞こえた気がした。
「先輩も起動装具はこちらのお店で買ったんですか?」
「どうなんだろ。俺のは京香さんが買ってくれたものだから。他に店がないからここの可能性は高いけど、通販だったかも」
そう素直に上崎が答えると、六花はぷくっと頬を膨らませていた。先ほどまで大層喜んでいたはずなのに、一転してあからさまに不機嫌になっている。
「……いや、どした」
「デート中に他の女性の名前を出すからです」
「話振ったのお前じゃん……」
理不尽だと思いつつも、とはいえ謝罪する立場だった上崎も強くは突っぱねられない。どうしたものかと考えるが解決策もないまま時が過ぎるのを待つばかりである。
――そして、噂をすれば影が差すものだ。
繁華街にある商業施設と言えども、特殊な専門店。起動装具の店の隣も画材の専門店や怪しげな骨董品店があるばかりで、人通りもそう多くない。――だからこそ、こんなところで遭遇する誰かは、大抵が知り合いに他ならない。
「何してんだよ、結城」
そんな男性の声だった。――その聞き慣れた声の持ち主など、振り返るまでもなく上崎は察していた。
「シン兄かよ……」
うんざりした顔で上崎が振り返った先には、くたびれたスーツに身を包んだ長身の男――篠原三善が立っていた。
「かよ、ってなんだ。さては俺が傷つかないと思ってるな?」
血が通ってないのかお前、なんていういつものつまらない冗句も、いまは辟易としてしまうばかりである。――年下の女の子に八つ当たりしたお詫びの品を買いつつデートしているなど、知り合いに出会う状況としては最悪だろう。
「祝日って言っても魔術師は仕事あるだろ。サボり?」
「非番だよ、お前は俺をなんだと思ってるん?」
つんけんした態度の上崎に、篠原は肩を落とす。そんな彼の後ろから、慌てて駆け寄る人影があった。
「こら、何してるんですか、シノ」
篠原を咎めるその声の主こそ、まさしく噂の主――立里京香であった。
「二人の邪魔をするなって言ったじゃないですか、もう忘れたんですか? まったく、お手洗いに行った隙に勝手なことをして」
「邪魔も何も挨拶しただけじゃん……」
「それが邪魔だと分からないのが問題なんですよ、三善」
腰に手を当てて子供を叱るみたいに言う京香に、篠原は肩をすくめてぼそぼそと口答えする。
「……ねぇ、本気で怒ってるのは分かるから下の名前で呼ばないでって」
「シノがもう少し人の話を聞けるようになったら、私も聞き入れますよ」
一八〇を優に超える篠原の方が身体は随分大きいはずなのだが、態度が相まって随分小さく見える。それだけ、昔から京香が叱り慣れてしまっているのだ。
そんな二人の様子を眺めていた上崎は、ふと疑問を口にする。
「……シン兄たちはデート?」
「そんなわけないでしょう、結城くん」
にっこりと笑顔で――その裏側に苛立ちをはっきりと滲ませて――京香は答える。その横で篠原はがっくりと肩を落としていた。
「私も起動装具を買いに来ただけですよ」
「……あれ、京香さんって元々持ってるよな?」
「えぇ。入学の際に買ったリングがありますよ」
その返答に上崎は「あぁ」と納得した。彼女が東霞高校に入学したのはもう五年以上前のことだ。一度はプロとして活動していた彼女の発言に、一度は聞いていたであろう篠原も頭を抱える始末であった。
「あり得ないだろ、入学の時のだぞ。いくら起動装具自体に性能差が少ないって言っても、さすがにそれはないって。なぁ?」
「まぁそれはそうだよな……」
「二人して私を何だと思ってるんですか?」
上崎たちがいっそ憐憫にも似た目を向けることに、京香はむっとした様子で唇を尖らせていた。しかし入学時に買った起動装具を使い続けていることに関しては、そんな評価を下されても文句は言えまい。
「そもそもとっくに引退していますし。たまに体験会の講師をやる程度なんですから新調しなくても困らない、と言ったのに無理に連れてきたのはシノでしょう?」
「まぁそうだけどさ……」
歯切れの悪い篠原の様子に、上崎は少し考える。
おそらくは、ここ最近の『シンコウ』とやらのためなのだろう。魔獣の不穏な動きの全容は何も掴めていない。シンコウという言葉に当てられる字は複数考えられる。振興や新興ではないだろうが、侵攻や進攻、なんていうワードは十分にあり得る線だろう。
魔獣が大挙して押し寄せてくる。それは想像するだに恐ろしい事態だ。もしも篠原が駆けつけられない状況下で彼女にまた何かあったらどうしようか、と不安になるのも当然だ。そして、それを素直に口に出せないことも。
その為に、少しでも彼女の身を守る可能性を高めたいと思うことは当たり前だ。たとえ性能差がほとんどなくとも、そのごく微少な差が生死を分けることもあり得る。そう考えれば、入学時に買った安物なんかよりいいものを持っていてほしい、と思う篠原の気持ちも理解できた。
「……そういうことね」
「そういうこと」
言葉もなく通じ合う男子二人に、京香は首を傾げるばかりだ。それは上崎の横にいる六花も同様であった。
「……先輩」
「なんでジェラシーのこもった湿度の高い目を向けてくんの……?」
なぜかいわれない後ろめたさを感じて、上崎は後ずさるように六花から距離を取る。しかし逃がすまいと六花は上崎の袖を掴んでいた。――どうやら、デートと言ったからには自分以外に時間を割くなと仰せのようであった。
そんな二人の様子を見ていた京香は、くすりと笑った。
「その様子なら、仲直りは出来たみたいですね」
「……おかげさまで」
姉の温かく優しい視線にいたたまれない上崎は、ぷいっと視線を逸らす。
それはまぎれもなく平穏な日常だった。
――けれど。
――そんな時間は、いつまでも続いてくれない。
ぶん、と。
耳障りな羽音が聞こえると同時。
休憩スペースの目の前のガラスが粉々に砕け散った。