第二章 心乱れ -4-
「――お手伝いクエストから魔獣討伐とか、お前なにしてんの……?」
支度を終え、寮の階段をのんびり下りながら昨日のあらましを伝えた上崎だったが、心底から呆れた様子の親友に、上崎も「……だよなぁ」と乾いた笑みで返すほかなかった。
カテゴリー3以上の魔獣には固有名が付けられる。昨日遭遇したゴーレム型の魔獣にも、『ストーンオアフ』という名称が与えられた。それほど、カテゴリー3以上と遭遇する頻度は多くないのだ。
実際のところ上崎だって一年ぶりだし、佑介の経験もおそらく一度か二度だろう。ただのお手伝いクエストのつもりが魔獣討伐に発展するなど、普通はない。その運のなさに親友が呆れるのも当然だ。
「それで急に基礎練なんて始めてたのか」
「実力不足を痛感したんだよ。後輩の女の子に助けてもらってどうにか、なんて情けないにもほどがあるし」
魔獣が残した『シンコウ』という言葉の真意が見えないいま、それを無闇に喧伝するわけにはいかない。彼女を少しでも守れるように、という本音を劣等感で上崎はごまかした。
「まぁ確かにな。入学もしてない子に、っていうのは流石に来るものがあるわな」
「他人事みたいに言ってるけど、あのフィジカルエンチャントじゃお前も負けるぞ」
上崎の発言に目を丸くした佑介は「……まじ?」と聞き返す。
「そんな天才が入学してくんのか。どんな子なんだ?」
「普通の礼儀正しい子だったよ。……いや、なんかやたら押しは強かったけど」
終始敬語で物腰も丁寧であったが、初対面の上崎に名前呼びを強制したり、編纂結界の中に潜り込んで自分も戦うと譲らなかったり、思い返すと強かな面の方が印象強かった。
「ふーん。背丈とかは?」
「女子としてもちょっと小柄だったかな。お前たしか一八〇あるだろ。並んだら胸くらいまでしかないんじゃないか?」
そんなことを言いながら、上崎たちは寮の玄関を出る。
「ちなみに、中学ってことはセーラー服?」
「そうだけど」
「髪の色って、もしかして銀とか白に近い明るい色?」
「そう、だけど。……お前、なんで知ってる?」
唐突に人物を特定するプログラムのようなことを言い出す親友に、上崎は眉をひそめて不審がる。そんな彼に対し、佑介はどこか肩をすくめながら、ちょいちょいと門の向こう――道路を挟んだ対面のコンクリート塀を指した。
絶句であった。
小柄で華奢な少女だった。銀に近いハイトーンのアッシュブロンドの髪を風になびかせ、その灰色の塀の前で佇んでいる。
あの深窓の令嬢然とした立ち姿も、息を呑むような髪色も、今さら見まがうはずもない。――件の水凪六花当人であった。
そんな彼女は寮から出てきた上崎の姿を見つけるや否や、ぱぁっと顔を明るくし、満面の笑みを浮かべながら小さく手を振っていた。
「あの子も今日誘ってたのか? 手が早いな」
「人聞きの悪いこと言うんじゃねぇよ」
親友の後頭部を強めに殴りながら上崎は深いため息を吐く。「ほら手が早い」という非難については聞こえなかったことにした。
「……で、なんでいるの?」
彼女の傍まで近づいて問いかける上崎に、彼女は柔和な笑みを崩さない。そもそも住宅街にある寮の前だ。偶然居合わせた、なんてことはあるまい。
「昨日は検査のためにすぐに病院に搬送されちゃって、ちゃんとお礼も言えないままになってしまったので」
「部屋は――まぁ入学予定なら寮くらい知ってるか。俺が出てこなかったらどうするつもりだったんだよ」
「何時間でも待つ所存でした」
忠犬のようなことを言っているが、割とサイコホラー寄りの発言であった。そんな彼女の行動に戦慄を覚える上崎の横で、佑介はなぜかからからと笑っている。
「はじめまして、結城の友人やってる秋原佑介です」
「こちらこそはじめまして。昨日先輩にお世話になった水凪六花です」
ぺこりとお辞儀し合う佑介と六花に、「……いや自己紹介の中心に俺を置くのおかしくね……?」と上崎は苦笑を浮かべる。
「しっかし、お礼のためだけに、なんていい子じゃないか、なぁ結城」
「ストーカー気質があるのはいい子なんて呼ばないんだよなぁ……」
「その分類には語弊があると思います。断固抗議します」
その可愛い容貌のおかげでごまかされているだけだろう、と思いながらも、むぅっと膨れている彼女の仕草にほだされてしまった上崎は、ため息一つで問題を見送ることにした。
「まぁ、お礼を言うのは俺の方だよ。昨日は助けられた。一人じゃどうにも出来なかっただろうな。ありがとう」
「そんな、私も勝手に出しゃばってしまって」
「うん、それは反省しような?」
一歩間違えば消滅していたのだから、と先輩として至極真っ当な忠告をする上崎に、六花は肩を落として「はしごを外された気分です……」と呟く。
そんな上崎と六花のやりとりを見ていた佑介は少し考え込み、ぽんと手を打った。
「ところで六花ちゃん。この後は用事ある?」
「いえ、先輩の出待ちをするつもりだったので空いていますけど」
「ストーキングを良いように言い換えたな……」
上崎のツッコミは黙殺され、佑介はずいっと身を乗り出す。
「俺たちこのままファミレスでご飯食べに行くんだけど。六花ちゃんもどう?」
「ぜひ!」
なんの相談もなく誘う友人と、一切の逡巡なく受諾する後輩に、上崎は白い目を向けつつも嘆息一つで受け入れることにする。
「……まぁいいけど」
そもそも『シンコウ』という魔獣の言葉の意味が判然としていないいま、可能な限り六花の傍にいるようにと篠原にも言われていた矢先だ。連絡先も聞けずじまいだったのだから、こうして出会えているのは僥倖以外の何物でもない。
どこか釈然としないものを飲み込み、自分に言い聞かせるようにして、先を歩く二人の後ろを上崎はのんびりとした歩みで追いかけるのだった。